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コロナ禍で妊娠して思ったこと等

まだ産まれるまで期間があるというのに、すでに10キロくらい体重が増えてしまいました。見た目的に、明らかに太った!と感じないのがまた怖いですが、数字では確実に増えています……。

私は痛いのは怖いので無痛分娩の病院で探していて「産後ご家族も泊まれます」と謳っている病院に最初通っていたのですが、コロナ流行に伴い「家族の宿泊は禁止、面会制限もあり」と変わってしまったので、途中で分娩先を変えました。新しい病院も、家族の宿泊は禁止なのですが、現段階では面会は大丈夫なようなのでこのまま出産まで面会禁止にならないことを祈るばかりです。

ただコロナの影響で両親学級も母親学級も無いので、自力で覚えるパートが多く、また日頃体重増加を防ぐための運動に関してもマスクをしたまま行わないといけないので、何かと制約が多くはあります。それに伴い、情報を得られる場所も少ないので、友達経由で先輩ママさんに「これは買っておいたほうがいい」などの情報をもらい、ベビーカーなども吟味しています。

もう妊娠生活も後半ですが、まだ産まれていないのでなんとも言えない部分はありますが、仕事との折り合いのつけ方が、私の中ではコロナよりも大きなテーマでした。今までと同じペースで仕事をできないということへの自己嫌悪や罪悪感のようなものが心の側に常にあって、それらが心に影を落としていました。


この罪悪感というのは締め切りを破ってしまう!というようなタスク管理に関するものではなく、今までポルシェのエンジンで走ってたのに、急にホンダの軽に乗り換えたような……自分の馬力不足が顕著になったことに対する戸惑いと自己嫌悪です。例えるならば、自分の中で共存しているジョッキーと競走馬がいて、ジョッキーがいくら焦ったところで、競走馬が走ってくれないので、ジョッキーが焦るというような感覚でしょうか。

何かを進行しながら、新しいものを手がけていかないといけない、なぜならレースで脱落しないために。という考えがあったので、連載をやりながら新しい連載の企画を作るということを日常的に行っていたのですが、エンジンが変わりそれができなくなってしまったので、自分の中に溜まっているアイデアの種がどんどん風化していってしまうような恐怖に襲われていました。正直、子供を授かろうがさして変わらない日常を送れる男性が羨ましいと何度も思ったし、夫の「仕事頑張った話」を聞くたび、使命感を持って仕事を頑張れることに対する羨ましさが湧いてきたりもしました。今までアイデンティティの拠り所だったものを急に一新しないといけないという変化と、人生でおそらく貴重な時期であろうに子供のことが全てになれない自分の終わらない自己実現願望の強さに罪悪感を持ったりもしました。

どうしても自分+赤ちゃん=2と考えられない。自分/赤ちゃんはまた別物だと思ってしまいます。こういう風に育ってほしい、こんな人になってほしいという様々な願望はありますが、赤ちゃんと自分の人生が完全に重なるというイメージは私にはついていません。自分の人生は自分の人生、赤ちゃんの人生は赤ちゃんの人生だという思いから抜けられずにいます。この考え方に善悪のジャッジがくだされるのかすらいまだ未知ですが、少なくとも1つの考え方として私はそのように思いました。

なので、今日コツコツやってきたお仕事の告知をできたことを嬉しく感じました。

どうしてでしょう?きっと自分の世界を生きている実感があったからだと思います。


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