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東洋医学・「気」のはなし ①

もりのくに

 東洋医学的な鍼灸の治療について、分かりやすく説明できたら、と思うのですが、それがなかなか難しい…

 鍼灸の治療はざっくりと、西洋医学的な知見に基づく治療、東洋医学的な知見に基づく治療に二分することができます。


 西洋医学的な知見に基づく治療は、症状の出ている部位を解剖学的に診断して、筋肉や神経などに狙いを定めた治療になるため、比較的説明は簡単と思います(賛否あるかとは思いますが…)。

 一方で、東洋医学的な知見に基づく治療を説明するとなると、これが容易ではありません…。

 東洋医学的な見立て方は、弁証論治に基づいて行われますが、これを一般の人でも分かるように説明することがなかなか難しい…。
 東洋医学的なもののとらえ方自体が、「具体的にこれ」ということではなく、抽象的な概念でとらえていることが多いため、そういった知識のない方に分かりやすく、かつ怪しくなく(←ここ重要!)伝えるにはどうしたらよいか?というのはずっとテーマでもあります。

 からだを見立てるとき、抽象的な概念が多い理由は、東洋医学の成り立ちと関係しています。
 鍼灸学校時代によく言われたことは、東洋医学が成り立った時代は、解剖も発展しておらず、現代のように画像診断なんてもってのほかでした。そのため、人のからだについて、推論していくしかなかった、ということです。
 確かに東洋医学の古典として今でも読み継がれている「黄帝内経」の原著は紀元前200年頃(前漢)から220年(後漢)の頃にかけて編幕されたと推定されています。これ、日本でいうところの、弥生時代にあたります。
 そんな古い知見、現代でも役に立つのか?という疑問もしごく当然と思います。しかし、西洋医学の知見ではうまく説明できない、いわゆる不定愁訴のようなからだの不調について見立てるときにはとても役に立つと感じます。

 そういった不調を説明するときに避けて通れないのが、「気」。
 ただ、この「気」の概念を分かりやすく、かつ怪しくなく説明することは難しいです。
 今は分かりませんが、その昔、手かざしで「気」を送ります、とか「気」の力で宙に浮きます、などと怪しい宗教が勧誘に使っていたこともあって、「気」という言葉にはどうしても、怪しげな雰囲気がつきまといます。

 ただ、日本人にとって「気」という概念自体は、おそらく空気のように浸透していのではないかと感じます。
 「元気」「気力」「気働き」「気が合う・合わない」「気が付く」「気が抜ける」「気にする」などなど…
 思いつくまま「気」が付く言葉を挙げてみましたが、どれも身近な言葉です。「空気」という言葉にも、「気」が含まれていますね!

 空気のような身近な存在、というのは意外と説明することが難しかったりします。
 「あなたにとって空気は?」と訊かれても、うまく答えることができないと思います。意識することもないくらい、あって当り前な存在ということです。
 「気」もそれと同じように感じます。
 「あなたにとって元気とは?」と訊かれても、どう答えたらいいか、難しいですよね…。
 身近すぎて改めて尋ねられるとどう答えたらよいか分からない、という点も、説明を難しくする理由の一つだとも感じます。

 これまで、うまく説明できるようになったら、いつかブログに書きたい、と思っていましたが、一向にうまい言葉が見つからず時間だけが経ってしまいました。
 このままでは、いつまで経っても書けないということに気付き、稚拙でも、少しずつ文章にすることでまとまっていくものもあるかもしれない、と思い直し、少しずつまとめていこうと思います。
 乞うご期待!(うわ、大風呂敷広げちゃった…)


参考サイト


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