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【同乗者たち】第2章 売魂者たち【06】

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「個人的にはまだ心配なんだけど……グラフ的には、君を現場復帰させざるを得ないなあ」

次の日、退屈な窓口業務から解放されたヨーイチは、走馬塔にある時崎のカウンセリングルームを訪れていた。いつも他人の前世を覗き見しているくせに、自分の精神状態をモニタリングされているのは気分がよくない。

「無茶ばかりするから嫌なんだけど……仕方ないね」
「時崎さん、今日は敬語、使わないんですね」
「今きみは監理官じゃないから。私たち、同い年だし」

あっけらかんとした口調で時崎は言った。たしかに彼女と出会ってから、ヨーイチが監理官ではなかった時は片時もない。

「じゃあ俺も今は、使わないでおく」
「一瞬だけだろうけどね」

時崎は残念そうに言いながら、ヨーイチに向き直る。

「本当に大丈夫なんだね? 目眩や立ちくらみは?」
「ないよ」
「悪夢をみることは」
「毎日快眠だ」
「白昼夢、幻覚をみることは」

一瞬息をつめたのち、すぐに返答。

「ありません」

小さくため息をついて、時崎はデスクの引き出しを開けた。銃身が短く不格好な銃型機器を手に取り、改まった仕草でヨーイチに差し出す。

「では、今日からまたよろしくお願いします、新田監理官」

ブレインスキャナのグリップを握って電源を入れる。ヨーイチの脳派を検知した瞬間、視界に見慣れたアイコンが並んだ。未読の書類が溜まっている。現在捜査中のクロアナの件だろう。
カウンセリング室を出てスキャナの使用履歴を確認した。最後に走馬燈再生をしたのは一週間前、伊藤チハル、Aランク、場所は記念公園こどもひろば。
謎の少女とSランクの走馬灯記録は、どこにもない。

「……だよな」

自嘲気味な独り言が漏れた。こんな当たり前のことを確認するのに、手が震えそうになるほどに緊張していたことに気付く。やはりあれは、ただの幻覚だったのだ。
馬鹿らしくなりホルスターにスキャナをしまったとき、脳内通話アイコンが点滅した。

<やあヨーイチ君、通話できるってことはスキャナ回収できたのね。退院おめでと>
<入院してたわけじゃ無いですけど……ありがとうございます>
<まあなんだ、無理はしないように……って言いたいところだけど、もう次の仕事なんだ。一時間後、指揮官室に集合で>

井坂がいつになく真面目な声で告げた。

<この間逃がしたクロアナ、やっぱり売魂者が絡んでいるみたいだ>



部屋に入ると、矢土指揮官がディスプレイの上にかがみ込んでいるのが見えた。艶やかなショートカットとピアスが照明に照らされて輝いている。モデル顔負けのその造形から、井坂はいつも「口をひらかなければファンになるのになあ」と影口を叩いている。
矢土はヨーイチに気がつくと、彼の視界に書類を表示させた。時崎が発行した、ヨーイチの現場復帰の許可証だ。

「時崎からの報告によれば、精神状態はクリアなようだな、新田」
「ご迷惑をおかけしました、俺のせいでクロアナが……」

ヨーイチは少し困惑しながら言った。矢土指揮官のことだ、面を会わせた途端、失態をおかしたヨーイチのことを酷く罵倒するに違いないと思っていたのに。予想に反して、どことなく上機嫌そうに見える。

「ヨーイチ君が逃がした『餌』のおかげで、大物の売魂者が釣れるかもしれないんだよ」

脇のソファでくつろいでいた井坂が、その上機嫌の理由を説明してくれた。

「あのクロアナのチップは破損していたみたいだけれど、断片的に通信は維持されていてね。かろうじて逃走ルートを絞り込めたから、付近の監視カメラを総当たりしたんだ。そして、最後に通信が途切れた場所で……こいつが映り込んだ」

井坂が送ってきたファイルを再生する。土砂降りの路地裏を走る子供……伊藤チハルの前に、突如一人の人間が立ちふさがった。ぶかぶかのジーパンに大きめのパーカー姿、フードを深くかぶっているせいで顔は不明だが、体格的に男性だろう。

「これって……例の『フードの男』?」
「そ。このフードの男、あらゆるクロアナ街で目撃されているんだよね。それこそ都市中、季節問わずにだ。こうも活動領域が広いということは……各地のゲリラを統括しているリーダーの可能性が高い。もちろんSランクだ」

男は少女の手をとり、カメラの死角へと姿を消した。おそらく付近にアジトか、一時避難所でもあるのだろう、しかし……。
再生を終えたヨーイチは眉をひそめた。

「罠では? 易々とクロアナと接触する様子を見せる失態を犯すなんて……今までまったく手がかりがなかったのに、こんな急に」
「ほう、ずいぶんと奴を高評価するんだな」
「そういうわけじゃ……」
「怪しいのは百も承知だ。しかし、お前も言うようにこいつは何年間も突然現れては消えるを繰り返している。今回こそ、何か手がかりがほしいのだが」

そう言うと、矢土の美しい口元がゆるんだ。ヨーイチの背筋が寒くなる。彼女が笑う時――良いことが起きたことは、過去一度もなかった。

「新田。お前、今回の失態の名誉を挽回したいか?」
「それは……もちろん」
「実は、お前がクロアナを取り逃がしたその日に、偽の情報を走馬燈のコンピューターで共有するように局長に申請しておいた。一人目の東条ミチオ、二人目の伊藤チハルの脱走の混乱に乗じて……『三人目のクロアナが逃走した』と」
「……つまり?」

おそるおそる問うヨーイチの目の前で、矢土の唇は完璧な弧を描く。



「……うまくいくとは思えないんですけど」
「似合いますねぇ新田くん。この世のすべてを恨んでいる目つきをしています」
「やめてください、時崎さんまで」

狭いワゴン車のコンテナで、ヨーイチはすりきれた古いジーンズをつまんだ。酷く着心地が悪い。上に羽織ったパーカーも、袖に大きく穴が開いている。井坂がリサイクル工場から救い出してきた着古しの洋服だ。生ゴミにまざって捨てられていたらしく、酷い臭いがする。
時崎に手鏡を渡されて自身の顔をのぞき込めば、ぼさぼさの髪の毛をした目つきの悪い男がそこにいた。「一週間逃げ回っている設定なんだから」と、井坂と時崎に汚れをすりつけられ、頬は土やほこりで汚れている。確かに違和感はない。不覚だが悔しいし、納得がいかない。

「止めてくれないわけ、時崎さん、俺のことあんなに心配していたのに」
「クロアナの走馬燈を一日に何度も見るよりは、現実のクロアナの棲家に忍び込む方がまだ安全ですよ」

鼻をつまみながら時崎は言う。精神グラフにしか興味のない数値人間の時崎は、ヨーイチが肉体戦でクロアナに負けるなど思ってもいないのだ。ここに自分の味方はいないと、ヨーイチは絶望的な気持ちになった。

「心配しなくても大丈夫だよ、戦闘になることはないんだから。君はちょろっともぐりこんで、ちょろっと帰ってくればいいだけ」
「簡単に言いますけど上官、バレたら戦闘は避けられません」
「そしたら袋叩きだねぇ。ま、バレなきゃいい話」

井坂はそう言って、カビているコッペパンをヨーイチに手渡す。ヨーイチは顔をしかめながら、それをパーカーの腹についている大きなポケットにおさめた。ゴミ箱に捨てられた食べ物を盗んで生きながらえている設定だった。

<準備はできたか、新田>

矢土指揮官の声とともに、ヨーイチの脳視界に地図が表示される。これから潜入する区域だ。

<わかっているだろうが、スキャナは持ち込めない。こっちへの通信はおろか、地図も見ることはできないからな。今のうちに頭に叩き込め>
「はい」
<すでに偽情報は売魂者の間では広まっている頃だろう>
「……伊藤チハルは、本当に俺の顔を見ていないんですね?」

ヨーイチは念を押すように井坂に聞いた。あの日取り逃がしたクロアナ……伊藤チハルは、ヨーイチがこれから潜入する場所にかくまわれている可能性が高い。井坂いわく「ヨーイチの顔は見ていない」らしいが、売魂者の巣窟でヨーイチが前世監理官だとバレてしまっては、何をされるかわかったもんじゃない。
不安げなヨーイチに、井坂が軽い調子で言った。

「大丈夫、あの子は取り押さえられてから逃げ出すまで、ずっと下を向いていたし、君の顔は見ていないよ。ただ声は覚えているかもしれないからね。声音と口調はできるだけ変えた方がいいかも」
「はあ」
「心配じゃないと言えば嘘になるけど、君にうってつけの仕事だからね。施設から逃げ出すクロアナに扮するならば、若い者の方が良い」

井坂に肩を叩かれため息をついていると、時崎が白い注射器を片手に持ち、ヨーイチの腕をとった。

「さあ、最後の仕上げです」

あの中に、マイクロチップが入っている。誰よりも憎んでいるクロアナに、今から自分がなるのだ。針が皮膚を突き抜け、鋭い痛みが親指に走る。屈辱的だ。今まさに、クロアナである印が自分の体内に入り込んでいる。精神的な吐き気に襲われながら、ヨーイチは注射器から目をそらした。

「はい、おわり。腫れは五分ほどで引きますから、それまで車内で待機……大丈夫ですか?」

ヨーイチの顔色を見た時崎が訪ねてくる。ヨーイチは顔をそむけながら、車のドアをあけた。

「行ってきます」

これは、クロアナを取り逃した自分への罰だ。こんな任務、さっさと終わらせて、チップを体から抜いてもらわなければ。

「ご乱心だね、『ソーイチ』くん」

苦笑交じりの井坂の言葉に振り返ることもなく、ヨーイチは売魂者の巣窟へと足を踏み出した。



荒れ果てた通りを、できるだけ音を立てずに進む。といっても、道路には瓦礫や割れた窓ガラスや酒瓶が散乱して、どうしたって足音が響く。一般人が住む、整備されている町並みとは雲泥の差だ。
前世法が制定されてから徐々にクロアナが流れ着く地域は増え、やがて「クロアナ街」と呼ばれるようになった。大混乱の爪痕が残るその街は、時たま思い出したように政府の整備が入るが、たいていは放置されている。クロアナに一般人との格差を自覚させるためだと囁かれているが、真偽のほどは定かでは無い。
うつむいて歩きながらも、ヨーイチはあたりに耳をすませた。人がいないわけではないのだ。今も近くのボロアパートの中から笑い声や、料理の香りが漂ってくる。母親が子供を叱る怒鳴り声に、男の叫び声とガラスの割れる音。音質の悪いテレビから聞こえてくる午後のニュースキャスターの声。あふれかえるゴミ捨て場から漂う、すえた香り。
ヨーイチは胸がつかまれるような感覚になった。思わず立ち止まって息を止める。絶対に思い出したくない、恥ずべき日々のこと。止めたいのに、まるで走馬燈を再生している時のように、脳裏にまざまざとよみがえる記憶がある。

「くすり、くすり」

どこかから奇妙な歌が聞こえてきた。

「くすり、くすり、まっさらに死ねるくすりだよ」

すぐ横の路地の木箱の上に老婆が座っている。そちらもヨーイチに気づいたのか、油でぎとぎとに汚れた髪の毛の隙間から彼を見つめ、小枝のような腕をあげた。手のひらに、白い錠剤が3粒乗っている。

「まっさらに死ねるくすりだよ。そこのあんた、いらないか」
「何言って」
「これを飲むと死ねるんだ。そう、苦しまずにころんとね。そして目覚めた時も、前世で自殺した記憶だけころんとすべり落ちる。一般人として生まれ変われるよ」

嘘に決まっている。おそらくただの頭痛薬か何かで現金をかっぱらおうとしているのだろう。そう分かっていながら、ヨーイチの足は止まったまま動かなかった。薬のせいではない。老婆の、その瞳のせいだ。
濁ったその瞳はまるで黒い穴だ。そこにヨーイチの姿は映っていない。ヨーイチは今になって初めて、その女が見た目よりも年を取っていないことに気づいた。せいぜい40歳半ばか。

「おにいさん」

がらんどうの瞳に吸い込まれる前に、ヨーイチは駆け出した。あの黒い二つの穴。見覚えがある。一人や二人ではない。とっくに捨てたはずの記憶の箱が、まだ自分の中にあったのだ。蓋をして、見えないふりをしていただけで。
ふいに足元がふらついて、ヨーイチは派手に転倒した。左右サイズが違う靴をはいているのだから無理もない。うめき声をあげながら体を起こしていると、頭の上から声がふってきた。

「あんた、大丈夫?」

ヨーイチはぎょっとしてひっくりかえるように後ずさった。反射で腰のスキャナに手をのばしてしまい、あっけなく空をかく。挙動不審なその姿に、声をかけてきた男は眉をひそめた。そり上げた頭には小さな入れ墨が入っている。ついでに眉毛も剃っているため、眉間の皺がさらに目立った。

「あんた、見ない顔だ。ずいぶん汚れてるけど……この地域のもんじゃないだろ」
「おれは」

しどろもどろにヨーイチは言いながら、頭の中で設定を思い出した。隠れ場所を探すように後ずさった瞬間、素早く腕を捕まれる。

「兄ちゃん、どっから来た」
「それは」
「言えないようなところか」

だんまりを決め込むと、「安心しろ」と、柔らかい声音で男は言った。

「腹、へってるだろ。ちょっと寄っていけよ」
「寄る……?」
「俺達の寝ぐらさ」

おそるおそる顔をあげて見れば、強面の男は予想に反して優しげに笑っていた。

「すぐそこだよ。行き場の無いやつらが集まってんだ。来いよ、ボスのところに案内してやる」

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