191002_松下幸之助_1280_670

大義名分のある生き方を

松下幸之助 一日一話
12月16日 大義名分

古来名将と言われるような人は、合戦に当たっては必ず「この戦いは決して私的な意欲のためにやるのではない。世のため人のため、こういう大きな目的でやるのだ」というような大義名分を明らかにしたと言われる。いかに大軍を擁しても、正義なき戦いは人びとの支持を得られず、長きにわたる成果は得られないからであろう。

これは決して戦の場合だけでない。事業の経営にしても、政治におけるもろもろの施策にしても、何をめざし、何のためにやるのかということをみずからはっきり持って、それを人びとに明らかにしていかなくてはならない。それが指導者としての大切な勤めだと思う。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

大義名分に関して歴史を振り返るならば、主君である織田信長を本能寺の変により自害させた明智光秀と、その光秀を中国大返しによって山崎の戦い(1582)で破った羽柴秀吉においては、当時の武将たちは光秀側に加担する者はなく、秀吉側に大義があると判断したのだろうと言えます。実際には、どちらにどのような大義名分があったのかは不明ですが、大義名分を明らかにして世の納得を得たのは秀吉だったのでしょう。

更に、天下人秀吉が1598年に亡くなると、石田三成側と徳川家康側の内部闘争が起こり、関ヶ原の戦い(1600)や大阪の冬の陣(1614)、夏の陣(1615)を経て、豊臣側は徳川側に滅ぼされました。この戦いにおいても、やはり大義名分を明らかにして世の納得を得たのは三成ではなく家康だったと言われています。

また、近代に入り薩摩や長州出身の志士たちが中心となって、明治維新という革命を起こしましたが、そのときにも、やはり大義名分が必要でした。「万世一系、千年も続く天皇家がわれわれにはついている」という大義名分を押し立て、錦の御旗を掲げ、それを大義名分としたわけです。

大義名分に関して、稲盛和夫さんは第二次大戦における日本側にあった大義名分と米国側にあった大義名分の違いを挙げ、「大義名分があれば命すらもかけられる」とする具体例を以下のように述べています。

…戦時中、私は中学生でしたが、「アメリカはでたらめな国だ。自由主義だと言って男も女もチャラチャラしている。それに比べて日本は、男は毅然とし、女は貞淑だ。アメリカは資本主義で利己的な国だが、日本は天皇制のもと、国民は皆たいへん礼儀正しい」などと教えられていました。
 ところが、そのアメリカが戦争では強い。戦後、硫黄島や沖縄の戦線などで、アメリカ側が撮った実写フィルムを見ると、どの兵士も、雨あられと飛び交う砲弾の中を身体を張って突撃していく。われわれは、勇敢に戦うのは日本人だけであって、アメリカ人なんかちょっと脅したらすぐ逃げていく、と教わっていました。だから、竹槍でも十分戦えると思っていた。ところが、実際は、アメリカ兵はたいへん勇敢に戦っていたのです。
 日本と比べればでたらめだと思っていたあの国が、なぜあんなに強かったのか。そのことを、私はたいへん疑問に思っていました。
 あるとき、そのことをアメリカ人に聞いてみたのです。あれだけさまざまな人種がいて、英語を満足に話せない者さえいる。言うなれば、アメリカの軍隊は、お互いに言葉も通じない寄せ集め集団だったわけです。それを一つに結集させたものは、いったい何だったのか、それを聞いたのです。
 すると、「このアメリカほど自由な国はない。英語が話せなくても、肌の色が違っても住むことができる。このすばらしい自由を失ってもいいのか、という大義名分があった」と言うわけです。
 日本がファシズム体制下にあった時代に、アメリカでは「人民の、人民による、人民のための国家、この国が日本やドイツに踏みにじられたら、この自由と民主主義は失われてしまう。われわれの国、アメリカを守るために、さあ銃を取ろう」と叫ばれていた。それに呼応し、皆が、「この国のために!」と武器を取って勇敢に戦ったというのです。
 すばらしい大義名分です。そのような信念があって初めて、雨あられと降り注ぐ弾の中を、命をかけて戦う闘志が生まれてくるのでしょう。
 もはや戦争を例に引く時代ではありませんが、この厳しい経済環境の中で中小企業を引っ張っていかなければならない経営者は、まさに命をかけて戦わなければなりません。そして、たった一つしかない命をかけられるかどうかは、死んでも構わないというほどのすばらしい信念があるか、ということにかかっているのです。
 皆さんの中には、「親の事業を継いだだけで、別に信念があったわけではない」と思っておられる方もあるかもしれません。しかし、単に自分の都合を考えるだけなら、いつでも事業をやめることはできると考えるようになって、従業員を路頭に迷わせかねません。多くの従業員のことを考えるなら、ぜひ、「自分にはこういう目的がある。それを貫くために、自分は命をかけて戦うのだ」という大義名分、信念を持つようにしていただきたいと思います。
(稲盛和夫著「京セラフィロソフィ」より)

稲盛さんは、実際にご自身が大義名分を掲げKDDIの前身となる第二電電を創業された当時のお話を以下のように述べています。

1985年に、日本の電信電話事業が自由化されました。明治以来、国家事業として運営されてきた電信電話事業が民営化され、新規参入を認めることになったのです。
 当時、私は日本の通信料金が高過ぎるために、多くの国民が苦しんでいることに義憤を感じていました。特にアメリカの通信料金に比べると格段に高い。しかし、あの何兆円という売上を誇る電電公社(現・NTT)を向こうにまわし、戦いを挑むわけですから、大企業を中心とした企業コンソーシアムをつくり、一致協力して対抗する以外に方法はないだろうと思っていました。
 そして、早くどこかの大企業が名乗りを上げ、日本の通信料金を引き下げてほしいものだと待っていたのですが、リスクが大き過ぎるからか、誰も手を挙げませんでした。そのため、たまりかねた私は、ついに自ら手を挙げたのです。
 当時の電電公社の幹部社員や、通信事業に詳しい専門家数名に集まってもらって、どうすれば電気通信事業へ新規参入を図ることができるか、その方法を皆で議論しました。そのとき、私はこのような話をしました。

”日本の電気通信事業は、明治以降、国営事業として運営され、こんにち見られるような立派な通信インフラを築いてきた。ここにきて電電公社が民営化されることになり、また、通信事業における企業の新規参入も認められるようになった。これは百年に一度あるかないかという大転換期だ。
 今のわれわれに、その大変革の舞台回しができるかもしれない。それだけの知恵と能力を持っていて、それに参画できるかもしれないというチャンスに遭遇しているわれわれは、本当に恵まれているとしか言いようがないではないか。
 たった一回しかない人生の中で、命をかけるに値するようなチャレンジに恵まれる幸運など、そうはないはずだ。この機会を逃すことなく、挑戦してみようではないか。

 これが、私の第二電電創業の動機です。しかし、これだけではまだ、創業に踏み切ることはできませんでした。…
(稲盛和夫著「京セラフィロソフィ」より)

更に、大義名分を掲げる人物に必要となる要素について稲盛さんは以下のように述べています。

…彼らと議論を進めるうちに、「何とかやれるのではないか」というかすかな希望がわいてはきたものの、これだけの事業を始めるためにはもっと自分を駆り立てる何かが必要だと思い、私は考えを巡らせました。その中で浮かんできた言葉が、「動機善なりや、私心なかりしか」だったのです。

 それから後約六カ月もの間、毎晩毎晩、たとえ酒を飲んでいようとも、必ずベッドに入る前に、「動機善なりや、私心なかりしか」と自分に問い続けました。「おまえは第二電電を創業し、通信事業を手がけたいと言っているが、その動機は善なりや。そこに私心はなかりしか」と、毎日自問自答したわけです。巨大企業NTTを向こうに回して戦いを挑んでいく勇気を奮い起こすためにも、自分が今からやろうとしていることは、日本国民のためになる立派な行為なのだ、という大義名分が欲しかった。そのために、「決して名誉欲や事業欲にかられて事業を起こすのではない。そこには私心などみじんも存在しないのだ」と確信するまで、私はこの「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉を繰り返し自らに問うていったのです。
 この「動機善なりや、私心なかりしか」ということも、人生方程式の中の「考え方」の一つです。自分の行動が本当に「利己」から発せられたものではないのか、誤った考え方に基づいていないかを点検するための問いなのです。その意味で、この項目は人生方程式の「考え方」を補完する大事な項目と言えるでしょう。
 ここに出てくる「善」とは、単純に、良いこと、正直なこと、人を助けること、優しさ、思いやりのある心、美しいこと、さらに言えば、純粋な心という意味です。そういうものをすべて、善という言葉で表しているのです。
 つまり、自問自答する場合に、おまえのその動機は、美しいことなのか、良いことなのか、人助けになることなのか、優しさがあるのか、人に対する思いやりの心があるのか、そして、その思いは純粋なのか、と聞いていくわけです。そう言えば、わかりやすいと思います。
(稲盛和夫著「京セラフィロソフィ」より)

戦争を含めた戦いとは、そこに正義なき戦いはなく、ある意味で、正義と正義の戦いであると言えますが、どちらの正義を人々が支持するのかによって勝敗は決するとも言えます。人々がどちらの正義を支持するのかは、両者が掲げる大義名分によるところが大きいと言えます。また、大義名分の是非を判断する上では、その内容以上に誰がどのような信念を持って掲げる大義名分なのかという要因が大きな影響を与えると言えます。

事業経営のみならず、一人の人生においても「自分にはこういう目的がある。それを貫くために、自分は命をかけて戦うのだ」という大義名分、信念を持つようにしたいと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

頂いたサポートは、書籍化に向けての応援メッセージとして受け取らせていただき、準備資金等に使用させていただきます。