「Design」を語るまでの道のり

今度僕が始める会社は、ちょっと変わっているとも思うし、シンプルに普通にアタリマエのことをやる会社でもあると思っています
そこを語る前に、前提として「デザイン」っていう言葉について、体験を振り返ってダイジェストで書いてみる

僕は、結構長い間、ゲーム業界に片寄った世界にいるのですが、、、ただ、僕の場合は他業界との接点がとっても多いんですね

ホテルでピアノ弾くのも、料理を提供するのも、アーティストのアルバムを作り上げるのも、ユーザーに届けるゲームを作るのも、それを作っていく過程ですらも、人相手のサービス業、と考えるし、人前である以上は自分のプレゼンテーションだったりパフォーマンスだ、という意識がある・・・そういう仕事しかしてこなかったし、、、僕の場合は、それがあれば楽しめるんですよ。どんな仕事でも

僕は、「時間軸上の体験」って言っているんですが
時間に対して、どんな体験を作るのかとか提供するのか、ってのが共通要素なわけです。音楽にしても料理の提供にしても開発にしても

で、それは、自分勝手に作るってわけではないんですね。僕は自分をアーティストではないと思っているので・・・意図を持って誰か(たち)のためにどうやってプレゼンテーションして、すべての方向(作り手ですら)に満足する結果を実現するか、を考えて、実行してみるというチャレンジ

そのためには、社会の仕組み、、文化の違いとか歴史とか傾向とかをリサーチしないといけないはずだし

今や昔の手法とか仕組み、マネジメント方法とかも知らなきゃですし

そもそもそれがなんで必要だったか?も知っていないと、知識を効果的に使えないと思うんですよ。あー、そりゃそうでしょう、みたいな

そうやって考えれば考えるほど、なんでもかんでも意味や目的とか存在意義があって、不要なものは無くなっていくんだな、と思えるし、それが発生する時代背景とかを意識せざるを得ないし、で、どんどん細かくなっていく

ものづくりはといえば、大雑把に「アレを作りたいなあ」から始まるかもしれないけれど、いろんな現場を経験していくとものすごいプロ(たち)と仕事したりして、「マジか!こんな世界があったのか!いやしかしそりゃそうか、なるほど!」みたいなことが繰り返されていくわけです。どんどん解像度が上がってくる。こんなところに差があるんだ!とか、1ピクセルを妥協しない、とか、ディチェコじゃなくてバリラのほうが向いているソースなんだ!とか、こういう音質補正を入れるとこうやって聞きやすくなるんだ、とか。どれもこれも納得しか無い理由があって

実は舞台背景にこういうモノが置いてあったから服がよく見えるんだ、とか、入り口にこういう仕掛けをしていたから、最後の最後でこれが効果的に響くんだ、とか

凄いんですよ。どの世界にも、なにかが存在する以上、それに拘りまくったプロが存在しているし、拘る理由がちゃんとある

こういう性格の人になったからには、そういう理由があったはずだ
こういう結果になったからには、そうなる理由があったはずだ
と、人や物事を否定しなくなっていく成長の道のりでもありました
事実は事実、否定はする必要がない、と思うんですね

そんなふうに、「理由」をできるだけたくさん知りたい、とは昔から思っていて、「世界中のすべてを知りたい」と思っていた中学生でもあったのも確か

ありがたいことに、「世界を相手に」という現場を体験できていたってことも、僕がラッキーだったところです
世界最大の企業を相手に、とか、多文化が故に契約と効率を重要視する国の人と、とか、グラミー賞アーティストってこういう人なんだ、とか

幸いなことに、様々な業界の凄い人達と沢山仕事をすることができているので、、自分なりに本質を掴む頭が出来上がったのだと思うんですね
超ラッキーだった。ありがたいの極み

それぞれについてものすごく書けることはあるのだけど、それはまた改めて。ここで書きたかったことは、僕はアーティストではなくてデザイナーである、ということと、その力はどの場所にでも転用できるっていうことと、「デザインっていう言葉は全てに通じる力になるんだぜ、ってことを確信しています」ってことなんですね。

気がつけば、ピアノを弾いていた僕はアーティストになりたかったような気がするけれど、完全にデザイナーとしての頭になってました。
そして、それで本当に良かったと思ってます


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?