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急に介護問題が発生!実家の家の物が多すぎて同時進行で解決の糸口をさぐる

毒親に育てられた夫と暮らす妻
幸せパンダです。
今日は実家が汚すぎて逃げていた
問題に取り組みます。
私の実家ははっきり言って
ゴミ屋敷です。
私がまだ子供の頃から家に
物があふれていました。
特にリビングは物置場でした。
8畳くらいの広さですが
蛍光灯の下に大きな棚を置き、
壁面にも棚を並べ、そこに
大量の物を収納し、それは
それは暗いリビングでした。
私と兄は8歳離れています。
私が記憶がある時には部活
などで忙しい生活をして
いました。
母は私が小学3年生の時から
パートをはじめ、夕食時も
家事をして忙しそうでした。
父親は大工をしていて
朝早くから仕事に行き
夜は毎日飲みに行っていて
家にいませんでした。
そんな環境だったので
家族で食卓を囲んだ記憶が
ほとんどなく、リビングは
足の踏み場もなかったので
となりの4畳半の部屋に
机を置いてそこで食事をして
いました。

その4畳半の部屋はぎりぎり
整頓されていました。

父親は母親の作った料理を
ほとんど食べず外食ばかりして
いました。
父の昼食のお弁当は毎日 
母が作っていましたが、
白ご飯に梅干しをのせて、
いつも焼き魚が入っていて、
あとはちょっとしたおかず
のみ、子供ながらに
母のお弁当は美味しそうでは
ありませんでした。
私が遠足でお弁当を持って
いく時も冷凍食品三昧だった
記憶があります。

家族で会話が極端に少なかったの
ですが、一緒に食卓をかこまなかった
ことが大きく影響していると
思います。
母親は秘密主義というか、自分の
幼少期の話や結婚前の話などを
ほとんど聞いたことがありません。
兄の下に生まれた弟がいましたが
赤ちゃんの時に亡くなっています。
高熱がでて下剤を投与するのですが
量が多すぎたようで命を
落としてしましました。
そして数年後生まれたのが私です。
もし兄の弟が生きていたら私は
両親のもとには生まれなかったかも
しれません!
私は兄の弟から命をもらった
ような気持ちで感謝をして
今を生きています。
自分の子供を無くすなんて
子供心でも辛いと理解していましたが
今自分にも子供を授かることが
できてどれほど両親が悲しんだ
ことだろうと想像すると涙がでます。
だから母が兄の弟の話をすることは
ありません。
遺骨を父の田舎のお墓に入れて
いましたが墓じまいをしたので、
大阪の一心寺に遺骨をうつしました。
昔は兄と父は仲が悪かったの
ですが、父も年を取りだいぶ
性格が丸くなりました。
一心寺に4人で墓参りに行けた時は
久しぶりに家族で集まることができて
嬉しかったです。

母に妹がいますがSお姉ちゃんと
母は15歳以上年の差があります。
兄と私の幼少期のことはいつも
昨日の様に話をしてくれます。
『私のお兄ちゃんは子供の
頃から目がくりくりで
可愛かった』とか、私は
はじめはSお姉ちゃんに
人見知りしていたけれど
Sお姉ちゃんの赤い車に乗せて
あげたら気に入りSお姉ちゃんに
会うと
『お姉しゃんお姉しゃんの
車乗る~』とSお姉ちゃんの車に
喜んで乗っていたことなど
エピソードを話をしてくれ、
私と兄を誰よりもかわいがって
くれました。
そんなさまざまなエピソードを
話してくれるSお姉ちゃんですら
兄の弟の話をしてくれない!
少しは記憶があると思うの
ですが、兄の弟の話は
聞いたことがありません。
母のように悲しんでくれての
ことでしょう。



私がエピソード記憶の嬢王なのは
母があまりにも自分のことを
話してくれないので母の事を
知りたい欲求を満たしたくて
なんでも記憶するようになって
しまったのかもしれないと
今は思います。

普通に聞けばいいのになぜ聞かな 
かったのか、それは母が質問
するといい顔をしなかった
からです。
聞いてはいけないことなのだと
思って、母のそんな顔を見たく
なかったので私も質問をしなく
なり、母の過去を何もわからない
という状態になっています。
母とSお姉ちゃんは母親を早くに
亡くしています。
Sお姉ちゃんが未就学の時に
その母親が入院し、Sお姉ちゃんは
未就学児だったので、看護師を
していた母の職場に連れていかれて
しばらく日中はその職場で過ごし、
母の仕事姿を見た話をしてくれました。

母とSお姉ちゃんの間にはもう1人
いましたが、その母の妹が中学生
くらいの時にトラックにひかれて
命を落としています。
妹を亡くしたのがきっかけで母は
看護師になったのかわかりませんが
今もそれは聞けません。
妹と母を早くに亡くし命の大切さは
身に染みていて、更に自分の子供も
失いどんな気持ちだったのか

自分の子供を高熱のせいで亡くした
ものだから、私の子供が風邪をひいた
というと人一倍うるさくなり、人一倍
心配をしてあれをしなさいこれを
しなさいというので、風邪をひいて
いても母に伝えることを辞めました。
電話でそっちは何もないの?と
聞かれてもみんな元気だよと伝えた
時も高熱を出している時はありました。

そんなさまざまな経験が物を持つと
安心し、ないと不安になる心境に
なるのでしょうか?

父の介護問題を目の前にし即日取り組ま
なくてはいけない課題がでてきて、父の
衰えた体や思考を見ていると、私にも
両親の老いを感じる時期がきたのだなと
頭ではわかっていてもすぐに受け入れ
られない自分がいます。
それでも介護の問題で家の中での転倒
などの事故が多い事を本で勉強して
即刻実家を断捨離してよりよい生活に
なるように整えなくてはと実感しました。

私の考えでは1日で劇的ビフォーアフター
のようにがらっと物を減らして
整えたい気持ちがあったので夫に話を
すると、夫は父親のキッチンを整理した
ことがあったのでキッチンだけでも
1日かかるといってきました。
その言葉を聞いて前の私だったら私の
考えを否定した!と夫の言葉に腹を
たて、手伝いたくないからそんな
ことをいうのだと受け止めて勘違いを
して夫に逆ギレしてもう私1人でやる!
なんて思っていたと思います。
でも今回は素直に夫の話を聞くことが
できたし、否定した!とは受け取らなかった

そうか!無理かぁ!じゃあどうしようかな
断捨離することは必要なことだし
私間違ってないよね?と夫に聞くと
間違ってないけど、家中を1日でするのは
無理だといわれて、そうだよねと
素直に思うことができました。
かりに劇的に断捨離しても母が
発狂することも懸念して、一気にやるのは
まずいよねというと、夫が父親の断捨離を
した時にそうとう後から文句を言われた
みたいで、私も断捨離をはじめても
3年かかって物を減らして、自分で
納得して減らしているので娘の私に
されても悲しむだけと思いました。
それでも夫からのアドバイスで、
キッチンから少しずつしていった方が
いいとアドバイスをもらいました。
玄関に入りキッチンを通って寝室に
いくので同線のスペースを確保した方が
いいとのことでした。
後から断捨離の事をネットで調べると
専門家の方もキッチンから断捨離する
ことを勧めていて、みんな押し入れ
などの収納から片たづけていくのですが
それだとリバウンドしやすいといいます。
キッチンは家族が使う共有の場所なので
変化すると家族が気づきやすく
モチベーションも持続しやすいそうです。
うちの夫は整理整頓の鬼ですので専門家と
同じ意見を持っていて尊敬しました。

やるやんうちの夫!

母に直接会って、一緒に断捨離を進めて
いこうと話をします。
キッチンだけでも断捨離すれば父の
生活がよくなるのは間違いないので
なんとしてでも説得します。
母が心から整理したいと思うことが
大切だから地震が起きた時に
逃げにくいとか父が杖や車いすで
生活するようになる前に準備しようと
何かと理由をつけて話をします。
両親が亡くなったら処分しようと
思っていましたが、両親がよりよい
生活を、介護という新たなステップに
家族で向かい合っていくためにも
私の気持ちを話ます。







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