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【読書記録】世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか/山口周

※2022/07/11 加筆修正

こちらの本を読了したため、備忘録を兼ねて内容についての私見をここに記録したい。

サイエンス・アート・クラフトの三つ巴

本書で特に有用だなと感じた概念として、アート・サイエンス・クラフトという三つ巴の関係性がある。
詳しい説明は本文内に記載しているためここでは省略するが、ごく端的に言えば
・アート=直感
・サイエンス=論理
・クラフト=経験

の3つの思考プロセスが個人、あるいは集団の意思決定においてバランス良く用いられるのが適切である。といった考え方だ。

よりわかりやすく言葉を足すなら、サイエンスは客観的、アートは主観的、クラフトはその中間的な性質をもった思考プロセスであると言えるだろう。

筆者曰く、これまでの日本社会、とりわけ会社などの集団における意思決定プロセスではこのうちのサイエンスとクラフト的側面が重んじられてきた一方で、アート的なオピニオンは軽視されてきた、というのだ。

今、アートが必要な理由

サイエンス的な思考は言語化が容易で、誰もが理解できる上に、再現性が高いため、成功の再生産が可能となる。これはある一時期には大きな力となるが、言語化が可能であるが故に同じ結果が大量に再生産されることになり、ビジネスで最も重要な他との差別化が難しくなっていく。仕方なくスピードやコストといった数値化が可能な、いかにも論理的な差別化を試みれば、いつしか現場は疲労し、重大なコンプライアンス違反などにつながることになる。具体的な例として、DeNAのキュレーション事件が本書には挙げられているが、コストカットと過重労働によって疲弊した現場に起こる事故や事件など、改めて取り上げるまでもなく現代日本では日常茶飯事であるように思う。
この状況を打開するためには、言語化が困難であっても人々の極めて主観的な価値基準、すなわち美意識に訴えかけることが必要であり、そこに必要になる思考プロセスにこそアートが必要だというのが本書の主張であり、要点である。

サイエンスに対して、アートはすなわち直感的な、感性的な意思決定であり、あとになって「どうしてこれを選択したのか」と問われても、「なんとなく」としか回答ができず、多くの人はこれを、『非論理的な決断であり説得力にかける』と思うであろう。本文中の用語を借りるならアカウンタビリティに乏しい。ということになる。サイエンスやクラフト側とディスカッションになれば、真っ先に『根拠に欠ける』と却下されるような意見であることは間違いない。

ところが、日進月歩の技術革新や生活様式の変化に伴って極度に多様化し、変動を続ける現代社会では、これまで重要視されてきたサイエンス的、クラフト的思考だけでは変化に適応できない。現代日本で降りかかるような多因子性の複雑怪奇な問題に論理的正答は導き出すことができない、というわけだ。そこでこそ、主観的な価値基準(=美意識)に基づいた意思決定プロセス、すなわちアートの復権が求められている、と筆者は説く。論理的最適解を導くことができない今、必要なのは意思決定における美意識、つまり主観的なモノサシである、というのだ。これを理解している(少なくとも組織上層部が理解している)グローバル企業のエリートたちは、この美意識を鍛えるためのプログラムにすすんで参加しているそうだ。
これはつまり、グローバル企業のような巨大な組織においても、意思決定プロセスの中で主観的な評価基準の必要性が認められつつある、ということを意味している。

私にとってのアート

本書を読んだことで、研究職として日々サイエンスの只中にいる私の趣味(読書、詩作や写真撮影)や嗜好性(優れたプロダクトデザインやレトリック、メタファー、哲学等)が大きくアート側に傾いていたこともあながち間違っていないのだな、と思うことができた。
無意識のうちに、日常では得ることのできない、アートやクラフト的表現や思考を補完していたのかも知れない。
事実、本文中でも詩や文学に触れることの有用性を説いており、はからずも世界的なエリートと同じ方角を向いていることを面映ゆく感じたりした。

私自身、直感的な判断や思考に幾度となく人生を救われている自負があり、当時の直感を振り返っても、なんとなくとしか説明はできない。しかし、そのどれもが私の人生にとって重要なターニングポイントであったのは間違いない。これまで何気なく継続してきた読書や詩作がその直感の肥やしになってきたのかも知れないと思うと、人生万事塞翁が馬ということわざが身にしみる。

最後に

本書の筆者が説くように、現代社会では様々な情報に恵まれながら、一方でいかに情報を集めようとも論理的最適解が得られない複雑な問題も多い。追い打ちをかけるように、一億総メディア化した社会からは誰もが納得できる思考プロセスの提示(サイエンス的な思考プロセス)が求められており、結果として社会全体で事なかれ主義が蔓延しているように思う。個々人が人生や世界に主観に立脚した美意識をもって立ち向かうこと、そして他人の美意識を安易に損なわないことが現代社会における常識となりうるのかも知れない。

「それってあなたの感想ですよね?」の時代はもうすぐ終わるだろう。

「これが私の感想です。」と胸を張って生きようと思う。


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