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【同乗者たち】第2章 売魂者たち【08】

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小さなシャワー室で、ヨーイチは体の汚れを洗い流した。ごわごわしたスポンジで、手を執拗にこする。こんなことをしてもクロアナのチップはとれないが、風呂を上がる頃には少し気分が晴れていた。
ユータが用意してくれた着替えに袖を通して、ヨーイチは今一度、あてがわれたその部屋を見渡す。ここはさっきまで居たライブハウスの右隣にあるアパートの一室だ。この辺一帯の商店街は、ナナシが取り仕切る売魂者グループの縄張りらしい。
ノックの音がして、返事をする間もなく扉が開いたかと思うと、坊主頭が顔を覗かせた。

「ナナシさんが呼んでる。ついてきてくれ」

ユータにつれられアパートの階段をのぼながら、ヨーイチは慎重に切り出した。

「……あんたらは、なんだってこんな所に? 反逆者だって言ってたけど」

とぼけたフリをしてそう尋ねる。こちらを全く疑っていない様子のユータは、振り返ることもなく言った。

「あのお高い塔にいる奴ら、全員信じられないからだよ。こちとら、罪を犯した記憶なんて微塵もないんだ。それなのに、生まれたときから犯罪者呼ばわり……不条理にもほどがあるだろ」
「そうだけど」
「加えてあいつらは嘘つきだしな。あの塔の中で、何をしているかわかったもんじゃないだろ。24年前の事件が良い例だ」
「事件」
「24年前、走馬塔に一時隔離していたクロアナが暴走して、人質に取った子供を塔の最上階から投げ落としたんだ」

ユータはちらりとこちらを振り返って言った。

「まあ、暴走したクロアナが悪いって言われればそれまでだけど、重要なのはそこじゃない。隔離していたクロアナを逃がしたのは、走馬燈局の監理不足だったからなんだ。しかしその罪を問われることを恐れて、局はこの事件をもみ消した。つまり日常的にそういう情報改竄をやってる可能性があるってわけ。ネットで広まって今や周知の事実だが……まあ、あんたが知っているはずないわな」

ユータはそう言って、「ついたぞ」と顎でドアをしゃくる。そこは、最上階の角部屋だった。
売魂者のボスの部屋だからさぞかし豪華だと思っていたが、さっきヨーイチにあてがわれた部屋と全く構造は変わらない。小さな机に2組の椅子、部屋の隅っこには小さな棚があり、今時とても珍しいデッドメディアである紙の本がぎゅうぎゅうに詰められている。
大混乱後、資源削減と情報管理の都合で、紙媒体に何かを記録することは世界中で禁止された。ここにあるのは、旧時代の遺物なのだろう。

「だいぶマシなツラになったね」

食卓で酒をあおっていたナナシが関心したように言った。テーブルの上には出来たてであろう食事が並んでいる。ヨーイチが普段口にしているものと比べたらお粗末なものだが、たしかにクロアナにしては十分良い食べ物だろう。
ここまで案内をしてくれたユータが出て行って、ヨーイチはナナシと二人きりになった。即席で作られたディナーで、ボスによる新人面接ということか。ヨーイチはボロを出さないよう、「ソーイチ」になりきることを意識した。

「で、ソーイチ。ここの居心地はどう?」
「……変な感じがする」
「変? なにが」
「ずっと白い部屋にいたから」

頭の中で矢土から叩き込まれた隔離所での生活を思い出しながら、ヨーイチは慎重に答えた。幸いなことに、クロアナの走馬燈ならば数え切れないほど見た。隔離所にいる彼らがどんな生活を送っているかは、もしかしたらナナシよりもヨーイチの方が詳しく知っているだろう。
ナナシはうなずくと、身を乗り出して肘をテーブルに着き、指を組む。じっとヨーイチの瞳をのぞき込む彼女の鋭い瞳に、たまらずヨーイチは目をそらした。

「君が逃げてきた収容所、あそこはまだ広いほうだと思うけどね。どんな場所で、どう過ごしていたのかな」
「どうして、そんなこと知りたいんだ」
「私たちは君を助けた。部屋を与えて、暖かなご飯も用意したよね。次は君が私たちを助ける番でしょう。人間は何かを交換して生きているからね」

答えになっていない答えに、ヨーイチはしばらく黙った後、小さな声で言った。

「……正方形の白い部屋で、歩いて縦横4歩くらいの部屋だ」
「今の君の身長で?」
「そうだ。トイレと机が一つ、窓は無い。天井に丸い明かりがひとつ……決まった時間について、決まった時間に消える」
「朝と夜ね」
「そう、電気がついたら起きる。7日のうち5日間は『仕事』。残り二日は自由で、談話室でデジタルテキストを読んだり、テレビを見たり」
「君はBランクだったからね。いずれ社会復帰する、その勉強というわけだ」

それからナナシはヨーイチに細かに質問を浴びせた。風呂の回数や食事について、運動はどういった種類のものをさせられるのか。談話室のテレビでみた番組の名前や読んだデジタルテキストの内容。警備の人数、シフトは何日おきか、武器などをもっているかどうか。

「で、隔離所での仕事についてだけど。何をやらされていたの?」
「なにか……部品を組み立てた」
「毎日同じもの?」
「長い間ずっと同じだ。でも2、3年おきに変わる」
「年齢にあわせて、作る物が徐々に複雑になっていくんだね」

そう言って、ナナシは紙とペンを取り出し、思い出せる限り作った物の絵を書けと言ってきた。ヨーイチは素直にその絵を書くと、ナナシはじっと見つめた後、顔をあげた。

「これ、何か分かる?」
「さあ」
「これは掃除用ロボットのアームの中の部品の一部。こっちは音響スピーカーの外枠だね。これは走馬灯局にあるコーヒーメーカーの土台だろう」

すらすらとそう言うナナシの言葉に、思わずヨーイチは口に含んだオムレツを吹き出しそうになる。すべて当たっていた。ロボット技術の発展と人件費コストの削減のため、この国の工場はほぼすべてが無人化されているが、クロアナにはもちろん人件費などとは無縁だ。走馬燈局で活躍している自立ロボットのパーツは、70パーセント以上がクロアナの手作業によって支えられていると言って良い。

「なんで……分かる?」
「教えられないね。君はまだ、私たちの仲間じゃない。もし君が私から何かを知りたいのなら、私たちと同等にならなくては」
「売魂者になれってことか」

組んだ指の上で、ナナシはあごを引いてうなずく。

「文字通り、魂を売るんだよ。走馬燈局のあの巨大なタワーを破壊することを見返りに。言ったでしょう、いつだって、人間は何かを交換しなくてはならない。君に魂を売る覚悟はある?」

ヨーイチが押し黙ると、ナナシは「さ、続きだ」と手をたたく。

「これが私が一番知りたい質問。……君は生まれてから今までどんな気分だった?」
「気分?」
「あの白い隔離所にいて、どんな気持ちだったかってこと」
「そんなことを知って、どうするんだ」
「君がなぜあそこから抜け出してきたのかを、私は知りたい。君みたいなのはね、レアケースなんだよ」
「レアケース……」
「隔離所のクロアナは赤ん坊のころからそこにいる。外の世界を知らず、その場ですべてが完結している彼らは、そもそも『抜けだそう』なんて考えに思い至らない。彼らが人生を呪い始めるのは、あの白い部屋をでてこの混沌とした世の中に放り出されてしばらくしてからだ。だから……君のように『勝手に』隔離所から抜け出してくるクロアナは、ほぼいない」

ナナシの目が細められ、じっとヨーイチを見据えた。

「だから私たちは隔離所に閉じ込められているクロアナを『呼ぶ』んだ。忌々しいブレインスキャナの技術をまねて、隔離所にいるクロアナの脳にメッセージを送る。波長が合う者は少ないが、何百分の1の確率で、返事が返ってくる。その人物を特定して、私たちは彼らを説得して、呼んで、逃がす……。あの日、あの隔離所で波長が合ったのは二人のクロアナだ。しかし……三人目のクロアナが逃げ出したという情報を見て、目を疑ったよ。なにせ、こっちには呼んだ覚えがないからな。隔離所の混乱に乗じて抜け出したって言っていたけど、あんたそれ、信じていいわけ?」
「……俺は、」
「もう一度きくよ。君は生まれてから今まで、どんな気分だった?」

ヨーイチは、想像しようとした。「ソーイチ」というクロアナが、あそこで過ごしてどういう気分だったかということを。
白くて狭い、窓のない部屋。死ぬまで、ずっとこのままここにいる。つるつるした冷たい床に、蛍光灯の光源とともに、自分の顔が反射して映っている。
そっと、そこに手の平を置く。細い指。死ぬまで、私はこの建物から出られないのだ。

わたし?

ヨーイチは驚いて床をみつめた。
そこには少女が映っていた。
ぱさついた髪の毛。
そばかすの散った顔。
じっと自分を睨め付ける、つり目がちの瞳。


『わたしは、なにも悪くない』


「ソーイチ?」

ナナシに肩をゆさぶられて、ヨーイチは我に返って立ち上がった。椅子が床に転がる音がする。目に残像がちらつく。白い蛍光灯、手のひらに伝わる床のつめたさ、怒り、悲しみ、やるせなさ……。
ヨーイチは手で顔を覆って、大きく息を吸った。

「大丈夫? 何か嫌なことでもあった?」
「……ずっと、嫌だった」

ヨーイチは、気付いたらつぶやいていた。

「一生あそこから出られないんだと思うと、悔しくて」

悔しくて、何だというのだ。

「理不尽だと思った」

まるであのときと同じだ。

「私は――……俺は、なにも、悪くないのに」

今、自分は何かに『溺れて』いる。
ヨーイチは必死に抗おうとした。これは、あの少女……ヨーイチの『来世』の感情だとでもいうのか?

「気分が悪い……申し訳ないけど、もう寝させてもらう」

胃に収まった料理が鉛のように感じる。このままここにいたらあの少女に飲まれる。ボロが出る前に、撤退をしなければ。

「そうか、残念」

ナナシはヨーイチを引き留めること無く、グラスをひとり傾けた。一刻も早く一人になりたかったヨーイチは、早足で出口へむかう。

「君には素質があるよ」

ドアを閉じようとするヨーイチに、ナナシが言う。

「私たちに魂を売ること、考えておいて」

返事をせずに、扉をしめた。
廊下はがらんとしていた。階下には人の気配があったが、この階にいるのはナナシだけらしい。ヨーイチが耳を澄ますと同時に、胃の中の気持ち悪さが嘘のように退いていく。さっき「見た」ものがまるで夢だったかのように。
いや、実際夢だったのだ。深呼吸をしてから、ヨーイチは今回の任務を実行することにした。
ズボンのポケットの中に忍び込ませていたカプセルを取り出す。親指大ほどの大きさのそれを、教えられたとおりの順に捻って開けた。
その瞬間、中から『虫』のようなものがわらわらと溢れ出てきた。ぎょっとしてカプセルを取り落としそうになるが、わずかに残った理性がそれを押しとどめる。ナナシの部屋の扉の前で、無駄な音をたてるわけにはいかない。

『このカプセルの中に、30個の自立型カメラがある』

今回の任務内容を説明するときの、井坂の言葉がよみがえった。

『空気に触れた瞬間、自立起動して、周りの風景に擬態しながら建物のまわりを徘徊するんだ。人前で開けなければ、肉眼でとらえられることはまずないだろう。君はタイミングを見て、そのカプセルを開ければいいだけだよ。それが、今回の任務。逆に言えば、それ以外をしてはならない』

井坂の言葉通り、その虫型カメラはヨーイチの手を、腕を、足を伝って放射状にひろがって消えていく。おそらく移動するたびに、周りの風景に擬態しているのだろう。開けた場所を中心に、指定された範囲内を網羅する設定だから、これでライブハウスからこのアパートまで一式監視をすることができるだろう。
音も無く任務が完了し、ヨーイチは少しのあっけなさを感じながら自分にあてがわれた部屋に戻った。あとは、無事にここから抜け出して、井坂達の待つ車に戻るだけ。
抜け出す時間は深夜の2時。ピックアップ場所までは歩いて40分ほどかかるだろう。硬い寝台に横になりながら、ヨーイチは脱走ルートを思い描く。路地が入り組んでいるから、間違えないように戻らなければ――…。
ゆっくりと瞼が下りていく。
波に飲まれるように、ヨーイチは眠りに落ちていった。

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