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広い視野を持ち道義的責任を知る

松下幸之助 一日一話
12月 3日 広い視野

今日では、世界の一隅に起こったことも、それが瞬時に全世界に伝わり、さまざまな影響を及ぼす。そのような中で、自国の範囲だけ、自分の会社、団体の範囲だけの狭い視野で事を考え、行動していたのでは、往々にしてあやまちを犯すことになってしまうと思う。いま、視野の広さというのは、指導者にとって、欠くことのできないものであろう。

指導者はみずから世界全体、日本全体といったように広い範囲でものを見るよう常に心がけつつ、一国の運営、会社や団体の経営を考えなくてはならないし、また人びとにそうした広い視野を持つことの大切さを訴えていかなくてはならないと思う。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

「広い視野」を持つことの大切さについて、松下翁は言葉を換え以下のように述べています。

 世の中は広い。その広い世の中を、狭い視野ですすめば行きづまる。人生は長い。その長い人生を、狭い視野で歩めば息が切れる。
 視野の狭い人は、わが身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。だから、おたがいの繁栄のために、おたがいの視野の角度を、グングン広げなければならない。十度の視野は十五度に。十五度の人は二十度に。
 もっとも、百八十度までひろげてみても、それでようやく、ものごとの半面がわかっただけだから、ほんとうは、グルリと三百六十度を見わたさなければならない。それが、真の融通無碍、つまり解脱というものではなかろうか。
 だが、なかなかにこうはいかない。百八十度も広がればたいしたもので、普通は、せいぜいが十五度か二十度ぐらいの視野で、日々を歩んでいるのではなかろうか。だから争いが起こる。悩みが起こる。そして繁栄がそこなわれる。
 視野を広く。どんなに広げても広すぎることはない。おたがいの繁栄と平和と幸福のために、だれもが、広い視野を持つように心がけたいものである。
(松下幸之助著「道をひらく」より)

「広い視野を持つ」ということは、「次元の異なる複数の視点を持つ」と換言していいのではないでしょうか。「次元の異なる複数の視点を持つ」ことの具体例としては、「世界の中の日本」「日本の中の業界」「業界の中の自社」「自社の中の部署」「部署の中の自分」というような複数の異なる視点を持ったならば視野の角度は自ずと広がっていくことになります。例えば、「部署の中の自分」という視点からの視野は、せいぜい10度くらいかもしれません。毎日直属の上司から、「ああだこうだ」と問題点ばかり指摘され、不平不満を口にすることがあるかもしれません。しかし、この視点を「自社の中の部署」にするならば視野は30度くらいに広がり、社長の視点ならば部下のやる気を奪うことになる問題点の指摘ばかりしている直属の上司の方に問題があるというかもしれませんし、他の部署の上司たちから見れば、「ああだこうだ」と言われてもくじけないあなたの姿をたくましい部下であると評価しチャンスがあれば私の部署に来て欲しいと思うかもしれません。更に、視野を広げ「世界の中の日本」という視点で見るならば、視野は一挙に300度くらいに広がり、毎日直属の上司から、「ああだこうだ」と問題点ばかり指摘されることが世界経済に与える影響を考えると、ちっぽけなどころか影響すら与えないことであると思うことになるでしょう。

加えて、世界の視点を持つということは、Global Standardの視点を持つということでもあります。Global Standardとは、国籍や人種の異なる世界においても共通する中心軸が存在しているということです。あえて言葉にすると、地球上で生きる全ての人々には、Global CitizenとしてのMoral responsibility(道義的責任)があるということです。Borderless化した国際社会において、国籍や人種の異なる人々がよりよく生きるためには、Moral responsibilityに沿った生き方が求められています。ここで注意すべきは、このGlobal Standardは日本人の考える「当たり前、常識、皆が思っている」という基準とは大きく異なっているのだということを認識する必要があります。

例えば、国際会議において何も発言しないということは、無条件で同意していると認識されます。或いは、講演などの後にある質問の時間では、日本人の多くは無知な質問は恥ずかしいと考え質問することをためらう人が多いですが、海外では今の講義をきちんと聞いていたのかというような質問でも「講義の伝え方が悪く理解が出来ない」「私は知らないのだから聞くのは当然だろう」「私が知らない人の代表者だ」と言わんがごとく堂々と質問してきます。

良い悪いは別として、Global Standardの視点があるかないか、つまりは広い視野があるかないかで、物の見方や考え方というものは大きく異なってきます。


翻って、松下翁は、広い視野を持つことで思考もまた広がっていくのであるということについて以下のように述べています。

…私はこう思う。自分で物を考え、物をきめるということは、全体から見るとごく少ない。自分一人ではどうしても視野がせまくなる。自分がわかっているのは世の中の一%だけで、あとの九九%はわからないと思えばいい。あとは暗中模索である。だから、あまり一つのことをくよくよ気にしない方がいいのではないかと思う。はじめから何もわからないと思えば気もらくになるものだ。…

日本人は一体に視野がせまい。例えば三十度の視野では湖だけは見えても山が見えないが、百八十度の視野なら湖もあるし、小さい丘もある、山もあれば森林もありで、その景観の美全体をたのしめるということになる。自分の知っている範囲だけで物ごとを判断しようとすることがまちがいなのである。自分の知っていることは正しいかもしれないが、その他にもいろいろな面、いろいろな見方がある。自分は美男子だと思っていても、より以上の美男子が街を歩いているかもしれない。…
(松下幸之助著「物の見方考え方」より)

広い視野を持たない場合は、往々にして独善の姿、即ち自分一人だけの正しさを他者にも強要するような姿に陥りかねない訳であり、それはある意味で道理を知らない姿であるとも言えます。独善に陥らず、道理を得た姿であるためには、素直な心であることが不可欠であり、素直な心であるならば、広い視野が開け、あらゆる角度から物事を見たり、考えたりすることを可能にし、国籍や人種の異なる人々の長所を見出し、それらを二項動態的に統合することで世の中をアウフヘーベンさせていくことも可能になるのだと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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