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未熟さのない経営の若さとは

松下幸之助 一日一話
10月 5日 経営の若さとは

一般的に人間は年齢を加えるとともに若さが失われていきます。けれども、そういう中でも、なお若さを失わないという人もいます。それはどういうことかというと、心の若さです。

企業においても、大切なのはそういう精神的若さでしょう。言いかえれば、経営の上に若さがあるかどうかということです。そして、経営の若さとは、すなわちその企業を構成する人々の精神的若さ、とりわけ経営者におけるそれではないかと思うのです。経営者自身の心に躍動する若々しさがあれば、それは全従業員にも伝わり、経営のあらゆる面に若さが生まれて、何十年という伝統ある企業でも若さにあふれた活動ができるようになると思います。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

経営の若さについて少し考えてみますと、大別して次の3つのキーワードが浮かんできます。「若さの本質とは何か」「組織におけるリーダーと社員の関係性とは」「経営の若さと老化が組織に齎すものとは」です。


先ず、「若さの本質とは何か」を考えるならば、松下翁の仰るように心の若さや精神的若さが、構成要素の大半を占めると言えるのではないでしょうか。精神的若さの具体例として、サミュエル・ウルマンの「青春」の詩が参考になります。

(以下転載)
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。…

昨今では、精神的な要素による若さのみならず物理的、或いは肉体的な若さを生み出すことに繋がる遺伝子レベルの発見もされています。具体的には、サーチュイン遺伝子(別名:抗老化遺伝子)と呼ばれ、それが活性化することにより生物の寿命が延びるとされている遺伝子のことです。このサーチュイン遺伝子は、肉体がある種の飢えや飢餓状態に陥ることで活性化のスイッチが入るとされています。つまりは肉体に栄養が不足している状態がトリガーになるということです。人における肉体は、経営においての組織という枠組みがこれにあたり、組織に十分な栄養が行き渡らない時こそ、抗老化遺伝子が刺激され、若さを維持しようという働きが組織内に強くなってくるとも考えられます。逆説的には、栄養過多の状態では、肉体的な若さは保たれづらいとも言えます。これは、野中郁次郎先生の仰る日本企業の多くが陥っているオーバー・プランニング(過剰計画)、オーバー・アナリシス(過剰分析)、オーバー・コンプライアンス(過剰法令順守)の三大疾病(しっぺい)の状態とも言い換えられ、組織における若さの維持を妨げる要因とも言えます。


次に、「組織におけるリーダーと社員の関係性」については「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」と例えられたり、「組織は頭から腐る」と、よく言われるものですが、論語には次のようにあります。

「君子の徳は風なり、小人の徳は草(そう)なり。草之に風を上(くわ)うれば、必ず偃(ふ)す。」(論語)

上に立つ者の徳は風のようなものであり、下にある人民の徳は草のようなものだ。善い風を吹きかければ善いほうになびき、悪い風を吹きかければ悪いほうになびくという意です。

更には、

「君子、親(しん)に篤(あつ)ければ、すなわち民(たみ)仁に興(おこ)る。」(論語)

上に立つものが親族に手厚ければ、その徳風に感化されて、その下にある人々も自然と仁徳を重んじるようになるという意味です。

いずれにおいても、「徳」を「若さ」に置き換えても同じことであり、上に立つものに「若さ」があるならば、その下にある人々にも自然と「若さ」が生まれてくるのだとも言えます。


加えて、「経営の若さと老化が組織に齎すもの」について考えるならば、「経営の若さ」とは換言するならば、「ベンチャー精神を忘れていない状態」であると言えます。ではベンチャー精神とは何かと考えますと、既成概念に囚われることなくチャレンジ精神旺盛であり未来に対して大きな希望を持っている精神であると言えます。

他方で、「経営の老化」とは、どのような状態かと考えますと「常識という名の偏見のコレクション」を多く保有した上で、自らの既得権益を守ろうするために保守的になり、新たな行動に移るよりも、これまでの延長線上にいることに安心感を覚え、変化に対応出来なくなっている状態のことであると言えます。この「経営の老化」の状態は、ハーバード・ビジネス・スクール教授のクレイトン・クリステンセンが提唱した「イノベーションのジレンマ」(1997)とも共通項が多くあります。

具体例を挙げるならば、現状において加速しているFintech革命が分かりやすいのではないでしょうか。かつての大手銀行は、窓口におけるリアルな現金処理業務と預かり資金の運用業務が主な利益の源泉でした。ここに、数年前から新たにFintechベンチャーという窓口業務から利益を得ることを考えない新たなビジネスモデルが登場してきました。大手銀行は自らの持つ利益の源泉を減らすことになるFintechベンチャーのようなビジネスモデルへの転換にはジレンマが生じます。可能な限り既存する利益の源泉を保持しようとしますので、新たなビジネスモデルへの転換速度が遅くなり、新興のFintechベンチャーにとって市場に付け入るチャンスが存在することになります。

加えて、このジレンマは大手銀行が対象にしている顧客側にも生じてきます。大手銀行の場合、リアルな窓口業務における顧客の多くは高齢者であり、この高齢者たちが新たなIT化の波に対応出来ないケースもあります。銀行にとっては既存の優良顧客を手放す訳にはいきませんので、顧客のペースに合わせた変革を求められることとなり、これもまた銀行にとっての変革のジレンマになってしまいます。

現状の大手銀行は、まだ明確な回答は出せていない状態ではありますが、一時期は危ういところとなりその組織の姿を一変することになりました。

既存の収益モデルの転換ができずに、気付いた時には手遅れの状態になることが企業経営には多くあります。これは企業に「若さ」が失われ「老化」が進んでしまった結果、イノベーションのジレンマが齎されたのだとも言えます。

最後に、安岡正篤先生は著書「照心語録」にて、「老いる」ということに関して次のように述べていらっしゃいます。

「我々は”老いる”ということが必至の問題であるにもかかわらず、とかく老を嫌う。老を嫌う間は人間もまだ未熟だ。歳とともに思想・学問が進み、老いることに深い意義と喜びと誇りを持つようになるのが本当だ。」

老化することを嫌わずに老化することを活かす、換言すると、イノベーションのジレンマを嫌わずに、イノベーションのジレンマが生じることに深い意義と喜びと誇りを持てるようになることで、アンティークのように年月を経たことで価値が高まった未熟さのない「経営の若さ」になるのではないかと私は考えます。



中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp




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