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摂食障害の「痩せたい」や「食べたい」思いは、アイデンティティであり、大切にするべきこと

みなさん、こんばんは。今日は、摂食障害当事者にとって「痩せること」や「食べること」はアイデンティティそのもの、と言うほど大切にするべきではないか、ということについて書きたいと思います。

摂食障害当事者の「痩せたい」や「食べたい」思いは、残念ながら、一般的には(摂食障害と縁もゆかりもない人たちにとっては)極端というか、常軌を逸していると思われても仕方のないレベルではあると思います。

ですから、例えば治療者の中には、

「歪んだボディイメージを正常なボディイメージに移行させ、食行動異常の軽減や自尊心の向上につなげる」

というようなことを実践している方もいらっしゃるようです。

また、例えば摂食障害治療のための入院中にも

「体重が○○キロになったら退院」

というようなことが行われている病院もあると思います。

私は、こうした治療方針や治療方法を決して否定する訳ではありませんし、医学的な根拠や知識のもとに話をしている訳ではありません。

ただ、摂食障害経験者の一人として、摂食障害当事者の「痩せたい」や「食べたい」思いは、大切にするべきではないか、と思うのです。

以前の記事で「歪んだボディイメージ」について書きましたが ⇩

BMIが18.5未満(低体重【痩せ】)かどうか、あるいは見た目「痩せすぎ」かどうか・・・摂食障害当事者にとっては、そういう視点で「痩せる」ことは考えていないと思います。自分の中に基準や価値観があり、それに見合う「痩せる」を手に入れるまで痩せたい。

以前の私の場合は「昨日より痩せたい」でした。完全にBMIなど眼中にありません。

それこそが、摂食障害当事者の「痩せたい」であり、一次的にはそこに他人が介入する余地はほとんどありません。

また、その「痩せたい」の裏返しと言える(と思う)「食べたい」という思いも、過食嘔吐の時はもちろんのこと、非嘔吐過食の時も「食べられなくなるまで食べる」「あれも食べたい、これも食べたい」という気持ちなのではないかと思っています。

こちらも「規則正しい食習慣」とか「バランスのとれた栄養摂取」という意味合いはほとんどないのではないでしょうか。

長い目で見れば、BMIや「規則正しい食習慣」「バランスのとれた栄養摂取」は無視し続ける訳にはいかないかもしれませんが、一方では「痩せたい」や「食べたい」思いは、摂食障害当事者にとって、アイデンティティというか、その時期の人生そのものではないかと思っています。「痩せたい」「食べたい」を取ってしまったら何も残らない、というくらい大切な思い、ではないでしょうか。

ですから、まずはその価値観を受け止めて、大切にする。その上で、明日に繋がる方法を探っていく。見直すことが出来ることがあれば、見直していく。

いきなり「歪んだボディイメージを正常なボディイメージに移行」させたり、「規則正しい食習慣」「バランスのとれた栄養摂取」を説いても、摂食障害当事者がそれを受け取れる状態でなければ、治療者との信頼関係は築けないのではないかと思います。

今まで、言いたいことも言えなくて、やりたいこともやれなくて。そんな人生の中で、やっと言えた、やっと表現できた「痩せたい」。いったい誰がその「唯一」の願いを否定することが出来るのか。・・・私は、その「願い」「思い」は最大限尊重されるべきだと思っています(もちろん、生命維持に危機が迫っている場合は別ですが)。摂食障害の克服は、その尊重なくしては成り立たない・・・「痩せたい」も「食べたい」も、手放す、諦めるのではなくて、痩せたくても、食べたくても、生きていける方法を一緒に探していくこと・・・それが私の考える、みなさんのサポート活動だと思っています。


今日もありがとうございました。

よろしければサポートお願いいたします。いただいたサポートは、今後、摂食障害で悩む方々のサポート活動に、大切に使わせていただきます。