見出し画像

アートってなんですか?

ただいま生きる展の大搬出中。あまりにも個人的な大荷物すぎてあんまり手伝えることがなくつらつらと書きます。

とはいえこの一週間のことを書くにはちょっと時間が足りません。ここ最近のイベントや展示についてはまた改めて振り返ってみてもいいのかなと思います。


思えばこの秋口にかけてのイベントラッシュを目の前に、突然父親が亡くなったところら辺からずっと全速力で走りっぱなしでした。もう4ヶ月も経ったのか、とびっくりしながらそれでも一日たりとも父親のことを考えない日がありませんでした。


それ以降涙腺がやけに緩くなり、ちょっとした達成感を感じただけで涙ぐむ日が続いています。


そんな中、今回の生きる展にてようやくひと段落を迎えることができそうです。まだまだやることは大量にありますが・・・・


このタイミングで生きるの二人に展示をお願いできてとてもよかったなぁとこちらもしみじみと感じます。彼女たちに出会ったのはもう7年も前のことで、アトリエ三月ができたばかりの頃に開催した石フェス!という石をテーマにしたイベントの第一回目に生きるのみうるが通りがかりに足を運んでくれました。


僕がギャラリーをやるからには、と普通のギャラリーではできないような企画を考え、ちょうどその頃日本の各地に行った際にはまっていた石ころ拾いからヒントを得ました。

最初は作家が個人的に集めている石を展示しているというめちゃめちゃシュールな内容でしたね。

最初から、アートかどうかは自分にとっては関係なくて、ギャラリーではあっても必ずしも「アート」や「ART」の展覧会をしているつもりはありません。なのでアトリエ三月を紹介する際には極力「アート」「ART」とは言わず、「あらゆる表現を発信します」というようにしています。


生きるの二人はそんな言葉にはとらわれず、等身大の自分が感じ、出会い、作ったことは全て作品という訳です。

絵も服も雑貨もフリーペーパーも、料理やその場所、その空間や発せられた言葉も全て作品です。


女性なのであまり言いませんでしたが会期中は女性二人とそれぞれの子供の4人でアトリエ三月にずっと泊まり込んで制作と発表を続けてきました。

自由という言葉を使うととてもチープに捉えられるかもしれませんが、それでも彼女たちは自由に伸び伸びと制作を続けます。



最近はやたら真面目なギャラリーのフリをしていたので(そもそもBARがある時点で真面目ではないが)、7年間で培われたものなどの一切をぶち壊してもらえることができたと思っています。会期中にずっとギャラリーに子供がいて、ご飯食べたり笑ったりしているのを見て、とても気持ちが良かったのです。


アートという言葉が市民権を得て、多くの人、メディアが「アート」という言葉を使い、僕たちを縛ろうとしていますが、実際には「アート」という言葉に明確な定義が存在せず、よくわからない表現を「アート」という言葉に括るようなことは僕が描いている作品を「抽象画」という言葉で括られる感覚に近い。


なんでも良い訳ではないが、なんでもいんだよ、とも思います。


そこに嘘偽りのないあなたが描かれているのなら、それで。


まだまだ色々と沢山書きたいことがありますが少し時間ができるのでちょっとずつ書いていきます。

大阪で絵画制作や美術活動をしつつ、ARTspace&BARアトリエ三月を運営しています。サポート頂いた分は活動費やスペース運営費として使用させて頂きます。全ての人がより良く生きていける為に 美術や表現活動を発信し続けます。