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僕の不登校の話〜「学校に行けなくなること」の考察と学び〜
みなさまこんにちは。がぱけんです。
本名を原賀健史と言います。
一人D2C企業株式会社Taste and Logicの経営と、家電メーカーバルミューダのマーケティングという二足の草鞋を履きながらあくせく働いています。
今風に言うとパラレルキャリアってやつでしょうか。
仕事はチャレンジングだし、一緒になった奥様は素敵な女性。
自分自身、なかなか充実していると感じます。
こんな僕ですが、中学1年生の後半から3年の半ばまでは学校に通っていませんでした。
いわゆる不登校というやつです。
日本には、小学生、中学生、高校生合わせて約24万人の不登校の学生がいるそうです。(https://new-schoooool.jp/column/truancy/901/)
きっと世の中には、僕が想像するよりたくさんの人がかつての僕や、その両親と同じような悩みを抱えているんでしょう。
この文章は、そんな彼ら彼女らや、その親御さん、もしくは彼らを理解したい方に向けて、当時の気持ちや変わったきっかけ等をお伝えします。
前半は当時起こった出来事、後半は今振り返って感じる学びを、それぞれ記します。
もちろんこれは僕のケースで、全員に当てはまるわけではありません。
ただ、誰かの何かのヒントになってくれればよいなと、そう願っています。
僕の経験した不登校とそこからの復帰。
きっかけは些細なことだったと思います。友達の付き合いで入った部活になじめず、部活の休み癖が付き、そのまま学校も休むようになったという流れだったと記憶しています。
「誰々とそりが合わない」とか「あの先輩が怖い」とか「うまくならないし面白くないから、練習が嫌だ」とか。そんな、今思えば本当に本当に、小さくてどうでもいいことがはじまりだったと思います。
しかし世の中も、自分の持ちうる選択肢もわかっていない中学生にとって、学校こそが世界であり、そこでの不具合は当時の自分を追い詰めるのに十分でした。
最初は「ちょっと休んでやろう」くらいのものだったと思います。ただ少しずつ、いろんなものや感情が、つもりにつもり、ついには一歩も外に出ることができなくなりました。
そこからは一年半、450日、1万時間、家に引きこもって暮らしました。
外に出ない間は寝て過ごしました。
現実から逃げるように、ただひたすらに寝て過ごしました。
その間に感じていたのは「自分はダメなやつだ」という罪悪感と無力感。
あの時の思考を一言で表すと「恥」だったと思います。
普通でない自分が恥ずかしい。きっかけだって小さな問題で恥ずかしい。
恥ずかしいから、ずっと家族にも「体調が悪い」以外の事を何も伝えませんでした。
そこからは、ひたすらに落ちていく一方です。
体は衰え、思考は鈍り、髪は伸び、気力はありません。
寝る子は育つとはよく言ったもので、華奢なまま身長だけが伸びました。
ここまでくると、学校へ行けない理由もあいまいになりました。
部活も先輩ももう関係ないのに、なぜ行けないのかも言葉にできず、とにかく何もしなかった昨日と同じ今日を過ごします。
このころの写真は手元にありません。
意図的に保存していないのか、そもそもファインダーに写る機会もなかったのかはわかりません。あんまり見返したくないな、というのも正直なところです。
今思えばうつ状態って奴だったんでしょう。
間違いなく、人生で一番つらかった時期です。
でも今は、問題なく元気です。
毎日朝起きて、歯を磨いて、働いて、笑って過ごせています。
沈むきっかけが些細なものなら、立ち直るきっかけも些細なものでした。
もはやきっかけがあったのかも定かではありません。
3年生になってしばらくしたある日、突然。本当に突然。学校に行こうと思い立ったのです。
思いたったからには行動です。もはやサイズが合わなくなった指定ジャージに袖を通し、肩まで伸びた髪をぶらぶらさせながら、戦場に赴くかの如く母に宣言し、目をつぶりながら玄関の敷居をまたぎました。
もちろん内心びくびくしていましたが、正直なところ少し興奮していました。1年半やるべきだと思ってできていなかったことを、現在進行形で実行しているのです。わくわくしない訳がありません。
どんな顔で教室に入っていいのかだけはわかりませんでした。頭の中をぐるぐるにかき混ぜても答えが出ない。でも、決意と勢いに足を動かされて、無策のまま教室に入った時、その心配は杞憂だということに気づきます。
「あれ、がぱけんじゃん。久しぶり!」
部活が一緒だった友人が普通に声をかけてくれたのです。
今思い返してもなんて事のない、とっても普通のあいさつでした。
でもそれは1年半の間、僕に向けられることのなかった普通でした。
友人に声をかけられた瞬間に、やっと世界がつながって、あいまいだった自分の輪郭ができた気がしました。「もう大丈夫。」とそう心の底から確信したことを覚えています。
その友人とは、卒業以来疎遠になってしまったけれど、間違いなくあの一言は僕の人生を変えてくれました。本当にありがとう。
そこから先は大変でしたが、どんどんいい方向に進んでいきました。
流石に義務教育の3年間のうち半分以上を受けていないので、高校受験は大変でしたが、入った高校では大切な友人達にも出会えました。
受験を頑張って、大学で青春を経験して、社会人になってたくさんの人に刺激を受けて、ついに自分の会社を持つことにしました。
すべてが順風満帆とまでは言わないけれども、そのあとは面白おかしく過ごしています。
不登校を経験しましたが、全然人生詰んでなんかいません。
むしろ今では良い経験をしたなと、本気で考えています。
これが僕が経験した不登校のお話です。
あの頃の経験から学べるもの
ここから先は過去の経験から学んだことについて述べていきます。
何故不登校になったのか、どんなことが必要だったのか、立ち直るために必要なのは何だったのか。そんなことを考えながらつらつらと、18年前の僕に伝えたかったことを書こうと思います。
あの頃の僕は自分の持つ選択肢を知らなかった
いじめ、友人とのトラブル、家庭環境、学業不振、発達障害などなど。
不登校の原因は様々あります。
しかし、これらはすべて「周囲の環境との不和」という点では共通しているように思えます。人間関係のトラブルはもちろんの事、学業不振等も「周囲との能力差に幻滅する」という意味では環境要因です。人間、評価なんて相対的にしかできないものです。
そして、年端のいかない生徒達にとっての"周囲の環境"というものは、大人の感覚以上に狭く偏っていて、そして小さいものなのです。
少なくとも、僕の場合はそうでした。
自分の中の世界は学校と家の二つしかない。本気でそう思っていました。
そうはいっても1つのコミュニティの人数などせいぜい30人程度。一方で、人生で何かしらの関わりを持つことになる人の数は3万人と言われています。関係性の濃淡はありますが、自分の思考を支配している学校というコミュニティは一生の中の1000分の1ぐらいのものなのです。
歳を重ねてしみじみ思うのは「人生はとてもたくさんの選択肢と、とても長い時間でできている」ということです。そして、当時はこのことに気づけませんでした。
「学校の人間関係がうまくできないから、僕はダメなやつだ」
そんなわけがありません。
学生時代の数年間なんて100年ある一生のたった数パーセントです。
実際中学生のころの同級生と一切連絡を取っていない人なんて大勢います。
その時の人間関係すべてを捨て置いても、なにも問題なんてありません。
環境は変えることもできます。引っ越しや転校でガラッと環境を変えるもよし、学校以外のコミュニティを持つのもよし。どうしても学校が嫌なら、家で勉強だけして別ルートで学歴を手に入れるなんてのもありです。
取りうる選択肢は無限にあるんです。
日本だけでも1億人以上の人間がいます。絶対にどこかには気の合う仲間はいるはずなんです。
そして大切なのは「環境要因であることがほとんど」という認識を持つことです。起きている出来事は、周囲の環境との不具合です。人間として劣っていることが原因ではありません。
この認識を持っていれば、当時の僕は不必要に自分の評価を下げたり、がんじがらめになることはなかったのかもしれません。
不登校は自己肯定感の病
僕は、不登校を「自己肯定感の病」だと考えます。
自分語りでも少しお話しましたが、身動きが取れなくなった僕を支配していたのは「自分はダメだ」という気持ちでした。
そして、その気持ちは閉塞された空間で悪循環を生みます。
誰とも接することがない環境では、成功するための挑戦回数が極端に少なく一度思い込んだイメージを払拭する機会がない。そのくせ「学校に行っていない自分」という誰の目からも明らかな失敗は日々生きているだけで積み重なっていく。
「自分はダメだ」という気持ちはぐるぐると回り、最終的に「自分はみんなよりも劣っている人間だ」という刷り込みを与え、世の中と自分の間に自分で深い溝を作ってしまいます。
自分と世の中は違うものなのだから、そこに混ざることはできない。
この思いこみが呪いとなって、ついには諦めを生みます。
「学校に行かなきゃ」という気持ちはあったんです。でも「行ってもどうせ失敗する」「どうせ嫌なことが起きるだけ」という気持ちが強く、行動ができません。
だから、そうならないように自己肯定感を上げるべきなのです。
小さな成功を積み重ねることが重要
自己肯定感を上げる。一言でいうと簡単ですが、どん底の人間がそれを実現するのは容易なことではありません。
じゃあどうするのか。
とっても簡単で小さなことからはじめる。これがポイントです。
自己肯定感が低い人が、自分を肯定するためには根拠が必要。
そしてそのために必要なのが言うまでもなく成功体験です。
先ほども少し触れましたが、学校に行った方がいいと思っている一方で、学校に行けていない僕は、毎日失敗だと感じていましたし、その度に自分の評価を落としていました。
だから、そうならないように、それに負けないくらい成功するのがとっても大事なんです。中身は本当に些細なことで構いません。
日が出てる間に起きられた。寝る前に歯を磨いた。ネットで人とやり取りをした。オンラインゲームで勝った。近所の公園に行った。しっかり休んだ。
そういう小さい事でも、自分を全力でほめたたえてあげましょう。
ココロの中にコウペンちゃんを飼って、ひたすらに肯定させるのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1643418886019-AWLIspjn9x.png?width=1200)
「生きているだけでえらい!」この言葉を刻み込みましょう。
これは何も「命は尊い」とかそういうことだけを言っているわけではなく、実際に人間は生きているだけで社会貢献をしているのです。
生きていくために、何もお金を使わないことは不可能です。
家に住み、食事をし、水や電気やガスを使っています。
詳しい説明は省きますが、誰かがお金を使えば使うほどみんなが潤うのが今の世の中の仕組みです。資本主義ってやつです。
生きることでお金を使って何かを消費するということは、誰かのお客様になって、みんなを豊かにしているのです。
そんな人、えらいに決まっているじゃないですか。
だから生きているだけで、全員えらいんです。
昔の僕も、ほんとはえらかったんです。
きっかけは親の献身ではなく、クラスメイトの受容だった
母とはさんざん揉めました。
指摘も数えきれないほど受けましたが、そのどれも自分の行動を変えることはありませんでした。なぜなら全部本当はわかっているからです。朝起きなければいけないのも、外に出た方がいいのも、このままではまずいのも全部わかっているんです。
そんな中、結局僕を救ってくれたのは、クラスメイトの普通の一言でした。
「僕にとって、あなたはただのクラスメイトだ」という意思表示が死ぬほどうれしかったんです。
それまでの僕は「どうにかしないといけない人」「かわいそうな人」「守るべき人」「大変そうな人」として接せられてきました。多くの人は慈愛や優しさや責任感をもってそういった態度をとっているので、冷静に考えればとてもありがたい話ですが。
でも、自分の価値が極限まで落ち、世の中とのつながりがわからなくなっていたあの時の僕が欲しかったのは、家族からの施しや指示や改善策ではなく、社会からの受容だったんです。
「あなたは当然ここにいていい。あなたは普通だし、私とあなたは上でも下でもなく対等だ。」というメッセージと、それを実現する居場所が喉から手が出るほど欲しかったんです。
世の中に生かされるのではなく、世の中で生きている人になりたかったんです。
だから今の僕は、どんな状態も、どんな人間もそのままを受け入れたうえで対等にお話をすることを心掛けています。
時々できないこともあるけれど、それでもそういう接し方で救われる人もいるのです。
今の時代は不登校には優しい
僕が学校に行っていなかったのは18年も昔の話です。
インターネットもさほど発達していなかったし、携帯電話はガラケー。SNSはないし、授業はもちろん教室でしか受けれません。
でも今は違います。
学校に行くのがつらくなってしまった人にとっては、いろいろな意味で良い変化が起きています。
期せずして授業はオンラインで受けられるし、SNSをうまく使えば仲間やコミュニティを探すことは難しくありません。
不登校の人間に向けた学習支援サービスも豊富に存在します。
テクノロジーとサービスの進歩には驚くばかり。
こんな環境は有効活用してなんぼです。
そして何より「不登校」という部分にたいして世の中(少しだけ)寛容になってきていることを感じます。
まだまだ課題は多いけれど、いろんな人が生きやすい世の中に変わろうとしているのをとても好ましく思います。
結びとして。
不登校と、そこからの立ち直り。
この一連の出来事は僕の価値観を大きく変えました。
些細なことで人はつぶれる。
つぶれた人の視野は狭く。正常な判断ができない。
時として普通に声をかけるだけでも、大きな力になる。
一度最低の状態に身をやつしたからこそ、それまでより多くの人の気持ちに寄り添えるようになったと思います。
有り体に言えば、少しだけ他人に優しくなりました。
この経験は、今の僕を構成するとても大きな要素であり、とても大事なものです。もしあそこで不登校になっていなかったら、僕の人としての魅力はもう少し薄いものになっていたかも?と本気で思えるくらいには感謝しています。
たくさん寝たおかげで身長も180cmを超えましたしね 笑
さて、ここまで読んでくださったみなさま、長文お付き合いいただきありがとうございました。
この文章が、読んだ方の気持ちや考えに何かしらの変化を与えられるのであれば、それほど嬉しいことはありません。
では。
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