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鏡との対話~傷や痛みは誰のもの

今日は変性意識状態で掴んだことばをすぐ書き留められず、戻ってから書き起こしたのでそのままのことばでない部分が多くあります。
それでもとりあえず書いてみようと思います。

*~*~*~*~*~*

人は自分の発言に対して責任がある。
だからといって、自分の発言によって相手がなにを受け取るかについてはあなたに責任はない。

それは相手の自由だ。

自分の発言に対する責任とは、それがどういう意図で放たれたことばかという点にある。
・自分や誰かを傷つける意図はないか。
・誰かをコントロールしようとしていないか。状況をコントロールしようとしていないか。
・自分のこころ、状況など真実に背いていないか

人がことばを発するとき、その言葉の内容に真実がない時が多い。言い訳、心のない謝罪など何かから逃げるためだったり、マウントをとるように相手に優位性を示そうとしていたり、認められようと自分の居場所を求めることばだったり、腹の探り合いだったり。

でも、それは自分が放っているエネルギーが支配する世界に自分を放り込むことになるだけだ。自分の発しているエネルギーが支配する世界に自らの身を置くことになるだろう。

自分のことばを生きることになるだけなのだ。

自分のことばから相手が受け取るものは、相手の領域だ。
それはコントロールできない。
相手の責任なのだ。

ことばを放つときにできるのは、明確な意図。
そして、相手を知ろうとする努力、共感と思いやり、そして尊重と配慮だ。

だから、相手があなたのことばを受け取った結果、なにかを返答してきたとして、その言葉は相手がその時の内側を表現したものに過ぎない。
それをそのまま受け取る必要はない。

相手はあなたを鏡として自分を映しだし、その結果に対して反応しているに過ぎないのだから。

ただし相手のことばに自分がなにか感じるのならば、つまり相手のことばから受け取っているものがあるのならば、それは既にあなたの内側に存在していたものを相手のことばの中に見つけたということに他ならない。

相手もまたあなたの鏡だからだ。

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ここで来客があり集中が切れてしまいました。
複雑です。合わせ鏡が無限なのに似ています。

なんとなくわかっていること、つまりすべてを知っている内側の自分がわかっているだろうことという意味ですが、自分が鏡の世界を超えてすべてを見ることができるようになればこの問題は終わるということです。

当たり前の話ですが。

相手に自分の影を投影し思い悩むのは、すべてが鏡だと気づかず幻想に生きてドラマを作り出しているからです。
個であるという幻想を生きる全体、それを日常で意識し始めたとき、わたしたちはただ反応して生きることからレスポンスを選択できるようになります。
より拡大した意識から表現することが可能になるのです。

繰り返しのパターンから抜け出し、自由に生きる道を選びましょう。
今日もありがとうございます。

ありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡ お預かりしたエネルギーが人と地球のために廻っていくよう活動します!