超有名ピアニストだったが、今では無名な人物が残した「第九」。ベートーヴェン「第九」初演200周年(2024年)
「ベートーヴェンの交響曲全曲をピアノ1台で演奏するための編曲」を行ったことは、フランツ・リストが残した大きな業績のひとつである。
それにはもちろん「第九」も含まれている。
しかし、リストが編曲を行うより前に「ベートーヴェンの交響曲全曲をピアノ1台で演奏するための編曲」を行っていた人物がいた。
その人物とは、フリードリヒ・カルクブレンナー(1785~1849)である。
残念ながら、現在においてその名がよく知られているとは言えない人物である。
カルクブレンナーは多くの作品をこの世に残した作曲家なのだが、それより注目されるべきことは、リストやショパンが登場する以前、彼はヨーロッパにおける「超有名ピアニスト」であったことだ。
ショパンはカルクブレンナーの演奏を聴いて大感激して、彼の弟子になろうと考えていたという。
事実、ショパンは自身の「ピアノ協奏曲第1番」をカルクブレンナーに献呈したほどである。
(しかし、ショパンはカルクブレンナーの弟子にはならなかった。)
そしてリストは
「超有名ピアニスト」であったカルクブレンナーの存在を。
「ベートーヴェンの交響曲全曲をピアノ1台で演奏するための編曲」をリストに先駆けて行った彼のことを。
そして
その作品自体のことを
当然知っていたであろう。
でも
リストは、すでに存在していたカルクブレンナーのアイデアとその作品と同じことを、リスト自らの手で、リスト自身の別の作品として再現させたのである。
その理由は、ベートーヴェンへの尊敬の念が高まって、ピアノ編曲というリスト自身の手法を介して、この偉大な作品たちを世に送り出したいと思ったからであろう。
そしてもう一点
カルクブレンナーが行った編曲が、リストにとって、とても不満に思ったからなのではないだろうか。
カルクブレンナーは「超有名ピアニスト」だった。
リストもピアノの名手だったが、リストに付けられたあだ名は「ピアノの魔術師」である。そして「ピアノ編曲の魔術師」と呼んでもいいほどの編曲の名手なのである。
「俺ならもっと、ベートーヴェン本来の作品をピアノで演奏するにふさわしい編曲がをできるぜ!」と心の奥で呟いた、のかもしれない。
リストはカルクブレンナーとは違い、今なお多くの作品が知られていて、演奏されているのである。
(ただしリストは、「第九」だけは、最初2台のピアノ編曲にしかできなかった。1台ピアノにするためにはそれからかなりの時間を要したということでは、カルクブレンナーに軍配が上がるのかもしれない、が、リストはそれだけ完成度を追求したとも言える。)
残念ながら、現在においてその名がよく知られているとは言えない人物であるカルクブレンナー。
現代になって、彼の編曲した「第九」が発掘され、演奏され、録音もされて残るようになったのは、わたしのように未知の音楽に興味を持ち、ベートーヴェンの作品が好きな人間からすると、とてもありがたいことだ。
今では有名なリスト版と違うことは、当時は全く知られることなくお蔵入りとなったワーグナー版同様、第4楽章に声楽を用いたことだ。
しかもその歌詞は、ドイツ語ではなくフランス語で歌われることが興味深い。
この編曲を行った際、カルクブレンナーはパリを拠点として活動していたため、フランス語版を引用したのであろう。
いつも聞きなれたドイツ語での歌唱と大きく違う。発音が堅いドイツ語に比べて、やはりフランス語は柔らかく聞こえる印象だ。
そして、ピアノ編曲のほうはどうか?
さすが「超有名ピアニスト」であったカルクブレンナーである。かなりの超絶技巧が使用されているようで音数も多くて華やか。オーケストラで音を長く伸ばすところを表現するトレモロも多く、長く聞こえる。
とはいえリスト版に比べると不自然にも聞こえる部分もあって、これはピアノで演奏するために無理やり音を作っているとか、演奏できないので音が抜けざるを得なくなっているのではないかと思える。
ピアノ作品として聴くのであれば、やはり生み出すまで時間をかけたリスト版が自然に聞こえるようだ。
このCDは、ゴールデンウイークの東京でも開催される「ラ・フォル・ジュルネ」の本家、フランスのナント市で開催された演奏会のライブ録音。
フランス語歌唱だが、合唱団はロシアの合唱団が歌っていて、柔らかいフランス語であってもなかなかパワフルだ(ライブということもあり、ちょっと粗さも目立つが)。
ピアノでは、広瀬悦子の超絶技巧が堪能できる。
いつか生演奏で聴いてみたい。
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