【ニュータイプが予見した現代社会】
宇宙に出た人類は、
その広大な空間に適応するために
あらゆる潜在能力を開花させ、
他者と誤解なく分かり合えるようになる。
「機動戦士ガンダムUC」/サンライズ(注1)
機動戦士ガンダムシリーズに出てくる
概念「ニュータイプ」の定義(注2)である。
作品によって描写が異なるが、作中の主要人物が
持っている超能力(テレパシーなどに近い)であり、それにより主人公たちはガンダムで戦場を戦い抜くことになる。
そしてその能力ゆえに登場人物たちは本来交わることのない敵対勢力の人物たちと心を通わし邂逅することになるのだが、その結末は悲惨なものになることも多い。
「機動戦士Zガンダム」(注3)では主人公カミーユ・ビダンが敵の首領の一人、ハマーン・カーンと能力が発現したことでお互いの心象風景を共有するが、分かり合えることはなくむしろ拒絶されてしまう。
「機動戦士ガンダム逆襲のシャア」(注4)でも終生のライバルであり、かつては友人だった時期もあった、アムロとシャアは結末までお互いを罵りしりあいながら物語から退場する。
そう、ガンダムでは超常の力であり、お互いが分かり合えるはずのニュータイプの概念を持ち出しながら「人はそう簡単に分かり合えない」という結論が描かれることが多くあるのだ。
子どものときは「えらく暗い描写だな、そんなものなのかな」と観ていたが、大人になり、この描写は非常に的を得たものであったと認識を改めるざるを得ない。
未だニュータイプのような能力は現実では表れていないが、現代社会では人の思考が電脳世界に溢れ、他人の考えや思考にアクセスする機会が容易に増えた。
これにより、人々はお互いの思考・思想に触れ、
そして理解し合えることが期待されていたと思う。それこそニュータイプのように。
しかし現実はそうはならなかった。
もちろんネットそしてSNSの発達により
社会では自分の思考や発言を発信する手段は増えたが、むしろ人々はそう簡単に理解し合えないことが、浮き彫りになった。
今日も誰かが、他の誰かとネット上でレスバトルをしている。報道や誰かの発言は捻じ曲げて解釈され、炎上が起きている。
他人の心の中が見えてもわかり合えるわけではない。結局はそう簡単なものではなく、お互いを尊重しつつ、少しずつ歩み寄るしかないということなのだろう。
(注1)
http://www.gundam-unicorn.net/
(注2) 「ニュータイプ」の概念や能力の幅は作品や作者によって、解釈が多様化されており、一概に定義できるものではない。
https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97
(注3)
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