191002_松下幸之助_1280_670

勝つためには見る前に察する

松下幸之助 一日一話
11月 7日 見る前に察する

不当な競争は断じていけませんが、正常な競争には進んで乗りださなければ、進歩がありません。またその競争には勝たねばなりません。

その場合、問題は相手の差し手を、それが形に表われないうちに感じることができるかどうかにあります。相手の企画が商品として市場に出てきてから、あれはいいな、うちでもやろうか、では遅いのです。まだ目に見えないものを、なんとなく感じる。むずかしいがそれをやるのが競争に勝つ経営というものです。ましてや相手の商品を見てすぐに手を打つならまだしも、それが売れ出してやっとみこしを上げるようでは“後手”にまわるもはなはだしいと言うべきです。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

松下翁のお話を大別しますと次の3つに分ける事が出来ます。「競争に臨む」「競争に勝つ」「勝つために先を読む」です。

先ず、「競争に臨む」ことに関しては、紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家孫武による兵法書とされる「孫子」の兵法では、「戦わずして勝つ」ことが最大の兵法であるとしています。戦いというものは、実戦を伴えば必ず兵を失うことになります。それでは百戦し百勝しても最善とは言いません。兵を失わずして勝つのが最善であり、つまりは戦わずして勝つ事が最善ということです。つまりは商売においては、競争には臨まず勝つことが最善であるとも言えますが、ここが実際の戦争と資本主義経済における商売との違いであり、そもそも競争は誰のためにするのか?商売という仕事は誰のためにしているのか?ということを考えるならば、それは自社のためや商売人個人のお金儲けのためではなく、全てはお客様のためであり、お客様のためになる仕事をしているからこそ対価としてお金を儲けることが出来ます。お客様のためになる競争であるならば、進んで参戦してこそお客様からの支持を得て対価を得ることが可能になるとも言えます。


次に、「競争に勝つ」ためには、孫子の兵法においては、次のようにあります。

「善く戦う者は人を致して人に致されず」(孫子)

「人を致す」とは主導権を握るという意味です。有利に戦いを進める鍵は、主導権を握ることにあり、当然のことながら、主導権を握るには、状況を正確に読まなければなりません。相手より一歩先に勝機をつかむことが、勝負の重大な分岐点になってきます。

更に、孫子の兵法においては、次のようにあります。

「善く戦う者はこれを勢に求めて人に責めず」(孫子)

戦上手は、まず何よりも勢いに乗ることを重視し、ひとりひとりの平士の働きに過度に期待をかけないのだとされます。勢いに乗れば、組織を構成する1の力が3にも5にもなり、それが組織全体を一大飛躍されることにもなります。つまりは、いざ勝負となったならば競争相手よりも如何に早く勢いに乗れるかが勝敗を決する重要な要素であると言えます。


最後に、「勝つために先を読む」に関して、孫子の兵法においては、次のようにあります。

「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」(孫子)

勝算なきは戦うなかれということであり、戦いを始めるからには、事前にこれなら勝てるという見通しをつけてからやれということです。まだ目に見えないものを、なんとなく感じた時点で動くならば、勝算は高まりますが、「あれはいいな、うちでもやろうか」と後手に回ってしまっては、勝算は少なくなると言えます。

更には、孫子の兵法においては、次のようにあります。

「爵禄(しゃくろく)百金(ひゃっきん)を愛(おし)みて敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。」(孫子)

戦争の発動に際して重視されなければならないのは情報収集であるとされます。この情報収集に要する費用は、戦争そのものにかかる費用と比べると、ごく僅かな額に過ぎないにも関わらず、その僅かな費用を出し惜しんで戦争を発動してしまう者がおり、孫子は「情報収集に金を出し惜しむな」と言っています。競争相手に勝つためには、事前に市場の動向を把握するためのリサーチ費用が欠かせないということになります。或いは、松下翁の仰るカンが必要であるならばそのカンを養うための費用を出し惜しんではいけないとも言えます。

加えて、松下翁はカンに関して次のように仰っています。

…毎日する仕事だったら、どのくらい売れているかということはカンでわかる。カンでわからないようなことではもうあかん…

当時の松下電器では、90パーセントまで経験によるカンで仕事ができる、その上に10パーセントというものを科学的にのせたらいい、という状況だったと思います。いまでは科学的な要素がもっと高まっていますが、要はカンでいいときと、カンではなく科学的なものでないといけないときがあるわけです。しかし、カンが必要ないということには決してならないと思います。

どんな科学者でも、カンの働かない科学者はダメだといいます。偉大な発明をしたエジソンのような人でも、その発明は、ふっと浮かぶひらめき、カンによっています。そのひらめきによって、よりよい科学というものをつくりあげているわけです。

そういう意味においても、カンと科学というものは、やはり車の両輪だと思います。カンにかたよってもいけないし、一方、数字とか科学にかたよってもいけない。その二つをつねに両輪のように使っていく必要があるという感じがするのです。…

(松下幸之助著「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」より)

やはり松下翁の仰る経験によるカンというものは重要であり、かつては知識偏重のケース・スタディが重要視されていたハーバード・ビジネススクールにおいても、現場での実際の経験が非常に重要であるという認識が高まり、昨今においてはフィールド・スタディを行うようになっています。経験によるカンというものは、時代遅れのようにおもわれがちですが、形式知をITや人工知能が処理する時代においては、形式知化できない暗黙知を人間がどれだけ有しているかが重要となり、その暗黙知は経験によるカンを養うことと同じであると私は考えます。



※記事:MBAデザイナーnakayanさんのアメブロ 2018年11月7日付 を読みやすいように補足・修正を加え再編集したものです。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

頂いたサポートは、書籍化に向けての応援メッセージとして受け取らせていただき、準備資金等に使用させていただきます。