茶屋町の歴史と現在。
めちゃめちゃ忙しい筈なのに最近アトリエ三月のコミュニティの記事とnote両方とも記事を更新できてるの謎なんですけどもしかしたら実は全く忙しくないのでは?という疑惑が発生。
今日は朝から新しいプロジェクト、NU茶屋町のウィンドウギャラリーの搬入でした。
まだまだ個人スポンサー様募集しております!!
ご購入いただき誠にありがとうございます!!しかし「何するのかわかってない」ということはもしかして全く伝わってないのでは??
今回はただウィンドウギャラリーを借りて展示するというコトではなく、僕の根底に「茶屋町をアートの力で活性化させたい!」みたいな思いがあります。
ここ最近はすっかりアトリエ三月の原となっておりますがそもそも作家活動は今年で20周年。15年間中崎町に住んでいるというコトで2005年オープンのNU茶屋町とは歳が近いです(歳が近いです???
茶屋町の移り変わりをずっと近くで見てきました。(こないだ全く同じこと書いた
NU茶屋町がオープン時は館内全てを使って「アートで彩る」みたいなイベントをしていたんですよね。
オープニングではNUにちなんで動物のヌーにアーティストがペイントしたものがズラーっと並んでいました。
その当時、まだ「アート」という言葉がまだ今ほど身近ではなかったと思います。
NU茶屋町は当時からアートイベントを積極的に打ち出していて、僕も何度かそこでライブペインティングをしたりしていました。
その当時はとても新鮮だったのを今でも覚えています。
当時は茶屋町の開発ラッシュで、NU茶屋町、NU茶屋町プラス、丸善ジュンク堂が相次いでオープンし、とても注目を集めていたこともあります。
しかし段々と開発ラッシュは梅田の中で移動をはじめ、阪急百貨店、阪神百貨店のリニューアルオープン、グランフロント大阪のオープンで人々の注目が移動したのは確かです。
今は茶屋町の開発がほぼ落ち着いて中崎町に注目が集まっていますが、梅田徒歩5分の茶屋町にはまだまだポテンシャルがあるのは前回の記事でも書きました。
突然話が逸れますが、僕が昔から大ファンの新之助さんのブログです。趣味が高じてブラタモリでタモリさんの案内役をするにまで至った方。ここに明治18年の茶屋町の地図と現在の地図とを重ねた画像があります。
いやー見事に今の阪急梅田駅や茶屋町界隈に何もないのが分かりますね。中崎町の方が民家が多い。昔は茶屋町には菜の花畑が広がっていたそうです。
旧能勢街道(池田街道)に面していた現在の茶屋町の名前の由来は3軒の茶屋「鶴乃茶屋」「萩乃茶屋」「車乃茶屋」があったことに由来します。
茶屋町とアートをどう結びつけようか、と思った時、ちょうど茶屋で菜の花や月の風情を愉しむようなことは今のアート鑑賞に近いものなのではないかなぁ?と思い、ここら辺は僕からこのイベントを担当している小川さんにお伝えしました。
いうてレストランフロアですが、待ち合わせの際やお店の外で待たれている方が目に止まるような格好で作品を見る機会になればいいなと思いました。
何が言いたいかというと、茶屋町も中崎町くらい好きなんすよね(雑
そんな茶屋町でアートを通じて人々の美意識や想像力にちょっと引っかかるような、そんな機会になれればいいのかなと思います。
少しづつ今の茶屋町から何かもっと大きなことをできたらいいなぁという妄想の第一歩ですね。
今日はこの辺で
大阪で絵画制作や美術活動をしつつ、ARTspace&BARアトリエ三月を運営しています。サポート頂いた分は活動費やスペース運営費として使用させて頂きます。全ての人がより良く生きていける為に 美術や表現活動を発信し続けます。