”泣く”ことは悪いことじゃない、涙を流すことを肯定しよう
「泣かないの」「泣く子は弱いよ」「我慢できたらえらいよ」
理由があって涙を流しているのに
言われる言葉は決まって
その涙を否定する言葉。
「もう泣き止んで」「まず泣き止もう」
そして1分1秒でも早く
泣き止むようにと促される。
いつからそんな言われ方をされるようになったんだろう。
泣いている子=弱い子=直さなきゃいけないことなの?
まず、赤ん坊のころの記憶はない。
つぎに、幼少期にも泣きまくっていたが、
そのような言葉を親や祖母から言われた記憶はない。
いま思い返すと(わたしにとっては)かなりありがたい接し方を
されていたんだなーと思う。
小学校に上がり、集団生活が本格化すると、
泣いて全体の流れを止める人間は少数派だから、
残りの泣いていない人間たちによって煙たがられたり、
流れを止めてはいけないと思う大人によって
涙を否定される。
それが中学、高校と年齢を重ねると、
小学生以上に、泣く人間は特殊化されて、
「すぐ泣く子」「泣き虫」といった言葉で
ネガティブな性質として認識されはじめる。
悲しいけどこの環境はわたしの場合だけではなく、どこでもあることだと思う。
(かく言うわたしは『泣き虫』も別に悪い言葉ではないといまは思っている。)
大抵の場合ここら辺で
泣く=弱い とか、
泣く=ウザがられる みたいに、
泣くことはよくないことだとしっかり脳にインプットされて、
人前で涙を流すことを抑えたり、恥ずかしいことだと認識する。
「みんなにうっとうしく思われる前に泣き止まなきゃ」
無意識にもそう思う人は多いんじゃないか。
そうしてある程度価値観が完成していった人が
集団生活をしているから、
人の涙に対して、ネガティブな印象を受ける環境がすでに出来上がる。
そのコミュニティ、社会全体に放り込まれて生活するんだから、
みんな涙を必死に堪えて、感情を殺そうとして、我慢をしてしまうんじゃないだろうか。
我慢しなくていいんだよ、泣くことは良いことだよ、と言いたい。
涙にはストレスを流し落とす効果もあると言われている。
心のデトックスです。
それが本当だとすると、逆に泣くことを堪えている時間が長いほど
ストレスは流せずに溜まっている、ということ。
または別の発散方法に変えなければいけないということ。
別の発散方法のほうが、性格や体に合っていれば
もちろんそれはいいことだと思います。
わたしにとっての"泣く"という行為。
わたしにとって"泣く"という行為は、
単に感情表現のひとつであって、
それ以上でもそれ以下でもない。
うれしくても泣くし、
感動しても泣くし、
悔しくても泣くし、
驚いて泣くし、
悲しくても、イライラしてても、
表現方法は涙を流すこと🥲
表現、というよりも、
”感情が涙となって自然に目から落ちてくる”
というほうが近いかもしれない。
それを過剰に受け取られたり、
「泣けばいいと思ってるんだ」と言われたり、
演技だと思われたり、
「泣くほどのことではない」と否定されたり、、。
そういう言葉を放つ人に限って、
自分は怒っていたり、あからさまに苛立ちを表に出していたりするのです。
『怒るほどのことではない』とそっくりそのままお返し差し上げたいところですが、
心の平穏のために、ぐっと堪えてつぎのように思うようにしています。笑
日々生きていると色んな感情になる。
それらを表現には、
怒る・笑う・無視する・大きな声を出す・物を壊す
のように人によってさまざまだと思う。
当たり前のように怒ったり、無視したり、
声を荒らげたりする人がいる中で、
泣くことだけなぜ『我慢しないと弱い人間』
みたいな風潮があるのか理解できずにいる。
でもそれは前半で書いたような
幼い頃〜大人になるまでで育つ環境で
形成される価値観によるものなのかなーと最近は推測している。
わたしはやっぱりじぶんのことは自分で大切にしたいし、
じぶんが大切なひとのことも尊重していたい。
だから自分の感情表現は誰にも邪魔されたくないし、
相手の感情表現も邪魔したくない。
自分と異なるものを否定したくなる気持ちも
理解はできるけど共感はしない。
わたしは他人の涙も怒りも肯定した上で、
自分はずっとひとりで涙を流していたいと思う。
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