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【同乗者たち】第5章 継承者たち【21】

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『』の最初の記憶は、滲むような白い靄の中、なにか柔らかいものに包まれている安堵感、そして周りに自身と同じ生き物がいるということだった。その感覚はあらがえないほどに心地よく、意識の浮上と沈下を繰り返しながら、かすかな衣擦れの音が、どこか遠くから響いてくるのをまどろみの中で聴いていた。

「あなたは、ゼロイチという名前の人間です」

与えられた環境の中で『』が言葉を理解すると、『』の世話をしていた女がそう言った。意識に上らずともそう認知していたが、そのときに『』はようやっと意識的に、自分が「ゼロイチ」という名の人間の子供であるということを知った。その世話役の女は、アヤノという名の彼女は、ゼロイチたちの生活する施設の職員で、ゼロイチに様々な知識を教えてくれた。ゼロイチというのは数を数える記号的概念の01から取ったこと、ゼロイチはこの施設に一番最初にやってきた『実験体』の子供であること、子供はやがて大人になること、人間はやがて死ぬということ。

「ゼロイチは、もう103回死んでいる」
「しぬ」
「体が動かなくなって、魂が次の体に移ること。あなたはここに来てから、私がここの職員になるずっと前から……それを103回繰り返している。だから私とあなたは、正確には私と『あなたの魂』は、今までに何度か話したことがある。でも」

そう言いながら、アヤネは少しだけ寂しそうにしていた。

「死ぬと、その前のことは忘れてしまうんだよ」

アヤノがそう言った7日後、ゼロイチは死ぬことになった。堅いベットの上で意識がゆっくりと白く滲んでいく。それはこの世界に最初に生まれたときのような抗いがたい心地よさで、体がまるで羽のように軽くなってから、生きているときに眠りに落ちるときと然程変わらないと思いながら、ゼロイチは意識を手放した。



次に目覚めたとき、ゼロイチは、滲むような白い靄の中、なにか柔らかいものに包まれている安堵感、そして周りに自身と同じ生き物がいるのを感じた。「死ぬ前」、一番最初の記憶と同じ。遠くでアヤノが何かを話している声がする。
おはよう、といつものように挨拶をしたいのに、体から発せられるのは甲高いうめき声のようなものだけだった。ゼロイチがやっとまともに言葉を発することができるように為った頃、アヤノがゼロイチに前と同じ言葉を繰り返した。

「あなたは、ゼロイチです」
「うん」
「ゼロイチは、もう104回死んでいる」
「知ってる」
「知ってる?」
「アヤノ、前も同じこと言ってた。前は、103回目だったけど」

アヤノの表情が固まった。どういうことかと詰め寄られるが、ただ「覚えているから」としか答えようがない。そこからは慌ただしかった。毎日アヤノやそれ以外の大人たちに囲まれながら、頭に何かを取り付けられたり、延々と質問をされたり、数日間意識を失っていたり(頭の中をのぞいていたのだとアヤノはのちに教えてくれた)、「死ぬ前」の穏やかさとは真逆の生活をひたすら送る。
前までは――……死ぬ前までは、ゼロイチは自分と同じような「子供」数十人と同じ部屋で過ごしていた。しかし今回はずっと一人部屋で、四六時中大人達に監視されている。不思議に思ってヨーイチが尋ねると、「ごめん」とアヤノは言った。

「嫌でしょ、こんな生活」
「なぜ?」
「だって普通は」

アヤノはそう言いかけてからふいに口をつぐみ、何かを飲み下したような表情をしてから小さく首を振った。

「なんでもない。そうだなぁ……君は特別だから。人は死ぬと、すべての記憶を失う。記憶を保存する『脳みそ』が機能しなくなるから、それは当たり前のことなんだけど。そして魂だけが、今までの記憶をすべて圧縮した『走馬灯』を保持して、次の肉体に前世神経回路を形成する。その走馬灯は、本人自身が意識的に確認することができず、必ず外部の観測者が必要だった。それなのに……貴方は自分自身の前世の記憶を認識していて、引き継いでいる。これはね、大変なことなんだよ」
「なんで、ゼロイチだけ特別なの?」
「まだわからない。ただ、君がこの施設で一番『死んで』いる子供だから」

アヤノは目の前に座っているゼロイチが子供であることを忘れているかのようにつぶやいた。

「短い期間で何度も死んでいる、つまり長生きできないから、魂がその死を回避させようとしているんじゃないかというのが、私の仮説。記憶の引き継ぎは本能と同じで、死亡リスクを回避することに役立つから。君の魂は度重なる短命のために意図的に進化して、宿主である肉体の維持のため、脳に『本人が認識できる走馬灯』を提供しているんじゃないかと私は予測してる」
「しんかって」
「進化は生まれたときのバグがたまたま環境に適応して、結果的に生き残って世代的に引き継がれていったものだよ。あなたの突然変異の魂も、バグなのか、それとも私の仮説のように意図的なのかは不明だけれど……」

理解できずとも、食い入るように話に聞き入っているゼロイチの様子に気づき、アヤノは少し困ったような、嬉しそうな顔をしながら言った。

「……君に図書端末を与える許可をもらってこよう。文字の読み方も、私が教えてあげる。きっと気に入るよ」

ゼロイチには図書端末が与えられ、世界中のテキストを自由に読むことが出来るようになった。ゼロイチは暇があればそれを読み、世の中のしくみ、常識、自分のこと、この施設のことを、順々に理解していった。
ゼロイチが10歳になった年、ずっと一人だった部屋に新しい「子供」がやってきた。

「この子は『ゼロキュー』。君と同じ、記憶の『継続者』だよ」

ゼロイチはまじまじと、その二番目の継続者を観察した。性別は自分と違う、アヤノと同じ女らしい。5歳年下の「後輩」…――昨日読み終わった青春小説で知った言葉だ――…を見つめながら、ゼロイチは言った。

「キューってことは、9番目に施設にきた子供?」
「そう。死んだ回数が多いほど、継続者にはなりやすいと思ってたんだけど、やっぱり個体差があるみたいだ。もうすでにイチやキューよりも死んだ回数が多い子も何人も居るけれど、まだ君たちのような症状は現れてない」
「珍しいんだ、やっぱり」

ゼロキューは、二人の会話にきょとんとしている。その様子を見たアヤノは、「イチ、後輩にいろいろ教えてあげて」と嬉しそうに言った。
ゼロイチはそれから、ほとんどの時間をゼロキューと過ごすようになる。

「ここはね、魂について研究している施設なんだ」
「ふうん」
「死んだあと、生まれ変わる場所や人種に法則があるのかとか、生まれ変わるまでの時間はばらつきがあるけれど、なにか決まりがあるのかとか……死ぬ人間と生まれる人間の数の調整はどうなっているのかとかを、僕たちを殺して調べているんだ」
「一度死んだことは覚えてるけど、それより前のことは覚えてないや」
「もともと僕らは『ゼンセハンザイシャ』っていう悪い人間だったんだよ」

だからこの施設に連れてこられて、実験に参加しなくちゃいけなくなった……ちゃんと意味を理解しているのか定かでは無いゼロキューに、ゼロイチは丁寧に説明をした。前世法が制定されてから、無差別に選ばれたクロアナがこの施設に送られた。実験の課程で死に、転生しても、生まれてすぐ前世を調べられるこの世界では逃げ場などなく、実験場出身の自分たちは必ず親から引き離されてこの施設に戻される。ずっと、それをずっと繰り返している。
それを聞いたキューは「ふうん」とうなずき、嬉しそうに笑った。

「じゃあ、良いことしてるんだね、イチとキュー」

その言葉に、イチは胸が温かくなるのを感じた。アヤノと話しているときと同じ。
誰かと一緒にいる。
ここでの生活は、楽しい。


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