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失ってから気づくというパターン

☬ 「ドシン」と音がしそうな衝撃を感じて初めて自分が身体から抜けかかっていたのだと気づく。

☬ 目の前に鮮明でリアルな、でも見たこともない光景が広大に拡がっている。「これはどこだろう?なんなのだろう?」と眺めるうち、それがどこであろうと現実の自分がそこにいて見ているものではないと気づく。
自分が目を閉じているなんて信じられない。
既にはっきりと目を開けてみているようなこの状態。
でも、もしかして、もしかすると更に目を開けることができるのかもしれない・・・

恐る恐る自分の身体に意識を移して、はっきりと景色を見ている状態から更に目が開けられるものなのか試してみる。
果たして目は開き、いつもの寝室で呆然と失った光景を思いながら瞬きを繰り返す。

☬ 呼吸法をやっていてなかなか今日は落ち着かない、意識が深まらないななんて思ってやっていると、ハッとした瞬間が来てその途端自分が直前まで変性意識に入っていたのだと気づく。
深い静寂の後味を感じながら、時間が喪失していたその状態を思う。
思ったところで身体が上手くいかないときは戻れない。

◇ ◇ ◇

いつもnote関連のことが終わるころにはお昼間近だから、もう少し朝方にシフトせねば!と早起きしたら身体はイマイチ乗り気じゃない様子。
呼吸法も瞑想も形ばかりな感じ。

そうだよね。

身体は習慣が大好きだ。
これが新しい習慣になるまで、繰り返すしかない。

そんな風に自分に言い聞かせながらありがちなことに気づきました。
人は失ってから気づくことが多い。
逆に言うとそれを手にしているときにはその価値に気づいていなかったり、自分が得ていることすら気づいていないものだということ。

よくドラマで「彼女が去ってから気づいたんだ。僕が本当に必要としていたのは彼女だったということを」みたいなことを言っていますが。

そういうものはたーっくさんあります。

ご自分の能力なんかもそうです。
才能があるかないか、自分が本当にその道を歩むべきかどうか悩む方は多いです。わたしもその一人でしたから。

でもやりたいから悩んでいるんですよね。やらせないように足を引っ張っているものがなにか?考えてその正体に気づいて欲しいと思います。
あなたはやりたいという強い衝動を既に持っています。
やれる体と情熱があれば、そこに道は開けていくはずです。

今持っていないものの為に持っているものを疑えば、それすら価値を発揮しないのではないでしょうか。

変わったところでは疲労とかストレスもそうです。
セルフイメージにもよると思いますが、頑張らなければいけない状況でポジティブに取り組んでいる方は意外とご自分が思いのほか疲労していることに気づいていないものです。
ホルモンの関係なのでしょうか。

すべてが終わって休んでいいんだよ、という状況を自分に許可して初めて本当に肩の荷が下りたように楽になるということがあります。
それまで眠れないわけでもなく、辛くて涙を零しながら生活しているわけでもないけれど、心身ともにめちゃめちゃため込んでいたんだなと気づかされることがあるものです。

冒頭の例えで出したもの、体外離脱や透視(幻視?)深い瞑想状態など、習熟すればその状態にいながら自分のやっていることを自覚するのはわけもないことです。
意図せずしてそうなっているからこそのことで、流されるようにことを行っていなければ・・・流されるように生きているのでなければ失ってから気づくような体験は減ると思います。

自分が自分の人生の舵をとっていること、人生という航海の欠かせない相棒はあなたのたった一つの肉体なのだと知っていて欲しい。
好きだろうと嫌いだろうと、今回の航海ではこの組み合わせなのです。

だったら少しでもそれを楽しめた方がいいじゃありませんか。
せめて気楽にストレスなく過ごせたらいいじゃありませんか?

今日もお読みくださった方に感謝します。
スキをくださった方のnoteを訪問するのが毎回楽しみで出逢いがありがたいです。

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