NIKKEI The STYLE My Story 解剖学者・養老孟司さん

2019年8月11日(日)付 日本経済新聞 My Story 解剖学者養老孟司さん より以下一部転載。

自然のなかで生き 多様性を取り込む
 「今や世界人口の8割が都市部に暮らしているといわれている。異常な状況です。」都市では人にとって有用なものか、そうでないものかが選別される。「本来、世界は人間にとって意味のないものを大量に含んでいるのに、それを排除していく。だからゴキブリも蚊も嫌われる。最終的には意味のないものの存在が許せなくなる。これが怖いんです」

 それは宗教戦争や社会分断にも通じる。「宗教の大事な役割のひとつは『おまえさんには分からないものがあるんだよ』という謙虚さを与えてくれること。それが逆に『唯一正しいものに反するものは殺してもいい』と傲慢になることがある」

 脳で整理された社会は、たやすく一元論に向かう。その怖さを、若いころに肌で感じた。解剖学者としての人生が始まる矢先に、東大紛争が起きた。ある日、研究室で全共闘の一団に囲まれる。「研究なんかしている場合か」。怒鳴られて追い出された。

 集会の現場では学生がみな手に竹やりを握っている。養老さんは驚いた。「体制に反対していないのは『非国民だ』と言う。戦後の世代が戦争中とまったく同じ雰囲気を持っていた。何も変わっていないではないか」

 多様性が大切だと叫ばれる。でも「本気で多様性なんて考えていませんよ。むしろ一元化に向かっているから逆に『個性』だの『多様性』だの言うのでしょう」。本来、人間は自然のなかで生き、体の感覚で多様性を取り込んできた。現代は、行きすぎた意識がバランスを崩していると感じる。

 80歳を過ぎた今、気になるのは子供たちの行く末だ。「田舎で暮らそう、自然に帰ろう」と言い続けている。「河原の石や枯れた木や虫たち。田舎には意味のないものがいっぱいある。自然が感覚を鍛えてくれる。それがいいんです」。数え切れない死から生をみてきた解剖医が、たどり着いた場所だ。


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