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内向的な気質と劣等感

内向的な人間は、子どもの頃に「内向的であること」について何かしら指摘された経験があるかもしれない。私は潜在的に「内向的であることは悪いことだ」というような意識があった。

以前X(Twitter)で「美術ができない子どもはコンプレックスを感じないが、体育ができない子どもはコンプレックスを感じやすい」というような旨の投稿を見かけたが、それに通ずるようなものがあると思う。

私も子どもの頃は教室で絵を描いたり、絵を描かなくとも教室で遊ぶことが好きだったが、どういう訳か担任から「外へ出て遊びなさい」と叱責された記憶がある。

冬にはなぜか行間休みには「持久走」があった。「休み」というのに持久走とはこれいかに、と考えた。児童の健康を図るものであったとしても、体育の授業として持久走をやるのでは駄目なのかと思ったものだ。

これは私の学校だけだったのかもしれないが、休み時間に図書館へ行くことを揶揄する教員すらいた。むしろ褒めるべきではないかとすら考える。

とにかく「子どもは外で遊ぶことが善、教室や図書館で過ごすのは悪」というようなよくわからない指導のもと、「内向的な人間性は悪いこと」というような価値観が潜在的に幼少期から植え付けられるのは如何なものかと思う。

内向的な人間は、内省が得意だ。そして1人でいても充実感を得ることができる。自分が起こした失敗を反芻して考え、次に生かすこともできる。内省ができない人間もいる中で、これは才能のひとつと言っていい。