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地球上の生きとし生けるもの

以前の記事で触れたことだけれど、ふとしたきっかけから昆虫の集合意識に繋がってしまったことがある。

サイコメトリーとかいうと大げさなんだけれど、触れることでその物質が保持している情報にアクセスできる能力が人間にはあるから、その辺のことなのか、エンパス系のことなのかよくわからない。

アカシックで動物のことも読むから、その関係もあるのかもしれない(これもある意味アカシックだろうけれど直接動物の意識に繋がっているような気もしてやはりよくわからない)。

とにかく。

そんな感じで繋がってしまうと節足動物を見てギャーギャー言っていたのが、他人じゃなくなるというかなんというか。
人間をただ見たとき、好きも嫌いもなくただ人間として受け入れているように、彼らを見てただ「生きている仲間」と感じるようになった。

そうしたら昔は当然のように叩いていた蚊が叩けなくなった。

無意識的に反射でやっていたことができなくなった。

行動を押さえているのではなく、「同じ地球にいのちを持って生まれた者」という感覚があると、どうやっても狙いが鈍ったようになってしまう。
結果的に死んでいないことに安堵している。

わたしが鈍くさいのも事実なんだけれど、望んでいないことって本当に見事なほどできないんだな、と感心する。
そんな夏だった。

とはいえ、今年はやたらわたしばかり蚊に刺されるし、衛生的に問題がある場面で出くわすこともあってちょっと困った気持ちでいた。

そこでとっさに思いついた方法。

先に宣言する。

蚊に「悪いけれどやめて欲しいんだ。もう充分血は吸ったでしょ?今からもう一度わたしの血を吸おうとしたらその時は叩くよ」と。

そうしたらそれまでどんなにやっても逃がしてしまっていた蚊を叩くことに成功してしまった。
宣言したのに攻撃したから反撃した結果、のこと。

そして、そんなことは2回ほどで、あとは蚊にも会わなくなった。

馬鹿らしいと思うなかれ、昆虫は意思の疎通ができます。
それについては幾つかエピソードがありますが、同じ流れのことを。

わが家は度々蟻の襲撃に遭っています。
以前はアリの巣コロリを愛用して効果を上げていたのですが、やはり皆殺しが気が進まず今年は使用せずにいました。

すると今年も蟻が超能力を発揮して、全く生活に利用していないリビングからはるばる旅してダイニングテーブル下のごみ箱の菓子の屑を持ち帰ろうと企てました。

その終わりの見えない行列と格闘する羽目になったわけですが、彼らは数匹ずつ外へつまみ出すことにしました。
何十往復になるかわからないけれど、いつか餌がないことがわかれば終わるだろうと。

でもこれが長い戦いになりました。

そのうちやたらハイスピードな動きの蟻たちに進化して捕まえられなくて困るようになったのです。
わたしが鈍くさいのですが。

そこでこれも思い付きで蟻に声をかけてみました。

「ほら、お外行くよ~」

そしたら嘘みたいに軽々とつかまってくれるのです。
なので捕まえた子から外に連れ出して・・・を繰り返し、そのうち新しくくる子たちも減り、連日の大雨を機に蟻との戦いは終わりました。
(蟻は雨の日は活動しないようで、いつも遠征が止まります)

人間と人間じゃないものは魂の有無の点で違うけれど、肉体とスピリットがある点で同じです。
肉体が地球生まれなことも。

そして意志の疎通が可能ならば本当に仲間です。

人間でも言葉が通じない人はいるし、こころの通わない人もいるけれど仲間だから。

徒然なまとまりのない文ですが、世に不快害虫とされるもの、雑草とされるものを思うとなんだかもやんとした気持ちがありますのでこの体験を綴ってみました。

* * *

画像はうりぼうさんの。
こんな記事を書いた後になんですが、このセンダンソウを見つけるとわたしは排除にかかります・・・ごめんね。
だって凄く困るんだもん。

植物とももっと意思疎通を図りたいところです。
うりぼうさん、気づかせていただきありがとうございます。

ありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡ お預かりしたエネルギーが人と地球のために廻っていくよう活動します!