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私が、摂食障害とともに辿ってきた軌跡㉙

みなさん、こんばんは。今日は、摂食障害経験者である私が、今まで辿ってきた軌跡 その29、について書きたいと思います。

私が、摂食障害とともに辿ってきた軌跡㉘ ⇩

ここでは摂食障害経験者である私の現時点での考え、特に私が経験したこと、今振り返ってみて感じたことを中心に書きたいと思います。

摂食障害の経験を振り返って、今考えること

17 「食べること」は生きること、の意味について

以前の記事で、

食べることは生きること。いくら食べることがうまく出来ないからといって、食べることをやめる訳にはいきません。

ということを書きましたが、上記のような「栄養摂取」という意味以外にも「食べること」の意味、というか必要性のようなものもあると思いますので、そのことについて書きたいと思います。

人とのコミュニケーションにおいて「食事」は欠くことの出来ない(と思われる)重要なツールとなっています。

仕事(会社)や勉強(学校)をしていると、お昼ご飯を一緒に食べることもありますし(食べなければならない場合もありますし)、会社や学校帰りに夕飯を共にしたり、あるいは歓送迎会などの機会があるかもしれません。

今どきは、社会の状況が変わってきたので、リモートワークやオンライン授業などの導入により、その機会は減っているかもしれませんが、一般的に考えると「食べること」は人とのコミュニケーションにおいては、割と「手軽」でかつ「重要」なツールと言えると思います。

もちろん、食べ物や飲み物がなくても人との会話は出来ますが、一般的には「食事」というのは誰もがする行為ですので、人を誘ったり、集まったりする時に「お昼ご飯を食べに行こう」とか「飲みに行こう」ということは、ハードルが低く、かつ共通項が多いので、コミュニケーションをとりやすくすることが出来るのだと思います。

一般的には誰しもが食事をすることとなっていますので、

「これおいしいね」とか

「食べ物では○○が好き」

などという会話は、共通項が多いので会話がスムーズになることもあります。

社会と関わって生きている以上、人とコミュニケーションをとることは大切なことですし、避けては通れないものです。

「食べること」には、生きるための「栄養摂取」という大きな意味もありますが、それと同時にコミュニケーションツールである、という意味もあると思います。

みなさんは、日々「食べること」が思い通りにならなくて、悩み苦しんでいることと思いますが、潜在的には人とのコミュニケーションに支障がある(かもしれない)ことも、摂食障害の悩みや辛さに繋がっているのではないかと思います。

「食べること」が思い通りにならなくて辛い、の中には、人と繋がることが思い通りにならないことも含まれているのかもしれません。

ですが、人(他人)は意外と自分の「食べること」にそれほど敏感ではないものです。あえて、思い切って「食べること」で人と繋がってみるのもいいのかなぁ・・・って思ったりした私でした。


今日もありがとうございます。


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