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熱い変革のシナリオを示す要求者たれ

松下幸之助 一日一話
11月26日 要求者たれ

経営者にとって、とくに大事な点は何かというと、それは“要求者になる”ということだと思います。社員の人たちに、会社の方針はこうだから、こういうようにやろうではないか、諸君も努力して欲しい、という強い呼びかけを持つということです。それが社長の仕事だと思います。社長がそういうことを言わなければ、社員は何をどういうふうにやっていいのか分からないということになって、力強いものは生まれてきません。

ですから、経営者は強い理想というか希望というものを打ち立てて、これを社員のすべてに要望、要求することが肝要なのです。要望を持たない社長は存在の意義がないと思うのです。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

松下翁の仰る「要求者」に似た言葉で「指揮者」や「命令者」という言葉がありますが、この両者の違いというものはどこにあるのでしょうか。一般的な経営者にみる姿としては、後者の「指揮者」や「命令者」が近いと言えるのではないでしょうか。つまりは、全体の行動の統一のため、「命令して人々を動かす人、または、指図する人」、或いは、「下位の者にあることをするように命じる上位の者」ということです。

他方で、「要求者」とは「相手に対して、理想や希望というあるべき姿に近付くような行為を強く求める人」のことであると言えます。では、松下翁は実際に社員たちに対して、どのような強い理想や希望を打ち立てていたのでしょうか。その一つとして、松下翁は以下のように述べています。

…私の場合、その衆知を生かした経営をしていこうということを、自分なりに終始一貫して考えてきました。そしてそれを社員にも呼びかけ訴えてきました。

「この会社は松下幸之助個人の経営でもなければ、誰の経営でもない。全員が集まって経営するということよりほかにないのだ。みんなの知恵で経営するのだ。衆知経営だ。そのことにわれわれが成功するかどうかによって、会社の将来が決まるのだ。だから、みんな一人ひとりが、みずから発意する経営者だ。そういうことを考えようではないか」…

そういうことで、衆知による全員経営ということが今日でも松下電器の一つの基本の方針になっています…
(松下幸之助著「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」より)

「衆知を生かした経営をしていく」という「目標」を達成するためには、社員たちの「現状の姿」を「あるべき姿」へと変革していく必要があります。松下翁はこの「目標」と「あるべき姿」に関して以下のように述べています。

なぜ私がそのように素直な心の大切さについて、くり返し述べてきているのかといいますと、私は素直な心というものこそ、お互い人間として最も好ましい生き方をもたらすものではないかと思うからです。つまり、お互い人間は、みなそれぞれに真の繁栄、平和、幸福、すなわち身も心も豊かに、仲良く幸せに暮らしたいと願っていると思います。いいかえれば、よりよき共同生活というものの実現を願いつつ生きているのではないかと思われます。ところが、現実にそういう姿がスムーズに実現されているかというと、必ずしもそうとはいえないように思われます。

その原因はいろいろあろうかと思いますが、基本的には結局、お互い人間の生き方自体に問題があるのではないでしょうか。つまり、みずからの願いというものを実現させるにふさわしい物の考え方なり心のもち方、さらには態度、行動をあらわしていない、いわば木に登って魚を求めるような姿を一面にくり返している。そういうところに、お互いの願いが必ずしも現実のものとなっていないことの一つの大きな原因がありはしないか、という気がするのです。
したがって、お互い人間がみずからの願いを実現するためには、それを実現するにふさわしい考え方、態度、行動をあらわしてゆくことが肝要だと思いますが、その根底をなすものが、この素直な心ではないかと思うのです。…
(松下幸之助著「素直な心になるために」より)

社員たちの「現状の姿」を、松下翁の考える素直な心を根底とした「あるべき姿」へと近づけるためには、「変革のシナリオ」が必要になります。松下翁は、この「変革のシナリオ」に必要となる要素について以下のようなお話をされています。

基本は熱意や。単なる知識や小手先で考えたらいかん。二階に上がるためのはしごも、二階に上がろうとする意思がなかったら生まれてこない。どうしても二階に上がりたいという意思があって初めて、はしごというものを考える知恵が生まれてくる。熱意、求めるもの、要望するものがなかったら何もできん。

豊臣秀吉の軍師竹中半兵衛は、もとは織田と敵対する斎藤側の軍師だったが、秀吉はそれを承知で徹底的に、誠心誠意頼み込んで、自分の味方についてもらった。熱意があれば、人に頭を下げることも苦にならないし、人を説得することもできる。

この熱意が基本にあると、絶えず、寝る間さえも考えるようになる。ぼくも寝る間を惜しんで仕事をしてきた。創業の頃から百を数えるぐらいまでの商品は、全部ぼくが自分で考えてつくった。当時はゆっくり食事を味わうということもなかったし、寝るときでも枕元に鉛筆と紙を置いて、思いついたらすぐに書いていた。そのうち商売全体のことを考えなければならなくなって、新商品を考えている間がなくなってしまったけれど、四六時中、頭の中は仕事のことでいっぱいやった。そうなると不思議なもので、いろいろと新しいものを思いつくもんや。新しい考えが浮かばないとすれば、それは熱意が足りないわけである。

熱心さは必要に迫られ、切羽詰まったら自然に生まれてくる。そして、誠実に、素直な心で、自分の境遇、自分のおかれている状況というものを見つめたならば、自然に感謝の心も生まれ、これに報いるためには何をすべきかということがわかる。それが使命感や。

なまじ恵まれていて、余裕鑠鑠(しゃくしゃく)という状態では決して熱心さや使命感は生まれない。これだけはやらねばならぬということで、切羽詰まらなければいけない。それで初めて一生懸命になれる。このままではいかんという精神的な切迫感がなかったら、熱心さ、使命感というものは決して生まれない。
(松下幸之助著「リーダーになる人に知っておいてほしいこと」より)

つまりは、「変革のシナリオ」を構成する要素は経営者の「熱意」と「使命感」であり、それを基に繰り返し要求し続けるということが変革に繋がると言えるのでしょう。


翻って、これらの要求をされる側の社員たちの立場で考えるならば、「指揮者」や「命令者」である経営者の下では、内発的動機づけに不可欠とされる主体性を持った行動をすることが出来ません。つまりは、経営者の言いなりに動くだけの社員となってしまい、衆知経営に必要となる自主自立した社員にはなりません。

更に、目標である共有すべき明確な方針、または理念やビジョンを指し示すことができない経営者の下では、その発言や行動に一貫性が伴わない訳ですから社員に対して「何々をやってはいけない」「あれはするな、これはするな」などど、その場その場でコロコロ変わるような経営者の都合による禁止事項などが並べられ、混沌としたゴールのない矛盾で満たされた狭い枠の中に社員たちが押し込まれてしまうことになります。そのような状態で会社が繁栄するはずもなく、それは衰退を意味しているのだと言えます。

加えて、素直な心のない経営者が、社員たちに素直な心であることを求めることは不可能です。素直な心を根幹とした、強い熱意と使命感を持った要求者でありたいものであると私は考えます。



中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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