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寿命を知り人事を尽くす

松下幸之助 一日一話
12月19日 寿命を知る

人間に寿命があるように、われわれの仕事にも、それがいつのことかわからないにしても、やはり一つの寿命があると言えるのではないかと思う。しかし、だからといって、努力してもつまらない、と放棄してしまうようでは、人間で言うところの天寿を全うせしめることはできない。これはいわば人間はやがて死ぬのだからと、不摂生、不養生の限りを尽すのと同じであろう。

それよりもむしろ、いっさいのものには寿命がある、と知った上で、寿命に達するその瞬間までは、お互いがそこに全精神を打ち込んでゆく。そういう姿から、大きな安心感というか、おおらかな人生が開けるのではないかと思う。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

松下翁の仰る「一切のものには寿命があることを知る」とは、「生と死についてを知る」ということでもあり、「そこに全精神を打ち込んでゆく」とは「人事を尽くす」ということになるのでしょう。

「生と死についてを知る」ということに関して松下翁は以下のように述べています。

 人生とは、一日一日が、いわば死への旅路であると言えよう。生あるものがいつかは死に至るというのが自然の理法であるかぎり、ものみなすべて、この旅路に変更はない。

 ただ人間だけは、これが自然の理法であることを知って、この旅路に対処することができる。いつ死に至るかわからないにしても、生命のある間に、これだけのことをやっておきたいなどと、いろいろに思いをめぐらすのである。これは別に老人だけにかぎらない。青春に胸ふくらます若人が、来るべき人生に備えていろいろと計画するのも、これもまた死への準備にほかならないと言える。生と死とは表裏一体。だから、生の準備はすなわち死の準備である。

 死を恐れるのは人間の本能である。だが、死を恐れるよりも、死の準備のないことを恐れた方がいい。人はいつも死に直面している。それだけに生は尊い。そしてそれだけに、与えられている生命を最大に生かさなければならないのである。それを考えるのがすなわち死の準備である。そしてそれが生の準備となるのである。

 おたがいに、生あるものに与えられたこのきびしい宿命を直視し、これに対処する道を厳粛に、しかも楽しみつつ考えたいものである。
(松下幸之助著「道をひらく」より)


更に、松下翁は寿命を知った上で、94歳で亡くなっていますが、その4年前の90歳の時に以下のような言葉を残されています。

…自分が今日まで長生きできたのは、寿命に恵まれていたおかげだと感謝する気持ちが強いのですが、この人間の寿命というものは、やはり基本的には人知を超えたもので、自分が何歳まで生きられるかは、だれもわからないものだと思います。その意味で、人間の寿命は、いわゆる天命であり天寿であるということになりましょう。

 しかし、だからといって、寿命というものは全面的に天寿や天命によって決まるのかというと、必ずしもそれだけではないようにも思います。そこにはある程度、人間の力というか努力によって決まる一面も含まれているのではないでしょうか。いうなれば、人命、人寿とでもいった部分も、寿命の中には含まれているように思うのです。…

…私は、お互いの人生は、80%ないし90%までは天の摂理によって定まっているのではないかと思います。しかし、あとの10なり20%の人事の尽くし方いかんによって、その運命にいっそうの光彩を加えることができる、そう考えるのですが、お互いの寿命についても同様のことがいえるのではないでしょうか。つまり、人間の寿命のうち、90%ぐらがい天寿、あとの10%程度が人寿で、したがって、ある程度の人為によって寿命が伸びたり縮んだりする一面があるのではないか、ということです。

 そうするならば、人間に与えられている天寿というものはどのくらいか、ということが大きな問題になりますが、これについては先年中国へ行ったときに、お会いした何人かの人たちから”中国では人間の寿命は160歳だとされ、だからその半分の80歳のことを半寿というのだ”という話を聞きました。また、ある科学の本には「寿命を縮めるあらゆる障害を除き、真の寿命を全うすれば、人聞は150年から200年は生きられるのではないか」と書かれているそうです。さらに、わが国でこれまでいちばん長生きした人の記録としては、124歳の男性がいたということも聞いたのです。

 そういうことからすれば、私自身の寿命も、これまで長生きできたことに感謝しつつさらに努めていけば、まだまだ伸ばすことができるのではないか、という感じがします。そこで、数え年で90歳になったのを機に、よし、ひとつ、自分は長寿の日本新記録に挑戦してみようと思い立ちました。そのためには、目標を130歳ぐらいに置いて、常に自分で自分を励まし燃え立たせつつ、日々なすべきことに取り組まなければ、と考えて、自分なりに努めている昨今です。

 はたしてこの目標がどこまで達成できるかは、もちろんわかりません。しかし、わからないなりに、ともかくも一所懸命、希望と勇気をもって人生の歩みを続けることが、自分に恵まれたせっかくの寿命を生かしきる道であり、その道をとることが、私自身の務めでもあるのではないかと思うのです。
(松下幸之助著「人生心得帖」より)


他方で、安岡正篤先生は寿命を知る、或いは、「命を知る」ということに関して著書「照心語録」(2001)にて以下のように述べています。

命とは自己に発せる造化のはたらきである。命を知るとは、一方に於て真の自己に反ること、他方に於て無限に真己(しんこ)を進歩させることでなければならぬ。
(安岡正篤著「照心語録」より)

真の自己に反るとは松下翁の仰る80%~90%は、天の摂理で定まっていると知りそれに無理して逆らわずエネルギーを無駄に消費せず、無限に真己を進歩させるため、すなわち人事を尽くすことで人生に一層の光彩を加えることが出来る10%~20%にエネルギーを注ぐということでしょう。

更に、安岡先生は「活眼 活学」(2007)では以下のように述べています。

実は自分を知り自力を尽くすほど難しいことはない。自分がどういう素質能力を天から与えられておるか、それを称して「命」と言う。それを知るのが命を知る、知命である。知ってそれを完全に発揮してゆく、即ち自分を尽くすのが立命である。命を知らねば君子でないという「論語」の最後に書いてあることは、いかにも厳しい正しい言葉だ。命を立て得ずとも、せめて命を知らねば立派な人間ではない。
(安岡正篤著「活眼 活学」より)
命とは先天的に賦与(ふよ)されておる性質能力であるから「天命」と謂(い)い、またそれは後天的修養によっていかようにも変化せしめられるものという意味において「運命」とも言う。天命は動きのとれないものではなく、修養次第、徳の修めかた如何(いかん)で、どうなるか分からないものである。決して浅薄な宿命観などに支配されて、自分から限るべきものではない。
(安岡正篤著「活眼 活学」より)

「論語」の最後の句を調べてみますと、以下のような言葉があります。

「命を知らざれば、以って君子たること無きなり」(堯曰第二十)

人にはおのずから天から授かった使命がある。その自覚を持たず、その使命を果たすべく日々努力しないものは、君子たる資格はないという意味です。

翻って、森信三先生は、「生と死についてを知る」或いは「人事を尽くす」ということに関して、修身教授録(1989)にて以下のように述べています。

人生はしばしば申すように、二度と再び繰り返し得ないものであります。したがってまた死・生の悟りと言っても、結局はこの許された地上の生活を、真に徹して生きるということの外ないでしょう。
(森信三著「修身教授録」より)
われわれ人間は、死というものの意味を考え、死に対して自分の心の腰が決まってきた時、そこに初めてその人の真の人生は出発すると思う。
(森信三著「修身教授録」より)
実は人生の正味というものは、まず三十年くらいのものです。実際人間も三十年という歳月を、真に充実して生きたならば、それでまず一応満足して死ねるのではないかと思うのです。
(森信三著「修身教授録」より)
われわれが夜寝るということは、つまり、日々人生の終わりを経験しつつあるわけです。一日に終わりがあるということは、実は日々「これでもか、これでもか」と、死の覚悟が促されているわけです。しかるに凡人の悲しさには、お互いにそうとも気付かないで、一生をうかうかと過ごしておいて、さて人生の晩年に至って、いかに歎き悲しんでみたところで、今さらどうしようもないのです。人間も五十をすぎてから、自分の余生の送り方について迷っているようでは、悲惨と言うてもまだ足りません。
(森信三著「修身教授録」より)

「寿命を知る」すなわち「生と死についてを知」った上で、自分に与えられた10%~20%の自由の天地に対して、「そこに全精神を打ち込んでゆく」すなわち「可能な限りの人事を尽くし」、明日死んでも悔いはないと思えるような一日一日を積み重ねていきたいものであると私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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