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ウルム④ パンと文化の博物館

パンの博物館。
私が想像していたのは、焼きたてのパンが並べられている大型のパン屋さんだった。
このパンはこんな名前です、とか、このパンはこのような原料で作られています等の説明と共に、館内はきっと焼きたてパンの良い香りが漂っている事だろう。

しかし、博物館に入ってすぐに、私はこの想像が全く見当違いだった事に気付いた。

Museum Brot und Kunst
Forum Welternährung

この博物館の正式名称は、パンと文化の博物館。
世界の食糧供給フォーラムともある。

ここは、建物の前のパーキングの名前にもあるが、以前は塩の倉庫だったそうだ。

さて、ドイツのパンの種類は、3000種あるらしい。
さすがドイツ人。
パンを一つの『文化』として考察しているのだ。
博物館の最初の展示に、このような言葉が書いてあった。

パンは奇跡ではありませんか?
パンは発見です。
人類が発明した最初の食べ物です。

パンと人間の歴史は、紀元前2000年のエジプトまで遡るようだ。

パン製造工程の遷移。
以前は、この木の桶の中でパンを捏ねていたようで、隣に置いてある機械が、現在使われているパンを捏ねる機械。

パンはまた、キリスト教ではイエス・キリストの体でもある。
食べ物としてだけではなく、宗教、文化、生活の一部として、パンは非常に深い意味を持ち、また身近な存在でもある。

パンはまた豊かさの象徴でもあり、飢餓や戦争によって、パンを手に入れられない状況も度々起こっている。

人々は飢餓に対し、知性で打ち勝ってきた。
気象情報の予測、化学の進歩、蒸気機関の発達により、小麦の栽培やその輸送は画期的に飛躍した。

それでも、全てが解決したわけではない。
それは、貧富の差が生まれてしまったからだ。
写真は、12カ国でどのような物を日常的に食しているかの比較。
国によって、その内容は大きく乖離している。

今もなお、8億2000万人が飢えに苦しんでおり、それは9人に1人の割合だ。
そのうちの半数以上が、戦争や武力地域に住んでいる。

そして、25億人の人々が、健康な発育に不可欠なビタミンや栄養素の不足という「隠れた飢餓」に苦しんでいるという。

2015年、国連加盟国は、世界の持続可能な開発のための17の目標に合意した。
これらの目標は、人々の生活環境を改善し、地球保護を目的としている。

パンを通じて食を考え、その原料となる小麦の栽培、農業へと私たちの視線が向くように展示されている。

最後の展示は、農業に携わっているかたや、専門家のお話を聞けるものだった。
ドイツ特有の問題、世界規模の問題、農業への取り組みなど、様々な立場の方が話をしてくださる。
これは、とても有意義な時間だった。

パンの事を考えると、否が応でも私は日本のお米を思い出さずにはいられなかった。
日本のお米もまた、私達日本人の主食であり続け、またかつては年貢として、金銭と同等に扱われていた。
1993年の冷夏による米不足を思い出す。
輸入米が入ってきたけれど、人々は日本のお米を欲した。
日本人にとってお米は、他の食べ物とは比較できない、別物なのだと実感したのだ。
食べ物は、空腹を満たすだけではなく、文化の一つだ。

この博物館がパン博物館ではなく、パンと文化の博物館である理由は、これだったのだ。

身近な存在であるパン。
しかし、視点を変えれば、地球規模の問題を考えるスタートになる。

たくさんの流通している商品を目の前にした時、私達に何ができるのか。
地球のために、今何をすべきなのか。
そして、何を避けるべきなのか。

この博物館が伝えたかったこと。
それはパンを通じた、日頃の意識の変化なのだろう。

博物館を後にしながら、私はそのように考えた。

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