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クリスマスに救急車で搬送され、入院した話。

前日のクリスマスイブはそれはそれは楽しんだ。
想像の3倍のスピードで走るラジコンを親も含めて3人で電池が切れるまで走らせた。
実際の車の運転よりも難しい操作。

結局、息子は前進と後退を繰り返す初心者に終わった。教習所にもそんなやつおったな〜と思った。

ママはドリフト走行で障害物(ティッシュ箱)を避けて走らせて息子に黄色い歓声をあげさせた。満足である。

パパもバック走行でS字にブイブイ走りすごく興奮させていた。アンタは逃し屋か。


だけど昼頃から異変が起きた。
息子がご飯を食べたくないと言う。
だがケーキは食べた。
しかもりんごも残した。

その後パパと近所の公園に少しだけ外の空気を吸いに行った。私は風邪も治ったばかりだし短時間で切り上げてねと念を押した。なんなら行かなくてもいいよとも言っていた。

15時頃帰宅。寒いと言って震え出した。
熱が出る前兆だな〜と思い厚着させて抱っこして毛布を巻く。

お風呂を沸かして順番に入る。
M-1が始まる頃には38.5℃になった。
頓服のカロナールを服用した。
夫は私が止めたのにも関わらず外に連れて行った後ろめたさから「救急行こか?」と言ってきた。

「いらん、いらん。息できへんとか縫わなかあん怪我の時なら行くけどな、あそこはろくに検査も出来んし医師は当番制やから小児科医ちゃうねん。そんで薬も貰えて1日分やぞ。非効率やしM-1見てから寝ぇ。明日、小児科連れて行くわ。夫が体力落とした方が困るねん。」外に連れて行くなと言えばよかったと後悔した。

そして眠った。

私も万が一に備えて一緒に眠った。
ここで眠っていて本当によかった。

遠くで夫の小さく笑う声が聞こえていた。
M-1が終わった音が聞こえた。
22時頃である。

一度起きて息子の体温を確認すると
40℃を超えていた。
あぁまたか。しんどいなぁ…。(親も)
今月3度目の40℃越え。

明日の朝イチでかかりつけ医に診てもらおうかと言い再度眠った。
7:30に並んで8:30受付でその後いつになるかわからない順番を車の中で待つのだ。しんどい。

帰りはいつも昼頃になる。
胃腸に問題がなければハッピーセットを買って帰る。私も何かしらのセットを購入する。
こんな時くらい許して欲しい。
朝から並んで待っての連続。
なにも作る気力がしないのだ。
洗い物すらしたくない。

そんなことをぼんやり考えながら横になる。
あ、財布どこやったけ…。
と眠りに落ちた。


午前3時。
夫が私を起こしにくる。なんやなんや。
「熱は相変わらずなんやけど…足がピクピクしてて…いつもこんなことないんやけど、変な感じがある」
パパの勘も当たる。
医療経験が長い分、ママの勘よりも当たると思う。そして息子はパパといつも一緒に寝ているのだ。
私は眠りが浅すぎて基本息子とは眠れない。

私も息子の様子を確認する。
確かにおかしい。
いつもと違う。
あ、朝まで待ったらあかんヤツや。

私は夫と顔を見合わせて「うん、これは救急車かな」と夫婦で意見が合致。

夫が救急車を呼んでいる間に高速で身支度をする。着替えて眉毛だけ描いて母子手帳など必要物を用意する。

私が付き添う。
最悪、入院になると思った。
でもパニックの末、救急車を呼ぶよりはいい。

何もないならそれでいい。

今月初めから繰り返している高熱の経過
それぞれの検査結果に処方薬
全部を把握しているのは私だ

急いで荷物と貴重品を詰める
やっぱり財布がなかった

2分で着くと言われた。
ここで〜す!と分かるように玄関のドアを
全開にしておく

私が財布をワチャワチャと探している間に夫は息子に厚着させる。結局夫の財布から3万円抜き取りポケットに突っ込んだ。

あっという間に救急車が到着した。
夫になんかあったら連絡するから横になっときよ。と伝えて自宅を出た。

救急車に乗り退院の方に
「〇〇か〇〇で!」と言う。
タクシーちゃうねんぞ。
行き先を指定すな。
でも救急隊もその2つしか選択肢がないと言った。
そして近い方に搬送される。

毎回思うのだが救急車めっちゃ速い。
あとめっちゃ揺れる。横揺れ。
息子のことで同乗するのは2度目だ。
前回は頭から血を流していた。

仕事では何度も乗っている。
もう何度乗ったか分からない。

ラジコン並みにブイブイ走ってくれる。
もともと早朝に近い深夜のため車が少ない。
いつも15分かかる大きな病院まで6分で着いた。

病状と経過を説明しながら横目で
救急車の中のモニターを確認する

脈が160を越えていた
そしてSPO2は時折90を切ってしまう
その度に「僕!しっかり息吸って!目開ける!」と隊員さんに声をかけてもらった

万が一に備えてアンビューとAEDが開封されていた

病院の救急受付をしてる間に救急隊の3人は帰っていった。

別れ際に隊長らしき人に「ありがとうございました」と言えてよかった。

小児科医が全身をくまなく診察する
インフルエンザとコロナの検査もする。
尿検査もする。体温は高いまま。

免疫系の病気の検査項目も追加してもらった
繰り返している高熱の原因が毎回違う風邪ならいい

そうじゃないなら困るからだ

30代らしく落ち着いた母親のように
若めの医師に今までの経過を伝えた
時系列に沿ってそのままカルテに記載できるように説明する

「途中お母さん、もしかして同業者(医者)ですか?」

「いえ、私はコメディカルですので…小児分野は難しいですね。ホンマ分かりませんのでよろしくお願いします。」

「僕からしたらプシコの方が難しいですわ〜」

と、おや?このまま帰れる流れかな?とちょっと期待した。

それじゃ検査結果出るまでちょっと席外しますね。と退席していった。


突然のことだった。
8:30頃息子が「キャァーーーー!!!!」と高い声の大声で泣いた。

「足が折れるーーーー!!」全身硬直の痙攣が起きた。ガクガクと手足が大きく動いていた。

私も、お、おわ〜!!っとなり
診察室から裏口(病院内部に向かって)を開けて「誰かーー!!」と100m先にいる人にも聞こえるくらいの声量で人を呼んだ。

5秒くらいですごい人数がきた。
さすがER。逆に今までどこにいたんだ。
いわゆるコードブルーの現場。
でも山Pみたいな医者いない。

何人かの人が優しく息子に話しかける。
全員平静を装ってはいるがドキドキしている。
全身を冷やすためにアイスノンを至る所に仕込まれる。

私はビクンビクンと跳ね回る息子のお腹のあたりをさすりながら「大丈夫やで〜ここ病院やから何かあっても大丈夫やで〜。」

数分間隔で何度も釣りたての魚のように跳ね回る息子。
熱からくる不随意運動といって自分の意図しない筋肉の動きでこうなってしまう。もしくは熱性痙攣だ。

恐怖で息子は泣いていた。
「ママーー!!」とずっと叫ぶ。
少ししてから
「…パパ呼んで!」と息子が強めに訴える。
息子よ、ママだけじゃアカンのか。

でも仕事に行ったはずのパパから結構な頻度でLINEが入っていた。

パパも心配なのだ。
息子の痙攣絶叫動画を添付してパパを召喚することにした。

でもその日は職員が少なく抜けずらかったはずだ
勤務表は私もざっと見て大体覚えている

夫は上司に相談して「…息子が」と言った時点で
「行ってやれ、早く。」と送り出してくれたらしい
でも病院に着いたのは昼前だった

その間もこのまま死んでしまうのではないかと思うほど跳ねていた

そして検査結果が出てインフルエンザA型だった。ちなみに私も夫もA型だ。最近血液型占いなくなったなぁ。

処置室に小ぶりのマグロがいた
活きのいいマグロが跳ねていた

正直、怖かった。
我が子だからそう思ったのかもしれない。
職員として対応してた時はすぐに時計を見て発作時間を測り観察項目を診ていた

パパが来た時息子は両手をあげて
「パパ…!!」としがみついて泣いた
パパっ子極まれり。
付き添い入院はママになるぞ、すまんね。

もしも、かかりつけの小児科に行っていたら
待っている間の車の中で
跳ねる熱マグロになっていたはずだ

あんな所で「だれかーーーー!」と呼んでも
クリニックには聞こえないし助けも来ない
ゾッとした

親の勘を信じよう。


小児科の病棟に息子を抱っこして移動する。
パパとは処置室でお別れだ。
今生の別れの様に手を握り合っていた
恋人か。ちょっと面白かった

ベッドに横になりモニターをペタペタと貼られる
私は病棟の設備の説明を受けた
磁石のようなツマミがついたシールに小型のモニター。
磁石のツマミをみて
「乳首増えたなぁ」と息子。
どこで覚えた。乳首って…アンタ…

その間に入院の手続きを夫がしていた

そして荷物を取りに行く為、夫婦で一度自宅に戻った


急いで荷物やらを詰めていた。
大きめの鞄を5つ持っていた。
夫に「アラスカでも行くんか…?」と笑われた。

オムツとかも持って行かなアカンのでかさばる
息子の服も洗濯出来ないからかさばる

長くて1週間程度だと思っていたが結局1泊2日になった。

重かっただけ。

化粧品とかスキンケア用品要らなかった
ぶっちゃけ歯ブラシだけでいい
備え付けのハンドソープがあれば顔も洗えるし

シャワーは浴びる暇もなかった

もし浴びれる暇があるなら石鹸だけでいい
ドライヤーもいらない
病室はめちゃくちゃあったかいし
乾燥しているのですぐ乾く

引かれるかもしれないがその気になれば風呂くらい1週間入らないでも平気。
顔洗ってれば割と清潔。

アホほど黒いNPOで働いてた時、電車がなくて帰れない仕事が続いていて時期には机の下鞄を枕して眠っていた。簡易のベッドは先輩が使う。次はソファー。すぐ辞めた。

しかし息子はそうはいかない。
着替えを取りに帰っている間にオムツから尿が漏れたらしく、オムツいっちょで寝かされていた。


Switchと充電器はマストアイテム。
大病院はWi-Fiがフリーで使えるが若干弱めでよく動画が固まっていた。

お茶や水は給茶機が使い放題だった。
私が急いで詰めたものは病院の売店に大体売ってた。お茶とか持って行かんでも良かった。

結論、スマホとお金と充電器とSwitchと衣類だけでよかった。

大量の荷物を抱えて息子の病室に戻った。
スースーと眠っていた。
魚の子から人間の子に戻っていた

看護師さんに「息子くん粉薬はいつもどんな感じでのんでます?」と聞かれた

昼薬を飲ませてくれた時、粉のまま入れて水でスッと飲んだらしい

家では「いつもお薬飲めたね」的なゼリーがないと嫌がるのに。

その看護師さんには「いつも、こう(ドヤ)」と唇を粉まみれにして鼻の穴を膨らましていたそうだ
めちゃくちゃ背伸びしている


その日の夕食はほぼ食べられなかった息子
水もほぼ飲めてないし熱もまだ40℃あった
心配で気になったが私の方はあり得ないほどお腹が空いていた

久しぶりの食事。
そして売店で買ったどん兵衛(大)とでっけぇおにぎり(売れ残っててこれしかなかった)を食べた
インスタントと炭水化物なんてそんな危険な組み合わせダイエット中にも関わらず止まらなかった

食わなきゃやってられない
塩分とか知らねぇ〜!気にしてられっか。
マッサージもしてる暇ない。

親が元気じゃないと付き添いなんて出来ねぇ。
売店の品揃えは病院仕様だった。
入り口にスリッパ売ってるコンビニなんて病院くらいやん。

夕方と、夜間に6時間をあけて坐薬を2度いれてもらったしかも2錠。

私が息子のオケツの両側を持って広げて看護師が入れたら締めるの繰り返し。おしり探偵がふと頭によぎる。疲れている。探偵のお口から坐薬が飛び出さないように15分は確認する。

明け方にやっと38℃台になり、息子も何度か起きていた。目が覚めるたびに「足折れてない?」と確認された。「折れてないよ、大丈夫だよ」と答えると眠るの繰り返しだった。


朝食が運ばれてくる頃には微熱に下がった。
ホッとした。
そして同じ頃、私の頭がカチ割れそうに痛むようになった。息をするだけで血管が脈打つのが分かる。

タ…タミフルが欲しい。予防投与させてくれ…。
でもこの病院で手に入れるには選定療養費7,700+診察台+初診料+薬代…ざっと15,000円とみた。
いらんいらん。48時間以内に退院して近所の内科で診てもらえば1,980円くらいだ。

息子の退院の話を主治医に相談した。

意識もはっきりしているし、少量だが食事も口から取れるようになっている。
そして付き添いの私が感染している以上、小児科としては早く出て行ってほしいに違いない。

そして今回の原因と今後の方針の説明を受けた。
熱マグロになる心配もないし退院の許可が出た。
年末ということもあり退院時処方は多めに出してもらうようにお願いした。

年明けにもう一度検査結果も見て確認する予定だ。


【教訓】
来年はインフルエンザの予防接種に行こうと思う
まだ重症化する年齢だったのに
なぜ油断したのだろう

保育園も大規模で人数が多いのに
他人よりも熱が出やすい子なのに
活発に見えてすぐに倒れる子なのに
クラスで1番背も小さい子なのに

赤ちゃんから2才までは風邪ひとつひかなかった
私と2人きりの公園遊びばかり
電車を眺めて草花を摘んでボールを追いかけて
鳩に驚き犬にビビりまくっていた息子
砂をさわって虫が出てきたらウワー!っと
泣いてしまう危なっかしい存在だったのに

あの時は病気ひとつしなかった
人との接触がタブーだった時代というのもある。
マスクが必須。
世の中のママさんは消毒液を持ち歩いていた

保育園の洗礼以上の病気をしている気がする
もはや罰のように思える
健康な日の方が少ない
こうして免疫を獲得できるのか
体力がつくのか
これだけ医療が発達しても全部の病気を防げるワクチンは存在しない。

コロナのワクチンを打ったが夫はガッツリかかった
家族の中で誰よりも多くの回数打っているのに、家庭内で療養しても私も息子も罹患しなかった

もう冬場は保育園行かなくていいんじゃないか
そういう訳にはいかないのだけど
病気ばかりでもう疲れてしまった

毎日元気に登園して無事に帰ってくる
そんな当たり前だけどそうじゃない生活が
途方もなく遠い道のりのように思えた


結局15時頃全ての会計や退院時処方の薬をもらって病棟の看護師さんに挨拶して帰宅した。

その足で私は近所の内科で「みなしインフルエンザ」判定でタミフル5日分とカロナールとアレルギー薬をGETした。

熱も微熱だけど多分これから上がってくるのかな?と思ったが軽症で済んだ。
きっとどん兵衛とおにぎりのおかげだ。
非常時にあったかい物が食える奴は大体生き残る。

そして選定療養費を支払わずにすんだ差額でハッピーセットを買って帰った。もう息子はすっかり元気だ。夫はビックマック。私はグラコロでそれぞれを癒す。


息子は年末まで自宅で療養するよう言われた
度重なる病気で体力も落ちている
今年いっぱいはステイホームだ

人混みの初詣も避けたい
外に連れ出したがる夫に冷たくしてしまう
「今度こそ殺すぞ」と喉元まで出掛かってしまう

子どもの病気の時、親は冷静さを失う
たぶん、みんなそう。
小児科でテンパってるママさんたくさんいる。

余談だが入院した昼頃、通っている保育園に
欠席連絡を入れた
「え?息子くんも?!今日3人しか来てないんです!みんなインフルエンザでお休みなんです」

来ている子が3人…。絶句した。
担任の先生は無事だろうか。

先週、木曜日にサンタ会があり、金曜日には近くの中学生との交流会があった。

あ、感染源はそこかなと思った。
多分先生もそう思っていると思う。

園児からなら順々にかかっていくから、一気に休むということは外部の菌…!!と探偵のようになっていた。

冬のイベントはマスク着用させたい。
コロナで世の中が大混乱の時は
それで防げていたんだ

インフルエンザが流行ることがなかった
防げる病気なんだよな


以上がここ数日間の我が家のバタバタ日記
疲れたのでゆっくり眠りたい

#子どもに教えられたこと

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無印良品のポチ菓子で書く気力を養っています。 お気に入りはブールドネージュです。