見出し画像

短編小説「演劇部にようこそ」


 かつて私のいた世界には、【季節】など存在しなかった。ただ時間だけが流れていく――そんな世界だった。
それはこの残暑も変わることは無かった。何事も起こることなく、ただ早く時間が過ぎてほしい、それが私の唯一の願いだった。


 今日も原点付近で彷徨いながら一日をやり過ごし、帰路へと向かおうとしたその時、君は私の前に顔を出した。
「……僕の恋人になってくれませんか」
 突然、彼の口から言い放たれたその言葉に私は衝撃を受けた。しかも、私は意識的に他人との繋がりを絶ってきたそんな人間だ。どうせ虐めの一環だろう――そう思っていた。
「止めてくれませんか。恋愛とか興味ないし、他人との繋がりなんて求めてないので」
 これが私の出した答えだった。【季節】など無い、モノクロの世界にいた私なりの答えだった。他人に認められる訳もない、勿論それも承知の上だった。しかし、彼は私の予想を軽く超えていた。
「ははは、面白い子だね。名前はなんて言うの」
 彼の笑い方は良くも悪くも異常であり、まるで獣の様だった。
「月島咲良です。名前と性格が一致しない典型例です」
「へえ、そうなんだ。僕は春日伸路、宜しく」
 私は彼の名前など、どうでも良かった。最も気になるのは、私との繋がり、益してや恋人になろう、と彼が求めているという事だった。
「本当にそういうの止めてほしいんで。大体、私と何で恋人になりたいんですか。私と出会った人間は必ず不幸になります、必ずです」
 春日は少しだけ間を置いてからこう言い放った。
「そうか、語弊があったね。実は、僕も虐められているんだ」
「えっ」
 私は思わず声を上げた。
「僕は演劇部所属で、今度文化祭である劇をやることになったんだ。その劇で僕は主役を希望していないのにも関わらず、部員たちが勝手に僕を持ち上げ、主役に決定させられた。つまり、一方的に。だから、君には僕を慰めてほしい。君が同じ境遇に陥っているからこそだ。二人なら怖くない。せめて、文化祭までの一カ月、君には我慢してほしいんだ。きっと、幸せにしてみせる。例え、君に出逢った人間が必ず不幸になるとしても。そんな法則、僕が覆してみせる」
「……分かった。ただ、劇のこと以外では私に関わらないで」
 春日は「うん」と頷くと、私の方を向いた。
「明日の四時半、食堂前」
 私は、心にそっとメモをした。


 翌日、春日は約束の場所にいた。手には台本らしき冊子を持っており、二人分の紙パックが置かれていた。
「どうも」
「まあまあ、座ってよ。月島さん」
 私が向かい側に座ると、春日はテーブルにその冊子を出していた。
「これが台本です。一度読んでみて」
「分かった」
 予め恋愛ものである事は分かってはいたものの、それは夢物語のような話だった。少なくとも、【季節】の無い世界にいる私にはとっては。
脚本に目を通し話の内容をある程度理解した私は、疑問に思った点を幾つか指摘した。
「ここ、学年一可愛いって書いているけど、私で大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。適当にやってれば良いし、ある程度はメイクで誤魔化せられる」
 春日の言葉を直訳すれば、「君は可愛くない。メイクをすればある程度化ける」となるだろう。普通に考えれば、殆ど初対面の女子に「可愛くない」と堂々と言い切れる彼はまさに変人だが、私自身はこれに言い返せず、不思議と納得してしまっていた。
「……で、『恋人役を演じてほしい』って言ってたのに、何で結局恋は叶ってないの?」
 春日は少し黙ってしまった。

沈黙に落ちた。
何も言えなくなった。
どうすることも出来なくなった。
私にはこの沈黙が長く感じた。
きっと、彼も同じだろうか。
「何事も無く、時間が早く過ぎてほしい」
それが私の願いだった。
そんな愚かな私がいた。

すると、春日は私に寄ってきた。
「……仕方ないよ、これが現実。そう簡単に叶わないよね、ははは」
 春日は再び化け物のような笑い声を上げた。
「そうだよね。現実はそんな甘くないよね。それなら、私も春日君も今頃普通に暮らしているはずだもん」
 春日は少し涙目になっていた。私はこの様子を何もせず、ただ見ているだけなのが苦しくなった。私がどれだけ愚かなのか。現実がどれだけ残酷か。そして、私の言い放った言葉がどれだけ人を不幸にしてきたか。
 私は思いを抑えきれなかった。それは、無意識の事だった。正気を取り戻した時、私の手は春日の手を強く握りしめていた。
「行こう」
「……行こう、って何処に?」
 春日は溢れる涙を堪えながら、私に尋ねた。
「決まってんじゃん」

 私の行先は部室だった。一度だけでも良いから、同じ舞台に立つ人達に挨拶しようと思ったからだった。
「失礼します」
 扉を開けると、そこには二、三人の部員らしき人達がいて、手に橙色の冊子を持ち発声練習をしていた。
「神谷真央役の月島咲良です。名前と性格が一致しない典型例です」
「へえ、君が一年の月島さんか。僕は部長の金崎裕。この部活で唯一の二年生だ。宜しく」
 意外と、彼らは親切だった。優しい人に見えた。まるで、春日が虐められているとは思えない位に。
「宜しくお願いします、金崎さん」
「序でに、他の部員も紹介するね。君から見て一番左にいるのが一年の土田君で、右も一年の木原君。後は、副部長で一年の水野って奴がいるんだけど――今日も来てないみたいだね。ま、いいや。――そして、後ろにいる春日君。まあ、五人で仲良くやっているよ」
 余りにも丁寧な自己紹介に、良い意味で裏切られた。完全アウェーを覚悟していた私にとっては、とても有難い事だった。
「――という事は、この部には女子はいないんですね」
 私は金崎さんに尋ねた。
「そうだね。だから、君を誘ってもらったんだ。脚本を書いてくれた文芸部の松田さんがこういう脚本を書いたんだし、この部には女装して化けるような美男子はいないからね」
「なるほど」
「部長、そろそろ脚本の読み合わせしませんか。役者も揃ったので」
 土田が言った。
 この部活は先輩が一人しかいないのにも関わらず、同級生が四人もいて、比較的話し易そうな感じがした。他に女子がいないのが気がかりだけど。
「OK、じゃあ始めよう。皆、台本持って」
 金崎さんの声だった。
「「「「はい」」」」
 この場にいた部員に私を加えた五人は、持っていた橙色の冊子から、この劇の脚本に持ち替えて所定の位置に着いた。
「すみません、今置いた橙色の冊子は何ですか?」
 すると、少し彼らは時間を置いてこう言った。
「……発声用だよ。演劇はこれが基本だからね」
 何かを隠しているような気もしたが、そんな事よりも、早く台本が読みたい。そう、私の心が訴えていた。
「それじゃ、第一場面初めのナレーションの後、二番の台詞からで」
 私は、ずっと止まっていた時計の針がゆっくりと動き始めたような感覚がした。これから、どんな事が起こるのかな。何だか、胸の鼓動が高くなってきた。何もかも上手くいきそうな気がした。
 ただ一つの不確定要素を除いて――。

 初めての練習はとても楽しいものだった。ただ、この【季節】でさえも一か月後に終わってしまう、と思うと少し寂しくなった。
「月島さん、上手だったよ。もしかしたら、演劇の才能あるかもね」
 隣にいた春日の声だった。部活(あくまでもゲスト参加)帰りの夜、九月にもなったというのに、空はさほど暗くは無かった。
「……そ、そんな事ないって。私は部員の皆には敵わないよ。特に金崎さんなんか上手すぎるよ」
「そうだよね。でも、いつか部長を越えられる様になりたい」
 そう言って、春日は空を見上げた。西の空に一番星が見えた。私も立ち止まり、一緒にその景色を眺めていた。
「絶対、なれるよ」
「必ず、なってみせる」
 その時、道端の草むらの陰が不自然に揺れていた。いち早く気づいた春日は、私の手を引っ張り帰路を急ごうとした。
「見られるとまずい。早く帰ろう」
 春日は、何か見えないものに怯えている様にも見えた。確かに、遠目から見れば噂を立てられても可笑しくは無いのだろう。
「分かった」


 事件が起きたのは、週が明けてからだった。それは、私がようやく台詞を覚えてきた頃の事だった。
 登校したての私がいつもの様に教室の隅の特等席に座ると、教室にいたクラスメイトが妙にざわついていた。それが不自然に聞こえたので、私はその声に耳を澄ませた。
「咲良の奴、最近隣のクラスの春日とやたら仲が良いんだって」
「うわ、きもっ」
「春日も残念だな、あんな奴と仲良くする人間だったなんて」
「塵だな、塵」
 私はその言葉に耐えられなくなっていた。【季節】の無いあの世界にいた頃の私なら、どんな悪口でも耐えられていたのかもしれない。でも、今回は訳が違っていた。その悪口の対象が、私にとっての数少ない友達だったからだ。
 私は調子に乗っていたのかもしれない。彼らの言葉を借りれば、彼は塵なのかもしれない。でも、彼を塵なんて言う権利は誰にも無いはず。でも、何故か心よりも体が先に動いてしまったんだ。結果、感情に逆らえなかった私の方が愚かだ。塵だ。
 この事件が起きた現場を改めて観た私は、言葉が出なかった。そして、自分の犯した罪の大きさを知った。私は本当に最悪な人間だ。
 やがて、私には今回の事件を理由にして、一週間の自宅謹慎が言い渡された。


 十六歳の九月、ようやく動き出した私の【季節】は、自滅という形で終わりを迎えた。今日で四日目だ。私の世界は黒一色に逆戻りしていた。それは、私がかつて夢見たあの世界と同じだった。いわば、【季節】など存在しない、ただ時間だけが流れていく――そんな世界だった。

沈黙に落ちた。
何も言えなくなった。
どうすることも出来なくなった。
私にはこの沈黙が長く感じた。
きっと、彼も同じだろうか。
「何事も無く、時間が早く過ぎてほしい」
それが私の願いだった。
そんな愚かな私がいた。

 彼がもう私には欠かせない欠片になっていた。つまりは、私は彼に飢えていた。彼が必要なんだ。でも、私はその大切な欠片を失ってしまった。もう遅かったんだ。もうやり直すことは出来ないんだ――、そんな事が脳裏を過ったその時だった。
 部屋の窓の外から、何処かで聴いたことのある馴染みのある声がしたのだ。
「月島さん、月島さん!」
 視界を遮っていた黒いカーテンをずらすと、下には春日がいた。
「春日君!」
「月島咲良、僕には君が必要だ。絶対に必要なんだ」
 普通の人なら慌ただしい夕方だから、出来ればこんな大声で話して欲しくなかった。でも、私は素直に嬉しかった。そんな彼の言葉に私は涙を抑えられなくなっていた。
「……来週火曜日、部室に来てくれる?」
 私は、その言葉に押されるように、すぐさまこう返した。
「聞かなくても分かるでしょ――絶対行くから。文化祭頑張ろうね」
 彼は「うん」と頷いてから、私に向けて手を振っていた。
 微かな希望が見えたその瞬間、私の【季節】は再び動き出した。


「まもなく、演劇部の劇『プレゼント』の上演が始まります。まだ座席に座られていない方はお早く席にお付きください」
 ざわめきの残るホールに、冷静すぎる放送部のアナウンス――。私は、この場所に立つことの意味を改めて噛み締めた。
結局、この日も水野君は来なかった。ただ、私の気分は最高潮に達していた。
「……始まるよ、皆」
 金崎さんの声だ。
「頑張ろうね、俺達の晴れ舞台」
 土田君が言った。
「木原、台詞間違えんなよ」
「百回位、目通したわ」
 私は、笑いを隠すことは出来なかった。でも、お陰で緊張が解れた様な気がした。
「頑張ろうね、春日君。皆も」
「うん、見せてやろうぜ。最高の舞台を」
 春日君が言った。
「行くぞ!」
「「「「おおおおっ」」」」
 僕らは大きな声を上げた。
「それでは、演劇部の劇『プレゼント』の上演です」
 アナウンスが終わったのを見た金崎さんが合図を送ると、やがて幕が動き出した。

『この春から私立高校に通う大塚優輝は、ごく普通の高校一年生である。しかし、彼のそんな日常は突然終わりを迎えたのである』
 ナレーションが終わると、優輝役の春日が放課後に教室で本を読んでいるシーンが明転される。このシーンが、私が演じる真央と優輝の出会いである。
「こいつ、また本読んでやがる」
 廊下を通りかかった男子生徒が嘲笑しながら、通り過ぎていった。優輝が外を眺めると、雨が降っていた。そして、少し驚いた彼は時計を眺めて時間を確かめる。
「もう六時か、そろそろ帰ろうかな」
 そう言って、荷物の準備を始める彼。そこに真央が現れ、教室に入ってくる。
「やばいやばい、もうこんな時間だ! 早く帰らないと」
「あれ、神谷さん」
 優輝が目を合わせる。
「えっと、誰だったけ。……あ、大塚君か。地味だから分かんなかったわ」
 あくまでも、台本通りの演技だった。
「神谷さんがこの時間に教室に来るのは珍しいね。この時間は大体、野球部のマネージャーの仕事をしているはずなのに。何かあったんですか」
「うん、ちょっと忘れ物を取りに来たの。えーと、傘、傘」
 困った様子を見せる真央。
「探そうか」
「有難う。因みに黒色で、名前も書いてる折り畳み傘だよ」
 真央と優輝は傘を探すが、結局傘は見つからなかった。
「――最終バス出るよ」
 このバスを乗り過ごすと、最寄りのバス停までかなりの距離を歩かなければならない。つまり、このバスを逃すという事は、死を意味するといっても良いだろう。
「……もういいや、傘無しでバス乗り場まで行く!」
 そう言い捨て、帰ろうとする真央。その手を優輝が掴む。
「駄目だって。そんな事したら風邪ひくよ」
「僕の傘貸すから、今日はそれで帰って」
 傘を手渡す優輝。それを拒み、傘を返す真央。
「良いから」
 そう言って、優輝は傘をもう一度渡す。傘を受け取った真央は、彼を掴んだ手を引っ張り、教室の鍵を閉める。その後、相合傘をしながらバス乗り場まで向かいつつ舞台袖へ向かうという流れだ。
 観客がこの様子を見て、当然ながら黄色い歓声を飛ばす。でも、こういう声が上がるのも予定通りだ。舞台袖に下がり、春日が傘を折り畳むと、私は一息ついた。
「舞台はどうだった?」
 春日君が私に尋ねてきた。
「一杯、人が見えたよ。本当に舞台の上は最高だね」
 私は本当に楽しんでいただろう。
「まだまだ続きがある。もう少し頑張ろうな」
「うん」

 その後の劇の流れを簡単にまとめると、
・真央と優輝が付き合っているという噂が立つ
・野球部の斎内君に恋していた真央は優輝を突き放すようになる
・恋心を抱いた優輝は真央との接触を試みるが不発に終わる
・優輝は野球部の試合を観に行き、そこで告白を試みるが結果は最悪の結果に……というものである。

 そして、いよいよ優輝が告白するラストシーンである。
 試合が終わり、真央のいるベンチに向かった優輝が差し入れのジュースが入ったあの紙パックを渡す。
「神谷さん、お疲れ」
「有難う。で、何しに来たの?」
「神谷さんの事が大好きです――その気持ちを伝えに来ました」
 台本では、この言葉に対して『御免なさい』と彼を振る事になっていた。しかし、私はここでとんでも無い事を閃いた。
「私も好きだよ、君の事」
 当然だが、この言葉には観客だけでなく、彼を始めとする演劇部部員は驚くだろうと思った。そんな告白だった。でも、彼ら部員は妙に落ち着いていた。
「雨だった日に相合傘をした時からかな。あれから、妙に君の事が気になったんだ。君の事ばかり考えてたんだ。今となっては、君の存在が僕にとっての励みなんだ。何も変わらない穏やかな日々の中で君に出逢えた事――それが僕史上、最高の『プレゼント』なんだ。だから、神谷真央、僕には君が必要だ。絶対に必要なんだ」
 私は何処か馴染みのあるその言葉を自分の名前に置き換えながら、その言葉を聴いていた。

恋に落ちた。
何も言えなくなった。
どうすることも出来なくなった。
私にはこの沈黙が長く感じた。
きっと、彼も同じだろうか。
「出来れば、時を止めてほしい」
それが私の願いだった。
そんな乙女な私がいた。

 暗転後、私に橙色の台本が配られた。それは、あの発声用の冊子と同じ橙色で、表紙の端には「春日君、告白頑張って! 文芸部松田」という不思議な文面が印刷されていた。私はまるで全ての謎が解けたような快感を覚え、ある仮説を思い浮かべた。
「俺が三四一番の台詞を言うまでに出てこい。早く覚えろよ」
 そう言い捨てて、斎内君を演じる金崎さん達が舞台に向かった。

 舞台は大盛況だった。出来たての友達から良い評判を貰えて、私は本当に嬉しかった。
 私達は部室に戻り、片づけを始めた。私は、先程の仮説が正しいか証明するために、春日君に声を掛けた。
「春日君。これは私へのサプライズだったの? 私に告白するためだけに初めから台本を二種類作って貰っていたの?」
「そうだよ。部長にも、脚本を書いた子にも。他の皆にも。皆で考えてくれたんだ。騙してごめん、悪かった」
 私は、そんな春日を力の限り抱き締めた。
「いいよ――寧ろ、楽しかったもん」
「でも、月島さんにあんな事言われるとは思ってなかったけどね――前から練習していて良かったよ」
 そう笑う春日を見て、私も少し顔に笑みを浮かべていた。
「月島さん、次も僕の恋人役を演じてくれますか」
 私は春日のその言葉に迷うことなく言い返した。
「恋人役は丁重に断ります。……だって、恋人役なんかじゃ足りないんだもん」
「えっ」
 春日は一度驚くと、私の方を見てあの笑顔を見せた。
「私は伸路君と恋人になりたい――それ位、君の事が好きになっちゃったんだ」
「ははは、良かった。有難う」
 その手に力を込めた。
「……瞳を閉じて」
 春日はそのように私を促すと、少し時間を置いた。正直、この時の私は甘い口づけを覚悟していただろう。しかし、現実は軽く想像を超えたのである。
 春日が私の肩を優しく二回叩くと、私は再び瞼を開けた。
「演劇部にようこそ」
 私が演劇を通じて出逢った沢山の『プレゼント』――夢、希望、友情、感動、勇気、そして、恋――。ここに、私の青春の全てがあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?