裁判官もやっぱり人間なのだ。「裁判官の爆笑お言葉集」を読んだ。
「裁判官の爆笑お言葉集」 著:長嶺超輝
この本を手に取った理由、それは間違いなくタイトルである。
「裁判官」と「爆笑」
である。
お堅いイメージが付きまとう「裁判官」が発するお言葉には、実は「爆笑」してしまうようなものがあるという大きなギャップ。
これに魅力を感じないわけにはいかない。
でも、この本を読んだわたしは「爆笑」できなかった。
「クスッ」と笑えることはあった。
あとは「なるほど」とか「ほー」とか「へぇー」とか。
笑うより、その言葉の裏にある背景、つまり裁判が行われるに至った事件や被告が置かれていた環境など、考えさせられる事が多くあった。
わかったのは「裁判官もやはり人間」である。
ということだ。
ロボットやAIが裁判の判決を判断しているわけではないので、それは当然のことなのだが。
裁判ではどのようなことが行われているのか?
幸いにも裁判に出席するという機会には恵まれず、せいぜいテレビドラマや映画のワンシーンでしかその様子は見たことはない(かなりデフォルメされているかもしれない)。
そして登場人物は、どちらかというと、裁判官よりも弁護士や検事が主役である。
だから、有罪か、無罪か、を判定する裁判においては一番重要な存在なのに、どのような人物なのかもよく知らない。
冷静でストイックであらゆる環境にも左右されない、体の中心にしっかりした芯がいっぽん通ったような人間なのだろうというイメージである。
ましてや、プライベートでさえ爆笑できる冗談など、口にすることさえ無いのではないか?
しかし、この本を読んで、裁判官もやっぱり人間なのだ。
本当は押しとどめなければならない自らの感情が、思わず言葉として表に出てしまうのだ。
それは、被告に対して、時には「死しか値しない」と厳しく突き放すように。時には、被告に寄り添うように、今後の人生の歩み方をアドバイスするように。
そして、ついつい、感情が高まって行き過ぎた失言レベルな内容まで披露される。
この本は著者の裁判官に対する愛情の深さ故できたのだと感じる。
著者は弁護士を目指し7回受けた司法試験が不合格。それに懲りて裁判傍聴に通い続けたという。
裁判官は被告の人生を決めるというプレッシャー(時には死を宣告するというレベル)もあるだろう。
長い裁判の末、考えに考え抜いた末の判決を決めるということは過酷なものだ。
今後、もしかしたらAIが裁判を行うようなSF映画に出てきそうな世界になるかもしれない。
そうするとこの本にあるような裁判官の愛のある発言は聞けなくなるだろう。
でもやはり人間は人間が裁くのがいちばんいいと思う。
裁判を知るために傍聴に行ってみる事はできる。
でも、裁判官からの愛情あるお言葉を、直接自分自身に投げかけられるとしても、はやり自身が出廷するようにはなりたくない。
3D Animation Production CompanyによるPixabayからの画像
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