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精神の退歩性と経済の非後退性を統合し精神大国をめざす

松下幸之助 一日一話
11月30日 精神大国をめざして

今日、わが国は経済大国と言われるまでになりましたが、人びとの心の面、精神面を高めるということについては、とかくなおざりにされがちだったように思います。これからは経済面の充実とあわせて、お互い国民の道義道徳心、良識を高め、明るく生き生きと日々の仕事に励みつつ、自他ともに生かしあう共同生活をつくりあげていく。あわせて日本だけでなく海外の人びと、ひいては人類相互のための奉仕、貢献ができる豊かな精神に根ざした国家国民の姿を築きあげていく。そのような精神大国、道徳大国とでも呼べる方向をめざして進むことが、今日、国内的にも対外的にも、きわめて肝要ではないかと思うのです。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

国家国民の行く末や私たち日本人のあるべき姿を考えるという大局的見地に立つ際においては、先哲たちの多くが共通し用いていた「思考の三原則」に沿って考えてみるということが大事になるのではないでしょうか。「思考の三原則」について、安岡正篤先生は以下のように述べています。

 ものを考えるに当たっての三つの原則――その一つは、目先にとらわれないで、できるだけ長い目で観察するということであります。第二は、一面にとらわれないで、できるだけ多面的、できるならば全面的にも考察するということであります。第三が、枝葉末節にとらわれないで、できるだけ根本的に観察するということであります。
 物事を、特に事業の問題、あるいはすべて困難な問題、そういう問題を目先で考える、一面的にとらえて観察する、あるいは枝葉末節をとらえて考えるというのと、少しく長い目で見る、多面的・全面的に見る、あるいは根本的に見るということとでは非常に違ってきます。ことによると結論が反対にさえなるものであります。そして、もちろんそういうふうに長い目で、そして多面的・全面的・根本的に見るほうが真をとらえやすいということは申すまでもありません。時局の問題などは特にそうでありまして、できるだけ長い目で、できるだけ多面的に、できれば全面的かつ根本的に見なければ、決して正しい考察は成り立たんと信ずるのであります。
(安岡正篤著「運命を創る」より)

改めて、「思考の三原則」の沿って近代の日本における経済的な発展と精神の豊かさのバランスに焦点を合わせ歴史を振り返るのであれば、江戸時代というものは長きに渡る安定した経済を背景に、精神の豊かさを生む充実した修身教育がなされていました。その修身教育を礎とすることで明治維新は実現し、明治経済は大きく発展しました。更には大正中期の第一次世界大戦頃までは、時の指導者たちに江戸時代の修身教育で培った精神の豊かさが維持されていたため、弱小国であった日本が大国に勝利することも可能にしました。しかし明治以降は過度に経済の発展に目を向け修身教育を怠ったことにより、江戸の教育遺産であった修身教育が昭和初期頃では希薄となり、精神的な豊かさを持たない浅薄な指導者を多く排出することになってしまいました。その結果として、第二次世界大戦による惨禍を招くことになってしまいました。戦後には更に、日本人の強さに繋がる人間の本質的な要素や徳性に起因した精神的な豊かさを奪うことを目的としたGHQによる3R、5D、3Sの占領政策により、日本人は骨抜きにされてしまいました。人間の本質的な要素や徳性が失われた反面として、知識や技術が過度に重視されることとなり、日本経済はかつてないほどの発展を見せる高度成長期へ繋がることになりました。

近代日本における経済的な発展と精神的な豊かさの歴史においては、森信三先生が体系化された全一学(哲学)における二大真理である「万物平衡の理」と「身心相即の理」という側面が顕著に現れていると言えます。「万物平衡の理」とは、簡単にはこの世の中に両方いいということはなく、プラスの裏には必ずマイナスがあり、その意味で万物は平衡が保たれるようにできているとする理です。「身心相即の理」とは、「万物平衡の理」を人間レベルで考えた際、「躰と心」または 「物と心」のバランスもまた平衡が保たれるようにできているとする理です。

森信三先生は以下のように述べておられます。

「『宇宙の大法』たる宇宙的真理は、万有すべて調和と釣合いによって、その存立を保つように大宇宙は造られている故、進むことのみ知って退くことを知らぬということほど、世に危険なことはないわけである」
(森信三著「全集続編第四巻」より)

「この大宇宙においては、あらゆる意味で、この視えない巨大な『平衡の理』が行われているのであって、元来無色透明であるべき自然科学的真理すら、それを人間中心的に余りに度を過ぎて利用しようとすれば、そこには必然に一種の反作用の生じるのは、これまた当然というべきであろう」
(森信三著「全集続編第四巻」より)

「『物盛んなれば必ず衰える』というは、厳たる宇宙の大法の示現する冷厳極まりない真理でありまして、今や世界はようやく、世界資源そのものの限界に目覚めかけたのであります。随ってわが国の前途は、今やこうした点から考えましても、絶対に楽観を許さない兆候が徐々に兆しそめているのであります」
(森信三著「全集続編第五巻」より)

「『天』は単に物質的な繁栄のみを、無条件で与えるようなことはしないのでありまして、今や『公害問題』は、それに対して『天』の与えた深刻な代償の、むしろ端緒といってよく、われらの民族は、今や迫りくるこれらの大問題を回避しては、何事も為しえない運命にあるのであります」
(森信三著「全集続編第五巻」より)

「我われ人間は、その本来相においては、身・心が相即一如にあるように造られているのであって、そうならぬ場合に苦痛とか苦悩とかを感じるわけである。(中略)我われ人間における苦悩の大方は、身・心の不調和に基因するのであり、その平衡関係のバランスが失われているが故だということを知らず、教えられていないからに他ならない」
(森信三著「全集続編第ニ巻」より)

「今や我われ人間における『物』と『心』のバランスの失われつつある現状を考える時、いよいよその感の切実なるを覚えるのである。けだし『物』の世界が過度に繁栄すれば、『心』の世界はそれと並行して進歩するかに考えられて久しき人類の願いは、今や無残にも敗れ去らんとしつつあるのであって、かかる悲劇は実にわれらが眼前の事実と言ってよいであろう」
(森信三著「全集続編第四巻」より)

「物質文明の絶対的な非後退性と、精神文化における進歩と退歩との動的切点との間に生じる巨大なギャップが、いまや全人類によって未曾有の危機として臨みつつあるとき、人類の教育的営為が閑却されてよいはずは断じてない」
(森信三著「全集続編第四巻」より)

物質文化は、無限の積み重ねが可能であるのに対して、精神文化の方はそれが利かないのである。そしてそれの最根本的な深因は、人間にはいかに卓れた人にも、何時かは『死』が到来して、この地上よりその姿が消え去るという一事である。随っていわゆる積み重ねということが、科学のようには利かないわけである」
(森信三著「全集続編第四巻」より)

畢竟するに、森先生は「我々人類の努力は、退歩性を有する精神文化へより向けられなければならない」と仰っているということです。

現状における経済は長期に渡り低迷しているとはいえ、物質文化は非後退的であるが故に歴史的な長いスパンでみれば、現状は十分充実している状況にあるとも言えます。今一度、大局的な視点から現状を近代日本における歴史に鑑みた上で、今の私たちが為すべきことは何なのか。加えて、為すべきこと為さなかった際にどんな未来が待っているか。または、為すべきことを為した際にはどんな未来が待っているか。私たち日本人は、同じ過ちを繰り返すことなく、寧ろ過ちを過ちとし改めた上で教訓とし未来へ生かしていくことが、きわめて肝要ではないかと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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