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嫌いな海、狭い心

海が嫌いだった。消したい過去のように、洗っても足にまとまりつく砂。ビーチパラソルを建てたところで、ほとんど逃げられない日差し。夜には日焼た肌がヒリヒリと痛み、黒く焼けた肌には脇腹の白さが醜く目立つ。だから子供の頃に親に連れられて以来、海に行くことは一度もなかった。

私は自他共に認めるように心が狭く、嫌いなものが多い。相手を嫌う感情は、自然と伝わるものだ。特に今年の夏は「地球奮闘化時代」の気候のせいか冷房なしでは眠れず、朝起きた時点ですでにだるくて、疲れていた。ただでさえ不機嫌なのは、私だけではないのかもしれない。昨今のニュースといえば芸能人の不倫、経営者の不祥事、若者のドラッグ乱用、そんなもので溢れている。なぜ外に出て、わざわざイライラしている都会の人ごみにつっこまなくてはならないのだろう? コロナも5類に移り、在宅ワークが解禁されつつある中で、私は自粛を続けていた。そんな1日の歩数は3000歩という体たらくの私なので、会議は極力オフラインではなくオンラインで行っていた。そこで、思わぬ出来事に遭遇することになる。

いつもオンライン会議の際、背景は白い壁とウッドテイストの机と椅子が並ぶ、オフィス風のバーチャル背景にしていた。バーチャル背景を考え出した人物は偉大だ。今世紀最大の発明と呼んでもいい。どんなに顔を塗りたくっても、背後で部屋が散らかっていては魅力が1/10になってしまう。築年数が明らかに経過している壁の前で金の儲け方を力説しても、「和室(笑)」というワードが界隈で流行ったことから、まるで説得力がない。美貌と金だけでも人々が一生かけて得るか得られないかというものなのに、承認欲求を満たすためには綺麗な部屋と広い家(ただし築浅、和室ではない)も必要なのだ。

話を戻そう。あれは企業との会議が始まる、5分前のことだった。ふと背景を変えてみようと思い立った。5分前にログインして待機していたものの、相手が来ないため、手持ち無沙汰になっていたこともある。「夏」というテーマでフリー素材を検索したら、一番上に海の画像が出て来た。「海はちょっとな」と別の画像にしようとしたら、思いがけず相手がログインしてきた。私は慌てて海の背景を設定して、心からこの瞬間を待っていたかのような笑顔を貼り付けることに成功し、会議に臨んだ。

海の背景がもたらしてくれた効用は、思いがけないものだった。相手が私の背景を見て、「あれ。背景どうしたんですか?」と口を開いた。「いや、ちょっと夏だしなと思って」と、海が嫌いだとは言えず言葉を濁したが、「沖縄みたいですね。行ってきたんですか?」と、なし崩し的にアイスブレイクが始まった。この流れに私は少しホッとした。相手は強面の重鎮で、いつもなかなか会話が弾まず、苦手意識を抱いていたからだった。

同じような流れは何度かあった。「夏休みはどこかに行くんですか?」「五島列島に似てますね。以前行ったことあるんですが……」と、海を背景にすることで会話の幅が広がった。海の背景は相手の心を幾分か和らげ、バカンスに向けて気分を高揚させるのかもしれない。いつの間にか嫌いだった海を、だんだんと好きになってきた。毎日のように海の背景を見ているから、単純接触効果もあるのかもしれない。

今年こそ、海へ行ってみようと思う。初心者にとって沖縄や五島列島はハードルが高いので、まずは故郷の愛知県に帰省がてら、かつて親が連れて行ってくれた内海(うつみ)に足を伸ばしてみようか。かつて私を受け入れてくれた海は、今でも私を受け入れてくれる。そんな気がする。物事を斜め上から見てしまう私だからこそ、「海のように広い心」を持てるよう、大先生に教わりに行かなくてはならない。

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