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「生き方(著:稲盛和夫)」を読んでみた


本書の要点

  1. 強く思い、実現を信じて前向きに努力を重ねていくこと。それが人生においても、また経営においても目標を達成させる唯一の方法であると言える。

  2. 懸命に働き、まじめに一生懸命仕事に打ち込むことによって、精神的な豊かさや人格的な深みを獲得することができるし、趣味や遊びからは得られない、心からわき上がるような喜びを味わうことができる。

  3. 己のためだけに利益を求めるのではなく、周囲や社会にもよかれと思うことを損してでもやるべきである。その利他の精神がめぐりめぐって自分にも利をもたらし、またその利を大きく広げもするからだ。

要約

思いを実現させる
求めたものだけが手に入るという人生の法則

Ingram Publishing/Thinkstock

世の中は思うようにならない―私たちは人生で起こってくるさまざまな出来事に対して、ついそんなふうに見限ってしまうことがある。しかしそれは、「思うとおりにならないのが人生だ」と考えているから、そのとおりの結果を呼び寄せているだけのことで、その限りでは、思うようにならない人生も、実はその人が思ったとおりになっているといえる。
不可能を可能に変えるには、まず「狂」がつくほど強く思い、実現を信じて前向きに努力を重ねていくこと。それが人生においても、また経営においても目標を達成させる唯一の方法である。

京セラが、IBMから初めて大量の部品製造の発注を受けた際、その仕様は、寸法精度を測定する機器すら当社にはないほどの厳格さで、開発は困難を極めた。
しかしこれは稲盛氏の常套手段で、創業当時から、大手が断った高度な技術水準の仕事をあえて引き受けることで仕事を取ってきた。引き受けた時点では不可能だと思えることも、最後は神が手を差し伸べてくれるまで必死の思いでやり続け、ついに完成すれば、安請け合いという嘘は実績という真実を生んだことになる。自分の能力は未来進行形で考えて仕事を行うべきだ。

夢を抱けない人には創造や成功がもたらされることはないし、人間的な成長もない。夢を描き、創意工夫を重ね、ひたむきに努力を重ねていくことで、人格は磨かれていく。そういう意味で、夢や思いというのは人生のジャンプ台である。

原理原則から考える

>迷ったときの道しるべ「生きた哲学」

私たちはともすると、物事を複雑に考えすぎてしまう傾向がある。しかし、物事の本質は実は単純なもので、いっけん複雑に見えるものでも、単純なものの組み合わせでできている。技術者出身の稲盛氏は、創業当時、会社経営の知識も経験もなかったが、悩み、行き着いた答えが「原理原則」であった。人間として正しいか正しくないか、よいことか悪いことか、やっていいことかいけないことか。そういう人間を律する道徳や倫理をそのまま経営の指針や判断基準にしたのだ。

例えば、バブル景気の際、京セラには多額の現預金があったため、それを不動産投資に回さないかという提案がずいぶんあったが、稲盛氏は「土地を右から左へ動かすだけで多大な利益が発生するなんて、そんなうまい話があるはずがない。あるとすれば、それはあぶく銭であり、浮利にすぎない」として、すべて断った。「額に汗して自分で稼いだお金だけが、ほんとうの『利益』なのだ」という信念は、人間として正しいことを貫くという原理原則に基づいたものであったのだ。

損をしてでも守るべき哲学、苦を承知で引き受けられる覚悟、それが自分のなかにあるかどうか。それこそが本物の生き方が出来るかどうか、成功の果実を得ることができるかどうかの分水嶺になるのではないだろうか。

必読ポイント!

>心を磨き、高める
>働く喜びは、この世に生きる最上の喜び

stevanovicigor/iStock/Thinkstock

このごろの日本人が失ってしまった美徳の一つに「謙虚さ」がある。生きていくのに、オレが、私が、という自己主張が必要なこともわかるが、私たちがいま、謙虚さに代表される「美しい心」を忘れつつあるのは、この国の社会にとって大きな損失である。そして、そのことがこの国を住みにくくしている要因の一つであるように思えるのだ。
稲盛氏は、自分の有している能力や果たしている役割は、たまたま天から与えられたもの、いや借り物でしかないと考えている。才能や手柄を私有、独占することなく、それを人様や社会のために使うべきであり、謙虚と言う美徳の本質はそこにあると考えている。

戦後の日本は経済成長至上主義を背景に、人格というあいまいなものより、才覚という、成果に直結しやすい要素を重視して、自分たちのリーダーを選ぶ傾向が強かった。
しかしながら、リーダーの器たりえない人物がトップに据えられたことによって、近年多発した組織の不祥事、もっと広くいえば、いまの社会に巣くう道徳的退廃も、このことが根幹にあるように思える。不祥事を起こした組織のリーダーが記者会見を行うことがあるが、責任者としての真摯さや誠実さはほとんど伝わってこない。あれが社会のリーダーと呼ばれる人たちの振る舞いであるなら、いまの子どもたちが大人を尊敬も信用もしないのも無理はない。

また、稲盛氏は物事を成就させ、人生を充実させていくために必要不可欠なこととして「勤勉」を挙げている。懸命に働き、まじめに一生懸命仕事に打ち込むことによって、精神的な豊かさや人格的な深みを獲得することができるのである。

人間がほんとうに心からの喜びを得られる対象というものは、仕事の中にこそある。趣味や遊びの楽しさは一時的なものであり、心からわき上がるような喜びを味わうことはできないはずだ。遊んでいるよりも働いているときに喜びを感じる精神性。単純労働であっても、そこに創意工夫を働かせて仕事を楽しくする術。他人から強制されて「働かされる」だけでなく、自分が労働という行為の主体となって「働く」知恵。そういうものとかつては思っていたが、いまではほとんど失ってしまった、そういう日本人の労働観の意味するところを、あらためて考えてみるべきであろう。

利他の心で生きる

>世のため人のためなら、すすんで損をしてみる

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利を求める心は事業や人間活動の原動力となるものであり、だれしも儲けたいという「欲」はあってよい。
しかしその欲を利己の範囲にのみとどまらせてはならない。人にもよかれという「大欲」をもって公益を図ること。
その利他の精神がめぐりめぐって自分にも利をもたらし、またその利を大きく広げもするのだ。

京セラがまだ中小企業だったころ、入社式のときに稲盛氏は大卒の新入社員に対して次のような話をした。

―キミたちは、いままで両親や社会のさまざまな人たちのお世話になって生きてきた。これからは社会人になるのだから、今度は社会に対してお返しをしていく番だ。社会人になってまで、人から何かをしてもらおうという気持ちでいてはダメだ。
「してもらう」側から「してあげる」側へと、立場を一八〇度変える必要があるのだ―

他人から「してもらう」立場でいる人間は、足りないことばかりが目につき、不平不満ばかりを口にする。
しかし社会人になったら「してあげる」側に立って、周囲に貢献していかなければならないのだ。

弱肉強食のビジネス界においても利他という精神を大事にしなくてはならない。
利他という「徳」は、困難を打ち破り、成功を呼ぶ強い原動力になるからだ。

1980年代半ばまで、国営事業である電電公社が通信分野のビジネスを独占していたが、諸外国に比べてひどく割高な通信料金を引き下げるべく自由化が決定された。それに伴って電電公社はNTTへと民営化され、同時に電気通信事業への新規参入も可能となったが、巨像にアリの不利な戦いを挑む企業は現れてこなかった。

そこへ稲盛氏が手をあげたのだ。その思いは、会社や自分の利益を追い求めたり、世間からの尊厳を集めたりしたいからという不純なものではなく、国民の利益のために料金値下げを実現したいというものだった。現に稲盛氏はDDI(現・KDDI)の株は一株も持っていない。通信ケーブルやアンテナなどのインフラもなく、販売代理店網もゼロというハンデを抱えてのスタートであったが、DDIは業績好調、事業拡大を実現することが出来た。

宇宙の流れと調和する

>結果を焦るな、因果の帳尻はきちんと合う

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人生には、それを大本で統御している「見えざる手」がある。
しかもそれは二つある。

一つは、運命である。
人はそれぞれ固有の運命をもってこの世に生まれ、それがどのようなものであるかを知ることができないまま、運命に導かれ、あるいは促されて人生を生きていく。しかし、人間は運命の前でまったく無力なのではない。

もう一つの見えない大きな手が「因果応報の法則」である。
よいことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれるという、原因と結果をまっすぐに結びつける単純明快な「掟」のことだ。

京セラが経営難に陥ったコピー機メーカー三田工業を支援し、京セラミタを設立した際、その再建に携わった人物は、以前京セラが救済した企業で工場長をしていた。救われた人間が、救う側に回り、その感謝の思いから再建に尽力し、今では京セラミタはグループの中核を担う柱の一つになっている。因果が応報するには時間がかかるが、このことを心して、結果を焦らず、地道に善行を積み重ねるよう努めることが大切である。

私たちはその役割を認識し、人生において努めて魂を磨いていく義務がある。生まれてきた時より、少しでもきれいな魂になるために、つねに精進を重ねていかなければならない。
それが、人間は何のために生きるかという問いに対する回答でもある。

・一生懸命働くこと
・感謝の心を忘れないこと
・善き思い、正しい行いに努めること
・素直な反省心でいつも自分を律すること
・日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高め続けること。
すなわち、そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことに、まさに生きる意義があるし、それ以外に人間としての「生き方」はない。そのような「生き方」の向こうには、かならず光り輝く黎明の時を迎えることができる、稲盛氏はそのように考えている。

すゝめ

本書は著者である稲盛和夫氏が混迷の世相においていかに生きるか、生きることの意味について語った一冊である。
経営者として成功をおさめた著者であるが、その生き方はけして自己の利益を追求したものではなく、利他の精神に基づいている。その言葉一つ一つが重量感を伴って伝わってくる本書をぜひ一読することをお勧めしたい。

「生き方」著:稲盛和夫

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