おっちゃんと高次脳機能障害 リハビリ編1

2019年3月21日 おっちゃんは退院した。帰宅は娘と二人で迎えに行って3人でバスで。自宅へ戻る途中のいつもの床屋さんで頭と髭をさっぱりさせて。店主のおじさんはおっちゃんが生まれた時からの知り合いで。帰宅できたことをとっても喜んで下さった。

帰宅したらじいちゃんの「早く店を開けろ。仕事しろ。配達に行け」という洗礼を受け これも想定内だったけどやっぱりきついし、嫁いで初めてじいちゃんに怒鳴る。(聴力がないので聴こえない)めっちゃくちゃ疲れる。
収まりがつかずおっちゃんと二人で歩いてお店まで向かう。が、しっかり歩くことが出来ないので私はおっちゃんのベルトを後ろからつかんで補助しながら歩く。普段10分くらいの道を30分かけてそれでも穏やかに歩く。

お店について以前やりたいと言っていたことをやることにする。

自動販売機の管理。が、しかしどこにカギを入れて良いのかわからない。麻痺があるため、ねじるとかカギを回すという動作ができない。それでも私が作業する様子を見て嬉しそうにしていた。

おっちゃんは情報を忘れている。だからこれからどんどん思い出す。
思い出すきっかけを作って下さった方がいる。
夫がここまで信頼している方を見た事はない。
そして、その方に関わって頂けた事で 自分の力を信じられたのだと思う。
「今は忘れているだけ。これから繋がっていく」
環境の変化に適応出来ず戸惑い 脳みそが心をフリーズさせる。そうなんだなと思う。春になって夫の心につきまとっていた氷も溶ける。
だいじょうぶ。
そして 私もだいじょうぶだ。
やりきれない想いを抱えて走った1ヶ月。
昨日 その想いを淡々と語ることで私も なんか変な表現だけど
ある意味成仏した気がした。
その瞬間瞬間を生きる事。
これなんだな。

お店から帰宅して私は寝てしまった。気が付いたらおっちゃんがいない。どうしたのか?と車庫に行ったら車をいじっていた。危険である。とっても切ないのであるがすべての自転車にカギをかけ、オートバイと車のカギを全部私が持つことにした。義父が認知症初期のころ同じことをしていたのを思い出す。切なくなる。

これからだというのに。

これからもっと人生を楽しむはずだったのにと切なくなる。

2019年3月22日
今日から6時半に家を出て30分かけて桜を見ながら歩いてお店まで通う。
リュック買ってあげないとなーと思っていたらご近所の洋品店で娘が選んで買ってきてくれた。リュックなら多少重くても大丈夫らしい。
そこにヘルプマークもつけた。
繋がらないところが多々あれど 待つことが出来ない事がイラッとするけど
まぁ、 自分の足でしっかり歩けてご飯も美味しいと喜んでいるならそれでええやん。と思う。

目を離したすきに銀行でキャッシュカードを使ってお金 をおろそうとして暗証番号がわからず無効になってしまった。とにかく自分の預金残高が気になるらしい。私に取られると思っているようだ。切ないがこの状態もじいちゃんと同じ。親子だよねって思う。けどやりきれない。銀行に行くと言ってきかず娘に頼んで同行してもらい暗証番号を変更してかえってきた。日々、少しずつ社会に触れることで感覚を取り戻してくれたらと思う。けど。切ない。やりきれない。

認知症を患う親御さんの介護を長いことやっていた友達が話を聞いてくれて少し救われたような気がしたが「今は序の口だよ。じいちゃんももっとひどくなるから」とも言われて突き落とされていく感覚になる。でも。やるしかないから。できることをするだけだと自分に言い聞かす。

お店のほうはおっちゃんのこと、じいちゃんのこと。この二人のことがあるからどうしても開けたり閉めたりになってしまう。どうしていくのが一番なのか?息子の定休日にまとめて配達をして、たばこの出張販売にも行ってもらい、仕入れもやってもらいと息子は少ない休みの中、手伝ってくれることになった。本当にありがたかった。時々私を見る目が「コロシテヤル」になってても気にならなかった(笑)

周囲からは「息子に継がせて手伝ってもらえ」という意見が多かったのだが、おっちゃんは17のころじいちゃんが事故にあい、選択の余地なく自営業に入ったと聞いた。そして本当は自分がやりたかった仕事があったとも。なので同じ轍は踏ませたくない。息子には息子の人生があるから。私ができる範囲に規模を縮小してやっていくしかない。じいちゃんには申し訳ないのだがそれしか選択肢はなかった。

今から考えると本当、必死だった。

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