見出し画像

オーストリア ウィーン⑤美術館編II

今日は、ウィーン 美術館編Ⅱ

⑫べルヴェデーレ宮殿 上宮美術館 Oberes Belverede

上宮という名前の通り、宮殿には下宮もある。
先に夏の離宮として下宮が造られ、後の1723年にこの上宮が迎賓館として造られた。
発注主は、ハプスブルク家に仕える立場だったプリンツ・オイゲン。
彼の死後に、マリア・テレジアが買い取ったそうだ。
 
美術史美術館に次ぐ、オーストリアで2番目の規模の美術館。

綺麗に手入れされた庭と青空。
ヴァチカン博物館の中に、ベルヴェデーレの中庭というのがあるのを思い出した。
ベルヴェデーレとは、どんな意味なのかと調べてみたら、イタリア語で美しい見晴らしを意味するのだそうだ。
(他には、宮殿や邸宅の屋上にあるバルコニーなどにも使われるそうだ)
ここからの眺めを思うと、なるほどと納得する。

庭から宮殿を見渡した様子

美術館内

天井画も美しい。

クリムト 接吻
この美術館を訪れる人は、必ずこの絵を目にするだろう。
他にも、ユディトなど有名な作品ばかりだ。

ジャックルイ・ダヴィッド 
ナポレオンのアルプス越え
 
この絵は、一番最初にヴェルサイユで見たことがあった。
ナポレオンが気に入り、何枚も描かせたのだそうで、何と5枚も同じ絵があるという。

⑬アルベルティーナ美術館 Albertina

アルベルティーナという名前は、アルベルト・カジミール公の名前から取られたそうだ。
この場所は、かつては市を守るための城壁・堡塁だったが、居住地として建て替えられ、その後アルベルト公が住むようになった。
このアルベルト公が美術品の収集を始め、1921年からはアルベルティーナという名前が正式に使用されるようになったという。

ルノアール 少女の肖像

モネ 水連

ピカソ

ピカソの陶芸作品も。
この、目玉焼きとフォークが乗ったように見えるお皿。
もし同じものがあったら、是非自宅に欲しい。

ムンク マドンナ

デューラー うさぎ Albrecht Dürer
デューラーは、絵の署名に、初めて記号(モノグラム)を用いた画家としても知られている。
この作品では、彼のサインが良く分かる。

デューラー 祈りの手 

デューラーのこの絵の事は、子供の頃に知った。
ご存知の方も多いだろうが、簡単にまとめると以下のようなストーリーだ。
 
とても仲の良い、二人の若い男性がいた。
そして、二人とも画家になることを夢見ていたのだが、どちらもとても貧しかった。
そこで、一人がお金を稼ぐために働いて一方を支え、その間にもう一人が絵の勉強をすることを約束した。
最初に絵の勉強をした男性は、画家として成功し、その嬉しいニュースを持って友人の元に戻る。
次は友人が絵の勉強をする番だ、と知らせるために。
 
しかし、その友人は、厳しい労働を続けたため、もう絵筆を握ることができなくなっていた。
友人は、どんなに苦しくても厳しい労働を続け、その男性を支えていたのだった。
友人の手を見た男性はその手を取り、涙を流し、どうかこの手を描かせて欲しいと願い出たという。
 
このお話を読んだのは、道徳の教科書だったのだろう。
その時はまだ、デューラーという画家のことは良く知らなかった。
今となっては、彼の自画像などから、彼の自己愛や大いなる自信を感じるし、このお話の中の男性がデューラー自身であるか分からない(彼の経歴を知ると、これは作り話なのではないかと思う)のだが、私はこの祈りの手のお話がどうしても忘れられない。

それは、大切な人のために自らを犠牲にするということを、子供ながらに深く考えたからだ。
 
教室では、様々な議論がなされた。
男性は、自分の事ばかり考えるひどい人間だと言う生徒もいた。
ちゃんと戻ってきたのだから、男性は約束を守ったのだと庇う生徒もいた。
 
友人は、自分を犠牲にし過ぎて、馬鹿みたいだと言う生徒もいた。
私はそれに対して、友人はそれでも幸せだったのではないかと発言したところ、たくさんの反論が出てしまった。
夢を追うチャンスすらなかったのだから、幸せであるはずがないと。
そして私は、それ以上何も言えなくなってしまった。
反論ができなかったのではなくて、自分の中の感情を、上手く表現できなかったのだ。
なぜ友人を幸せだと思ったのか、それを説明する事ができなかった。
 
その日、家に帰る途中、友達と別れて一人になってから、またこの物語の中の友人の事を考えていた。
果たして、自分は誰かのために、そこまでできるのだろうか。
私には、自らを犠牲にしても良いと思える人がいるのだろうか。
そして自分は、大切な人が戻ってくるのを、いつまで待ち続けることができるのだろうかと。
 
もし、私が将来、自らを犠牲にしても良いと思う人に出会い、そして自らを犠牲にしてもそれを幸せだと感じることができるのならば、私は幸せ者だろうと思った。
自分より大切な人を見つけたという事だから。

私は、授業中に見つけられなかった答えを見つけた感覚になり、更には、ようやく自分の言いたかった事を言語化できたような気がして、何故かホッとした。

このお話を読んだ時から、私はいつかこの絵を見たいと思っていた。
このお話と、ゴツゴツとした手の印象は、私の脳裏に深く刻まれてしまったからだ。
 
後に、この画家がドイツ人であることを知り、ドイツに興味があった私は、不思議な縁を感じたものだ。
 
この絵は、キリスト教徒にも広く浸透しているため、ドイツの家庭などでも良く見られる。
パートナーの家にも、この絵を基にした彫刻があったそうだ。
私はキリスト教徒ではないため、この絵を家に飾ることは少し躊躇してしまう。
そのため、デューラーのウサギの絵をフリーマーケットで見つけてからは、その絵を部屋に飾っている。
その繊細な描写は、毎日見ても飽きない。
そして、彼のサインを見るたびに、この祈りの手を思い出すのだ。
 
 
幼い頃、友人の視点からこのお話を考えた私。
今は、デューラーの目線も加えて、その絵を見ている。
絵は変わらないのに、私が感じることが変わってくるというのは、とても面白い現象だ。
 
誰かが、自らを犠牲にしてまで自分を助けてくれた事。
友人に対する感謝の思い。
感謝以上に、取り返しのつかない事をしてしまった事への後悔や懺悔。
それは、決して幸せとは言えない感情だ。
 
デューラーの一枚の絵は、私に色々なことを考えさせてくれる。
昔も、そして今も。
この絵を見る事ができて、本当に嬉しかった。

 
私には今、自らを犠牲にしても守りたい人がいる。
そんな人を見つけられた私は、幸せ者だろう。
 
そして私は、いつまでも、友人の立場で生きていきたいと思うのだ。
いくら成功や名誉を得たとしても、誰かが私のために犠牲になるとしたら、私は決して心から幸せな気持ちにはなれないだろうから。
 
そんな思いをぼんやりと胸に抱きながら、美術館を後にした。

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?