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【同乗者たち】第2章 売魂者たち 【07】

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男と出会ってから、かれこれ10分は歩き続けている。町並みは居住区から、うち捨てられた雰囲気の商店街に変わっていた。所々に「大混乱」の暴動の爪痕だろう、建物の一部が破壊され遺跡と化していたが、きっと前世法が制定される前までは賑やかな通りだったに違いない。しかし今や家を持たないクロアナ達でさえ寄りつかないらしく、しんと静まりかえっている。

「ここだ」

男が立ち止まったのは、古びた雑居ビルだった。脇には地下へと続く階段が暗闇の先へと伸びている。男について降りていくと、今時珍しい煙草の煙の臭いが鼻をつき、小さな広間に出た。ところどころスプリングが飛び出たソファーに、卑猥な落書きだらけのカウンター。その上には酒瓶が並んでいる。
その淀んだ空気の向こうに人の気配を感じて、ヨーイチは警戒して立ち止まった。

「ちょっと、また拾ってきたっての? ここ保育園じゃないんだぜ、ユータ」

どなり声が聞こえて、カウンターの下から人影が顔をだした。頭に巻いたタオルから覗く、伸び放題の髪の毛が顔を隠して表情は見えない。声も服装も中性的で、性別すら判断し難かった。

「誰だよ、その汚いの」
「新入りさ。5丁目あたりをうろついていた。おそらく『隔離所』から逃げてきたんだろう。顔に見覚えがあるからな」

坊主頭の言葉に驚いて、ヨーイチは思わず聞き返す。

「顔?」
「走馬燈局のデータベースで見た。脱走したクロアナってな。お前、ここじゃちょっとした有名人だぜ」
「データベースって」
「走馬燈局の管理コンピューターの情報だ。さすがに頂上にあるニューロコンピューターには手はでないけど、管理センターのコンピューターの中身くらいなら俺達の技術で覗き放題だからな」

坊主頭は軽い調子で言うと、ヨーイチの背中を押してタオルの門番の前へと連れて行った。

「悪いが、中にはいるためには簡単な検査がある。じっとしてな」
「検査……」
「万が一のためにな。あんたが前世監理官のスパイじゃないとも言い切れない。だろ?」

門番の言葉に心拍数が一気に上がるが、やむを得ない。指示されるがまま両腕をあげ、つま先から念入りにチェックされる。腹のあたりにきたところで、門番はパーカーの腹ポケットに入れていたパンの存在に気がついた。

「なんだこりゃ」
「か、返してくれ!」

慌ててパンを男から取り返す。大事そうに腹ポケットに戻すヨーイチの姿に、門番は蔑んだ目線を送ってきた。また取り上げられるだろうか、そう思って気が気でないヨーイチに助け船をだしたのは坊主頭のユータだった。

「放っておいてやれよ、一週間まともな食いもんを食ってないんだろ」
「けど、カビだらけだったぜ。あんなもん持たせたままナナシさんとこ連れていけっていうの?」
 
門番の不機嫌な言葉にユータはため息をつくと、まるで行儀の悪い子供に言い聞かせるようにヨーイチに言った。

「おい、兄ちゃん、そんな心配せんでもアンタのもんを取ったりしないさ。それよりここには新鮮な食いもんがたくさんある。もちろんアンタにもわけてやるから、そいつは捨てな。とてもじゃないが食えたもんじゃ無いだろ」

ヨーイチはしばらく渋るそぶりをみせながら、腹ポケットの中でコッペパンの断面に手を突っ込んだ。そこに隠していた親指大のカプセルを手でもぎ取ると、しぶしぶといった様子でパンを門番に差し出した。

「本当か」
「ああ、ご馳走とは言えないがね。だがこのゴミよりマシだ」

ヨーイチから受け取ったパンを投げ捨てて門番は言う。カビだらけのパンを持っていたくなかったのだろう、その断面が不自然にちぎれていることに気付いたそぶりは無い。ポケットの中でカプセルを握りしめながら、ヨーイチはほっと息をついた。
続いて、門番は謎の機械をヨーイチの体にかざしはじめた。大ぶりの虫眼鏡のような機械だった。一体何をしているのかヨーイチが聞こうとした瞬間、機械からピピッと小気味いい音が鳴った。

「お、ここだな。無難な場所だ」

男はヨーイチの親指と人差し指の間を示した。クロアナのチップが埋め込まれている場所だ。

「篠田ソーイチ、Aランク……ね。確かに走馬燈データベースにいた。良く一人で脱出できたな」

虫眼鏡型の機械はクロアナチップを読み取る機械らしい。脳視界に表示されているのか、門番は宙を見ながらヨーイチの偽情報を読み上げている。ブレインスキャナと同じような仕組みなのだろうか? これを持って帰ったら技術部が大喜びするだろうが、今回の任務にそれは含まれていない。
疑いが晴れたのか、門番は「よし」とうなずいてカウンター横の大きな扉を開け放った。二重扉になっている。おそらく、前時代のライブハウスだろう。

「あんた、まずその服をどうにかしてもらいな。歩く生ゴミって感じて、たまったもんじゃないぜ」

ユータがつぶやきながら、二枚目の扉を押し上げる。その瞬間、賑やかな話し声が聞こえてきた。
明るさをしぼった優しい照明の下に、2、30人ほどの人間がたむろしている。ステージとフロア、カウンターが配置されているそこは、生活空間として使われているようだった。ステージには外と打って変わって小綺麗なソファが置かれ、フロア中央には机とベンチが設けられ、数人の人間が議論を交わしている。しかし、ヨーイチとユータがそこに入った瞬間、フロアはしんと静まりかえった。

「ナナシさんは?」

テーブルにいた女にユータが訪ねると、「バックステージ」とあごで楽屋を差される。坊主頭は礼を言うと、ヨーイチをつれて楽屋の扉をあけた。割れた鏡が備え付けられた机の一席に、一人の人間が背をむけて煙草を吸っている。
ヨーイチは息をのんだ。その人物は、黒い大きなフードのある服をきていた。カメラの映像で見た、あのフード男……しかし、今、彼はフードをかぶっていない。肩で切りそろえたまっすぐな金髪が、照明の下で艶やかに光っている。

「ナナシさん、『彼』をみつけましたよ」

フード男が振り返った。ヨーイチは、思わずつぶやく。

「女……?」

煙を吐き出しながら、フードの『女』はヨーイチにつかと歩み寄った。ヨーイチは身長が高い方だが、彼女の目線はヨーイチより上だ。ヒールを履いているのかと、思わず足下を見たが、彼女はスニーカーを履いていた。

「おいおい、じろじろと失礼なやつだな、ユータ、誰こいつ」

ユータはヨーイチの顔をぐっとおしてナナシに近づけながら、半ば興奮気味に言う。

「ナナシさん、覚えてないんすか? こいつ、例の3人目の脱走者ですよ」

ナナシと呼ばれるフード女は、じっとヨーイチを見つめると「マジだ」と呟いた。

「えっと……確か、ソーイチ。だね?」

ヨーイチがうなずくと、ナナシはすらりとした手を彼の前に差し出した。

「あたしはナナシ。この場所を取り仕切っている」
「この場所って」
「まあ反逆者のアジトみたいなところ。売魂者って、わかる? ……わけないか」

20年間隔離所で過ごしている設定の「ソーイチ」が、売魂者の存在を知っているはずがない。端から答えを期待していなかったのか、ナナシは笑いながら言葉を続ける。

「わたしたちは、不条理に戦う団体」
「不条理……」
「どうして自分が『あんな場所』に閉じ込められているのかって、疑問に思ったことはある?」

ヨーイチは答えなかった。いや、答えようとしたが、答えられなかった。クロアナの考える事なんて、分かりたくも無い。
だんまりを決め込んでいるヨーイチに、「まあいいさ」と言って、半ば強引にヨーイチの手をとって握手をした。指は細く女性らしいが、大きさはヨーイチよりやはり大きい。
自分から握手を求めてきながら、ナナシはヨーイチに触れた自分の手をすんと嗅いで、顔をしかめた。

「……きみ、とりあえず着替えてきなよ」


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