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当たり前だけど日記って創作活動じゃないよな、や~めた。

 当記事には、今、毎日の日記やnoteを続けられている方のこころをポッキリ折ってしまう文章が含まれている可能性がございます。

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 一ヶ月という短い期間日記を付けてみたが、考えあってそれをやめようと思う。(というか今月に入ってから既に全然やってない)
   その理由は、日記、少なくとも俺が今まで書いてきたような形態の日記は、自分がやりたいと思っていた創作活動とは違うと感じたからだ。

 日記というのは基本的に、その日あった事を振り返って書くことだ。見たものや読んだ作品の感想であったり、出会った人、訪れた場所、そこで考えたことの記録。そしてそれらを振り返りながら思う事を少し書いたりする。これはなんとなく過去的な活動であり、未来の事象に向けての働きかけが薄い。それを強く感じたのは、何も無かった日ではなく、何か特別な事があった日だった。

 何も無かった日には、自分の中から絞り出した文章で日々に何か新しい価値を与えられている気がした。普通に暮らしていたら気づかない所に、価値を見つけて文字にすること、まだこれはまあまあ創作的な活動だった。
 しかし反対に、特別な事があった日は、その日の事を書く事で、その日の経験や思い出から今後生まれる可能性のある、感情や行動を、全て1つの文章で押し込めて確定してしまっているような感覚があった。体験したことを一から十まで全て書けるわけでもない。あった事を都合上無かった事にしてしまうことや、これからあるかもしれない事を限定させてしまうことは、創作活動とは真逆のことのように感じた。

 とはいえ、こうやって一ヶ月続けたことで自分の現状がしっかりと把握できたことは、意味のある事だった。自分がいかに凡庸な半グレカスニートで、ちょっとばかり文字数を稼ぐのが上手いだけの知識も経験も思慮も浅い浅い生熟れのションベン小僧だということが分かったんだ、かなりの成果だ。しかしそれを改善していくためには、日記を付けていることはむしろ邪魔だと思うようになったのだ。
 成長記録を書くにしても自分はあまりに未熟で、未完の自分をネットにさらす事はネガティブな感情を引き起こす。完成した物や思考だけを見てもらいたいと願うのは当たり前だろ。皆そうかもしれないけど、だからなんなんだ。俺には俺の痛みがある。

 思い知ったのは、俺の大好きな、欠損があるから美しい人や、完璧じゃないからこそ頑張れている人達は、自分とは違ってその動態として既に完成していたのだということ。
 今まで大した創作物を生み出した経験の無い俺には、基盤が無い。パーツだけの疎らで歪な空中配線であり、その一部が何とか通電しているだけで、まだ全てのランプを光らせることは出来ない。どこか落ち着く場所が必要だ。創作を進めてひとつでもしっかりとした完成品を持たなければいけない。自分の拠点となるその上にパーツを増築していくことで初めて未来的な光る活動に繋がる。


 とまあここまで全て長い長い言い訳だ。大体たかが一ヶ月で何が分かるというのだ。生来ズボラな性格の俺には、毎日決まって何かをするというだけがストレス過ぎた。それだけのこと。情けないがギブアップだ。日々の記録や鬱憤を晴らす場なら、Twitterで充分。noteは長めの文章に書き起こして整理したいことがあった時に使うぐらいが、自分には合っている気がする。
 てか単に、一度学校辞めた時からずっと周期的に続いてる、軽い躁鬱の、沈みに入ってるだけかもしれないな。今途切れさせた事が失敗体験となって今後俺を苦しめるかもしれない。でもまーいーやー。ぽーい。

 ということで一旦は日記という形の投稿はやめる。考えが変われば、また突然始めるかもしれない。noteは人の日記を見るの好きだし、文章を書くことも、スキ貰うのも嫌いじゃないので、別の形で続けることにする。いわば再スタートってわけだ。(今までの日記を消したりはしないよ。)
   頻度を下げる分、おもしろい投稿ができればいいけど。値上げして内容量減ったどっかの商品みたくはなりたくない。

 とりあえず、ゲーム作りたいなと思って書き溜めてた厨二臭いシナリオ使って何かやってみようかな〜。そういやシナリオ書いてて、自分の文章力の無さに気づいて、なんか練習になること無いかなーってnote始めたんだった。忘れてたな。

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