夜勤介護で気ままに湘南で生活してる男のプロフィール
数あるブログの中から、ご覧いただきありがとうございます!
改めまして、現在有料老人ホーム 夜勤専従ではたらいてる30代前半ゴンタと申します。
ブログを立ち上げた3つの理由
私と同じような境遇の方と繋がれたり有益な情報を届けられたらと思い
自分の心のリハビリのため
個人で稼ぐちからを身に付けたかったから
自己紹介
冬の早朝に南国・宮崎の片田舎で産声をあげる。
幼少期から親に連れられ海や山、川など自然に触れ合いながら育ちました。
両親は共働きで、うえ2人と歳が離れた末っ子でなに不自由ない生活を送り、大学進学で上京。当時置かれていたなに不自由ない環境になんの疑問も持たず過ごす。
上京したことで人生の目標について考える切っ掛けを得る。その後7年程かけてやっと見つけた人生の目標を追いかけ実現させるために、27歳で再度大学に進学しました。
アフリカで1年間一人で生活し、ありあまるエネルギーをつかうべく福祉業界へ飛び込む。
<これまでの歩み>
こんな人生でした!
今までのあゆみを見て頂けたら分かる通り、なにがしたいのか分かるような分からないような、落ち着きがない人生です。
落ち着きがない人生ではありますが、私は自分が心の底から人生をかけてやりたいと思える事がみつかり、その事に取り組めたことで20代半ばにして初めて「今過ごしている日々が凄く幸せで生まれてきて良かった」と真に思えるようになりました。
ですが、これまでの人生の岐路で選択してきた結果は間違っているとは思っていませんが、現在は状況がかわって「人生の目標」を見失いつつあり、ただの日常になっています。
Life(こんな人間です^^)
好きなもの
祖父母 甥っ子・姪っ子
小汚い居酒屋
焼き鳥、チャーハン、刺身、和菓子
観葉植物
海
話すこと
ラグビー観戦
本屋に立ち寄ること
人の笑顔
犬
レトロなお店
子どもと遊ぶこと
古民家
鎌倉
嫌いなもの
あんかけ焼きそば、果物のキュウイ・パイナップル
弱い者いじめ
怒鳴る人
お金や地位のために魂を売る人
細かい作業
冬の髭剃り
寒い日
喧嘩全般(特に夫婦どちらかが上げ足をとって一歩的に攻めている喧嘩をみることは吐き気がする程嫌い。)
好きな映画
セント・オブ・ウーマン/夢の香り
ジョー・ブラックをよろしく
ラスト・オブ・モヒカン
マイブーム
YouTube視聴
サーフィン
特技
どこでも生きていける(実際にアフリカで現地人もビックリするような環境で1年間病気ひとつせず過ごしました。)
自分がこれだと思ったことは、どんな道になろうと挑戦すること(自分でも本当に頑固だと思います)
自然の中で獲物を探す洞察力(最近はかなり洞察力もおとろえてきていますが)
身に付けたいこと
料理づくりを上手くなりたい
動画編集技術
英語力
地に足をつけた行動をする思考
個人でお金を稼ぐ力
魚釣り技術
BBQでの火おこし
ボイスパーカッション
ホォークギターを弾けるようになる
途上国の子ども達への教育の普及といった目標を持ったキッカケ、少年期からのストーリー
小学時代
【意地悪なクソガキだった】
両親は共働きで3人姉兄のとしが離れた末っ子でした。
今では考えらませんが、赤ん坊時代は病弱で入院などを繰り返していたと。
ですが、小学時代の私は元気がありあまっている悪ガキ過ぎる意地悪なガキ大将だったと自覚しています。
とにかく、友達には嫌な思いをたくさんかけた事は認めます。学校の友達以外にも、親戚やいとこ達にも迷惑を沢山かけていたと思います。本当に意地悪でくそ生意気な奴でした!
反省しても取り返がつかない事もありますが、今では心の底から反省しています。
【感謝していること】
そんなくそ悪ガキでしたが、祖父母、母親、親戚らはおそらく私の言動をわかっていたうえで、辛抱強く・辛抱強く愛情を注ぎ続けてくれました。
当時の親しい友人らは、私の言動に嫌気がさす時も何百回もあったと思うのですが、見放さず今でも仲良くしてくれています。
私の精神的豊かさの根底にあるのは彼らの存在が凄く大きいです。
高学年時の担任やご近所さんにもなにかと気にかけてくれていた事を今でも覚えています。
いまになってこそ感じますが、当時の担任の先生は私に正面から正直にぶつかってきてくれてたと。疲れただろうな、、、。 当時の先生にはめやくちゃ感謝してます!
理由は、小学だけでなく中学・高校でお世話になった先生方からもして頂いたことが、長い月日がかかりましたがようやく理解でき。
その先生方の真の優しさを理解できるようになったことで、私にも他の人を思いやる心が持てようになったからです。先生方は、私の10年先をみすえて言葉をかけてくれていたんですねきっと。(人を育てることが一番難しいとかいいますもんね。)
☆少学時代のポイント
1,くそ意地悪なやつだったのに愛情を注ぎ続けてくれた人がいたこと。
2,親しい友達が仲良くしてくれ続けたこと。
3,家族や友達以外のご近所さんにも良くしてもらったこと。
4,家が落ち着ける場所でなかったこと。
中学・高校時代
中学時代は小学時の反動からか必要以上に周囲の人や状況を考えるようになっていたように様な気がします。
極端に言うと、別人になったような。
中学・高校とラグビー部に所属。
ラグビーを通して人の痛み、肉体の痛み、周囲に感謝する心、マナーを学びました。
また、努力に対する評価や高校時代はラグビー一色の世界で、世の中のことを全くと言っていい程しりませんでした。
公務員は一生安泰といったことを思っていたような状況だったと思います。
中学・高校時代のポイント
1,ラグビーによって心身が強くなったこと。
2,世の中のことを何も知らなかったこと。
3,勉強の楽しさをしらなかったこと。
4,ラグビーや交友関係のおかげで人生の中で大切な時間を得れたこと。
5,担任や友人に恵まれたこと。
別世界を知り出す一度目の大学時代
進学のため上京。 都心育ちの方には想像がつきにくいと思いますが、私は上京するまで実家から半径1キロ以内で18年間の9割方を過ごしたようなものです。 その半径内に小・中・高校や友人宅があり、たまには7キロ先の祖父母宅やイオンに行くことや、部活の関係で長野県や県外に行くことは定期的にありましたが、18年間の生きた日数と比べたら微々たる時間です。 また、高校時代は携帯を持ってましたが情報リテラシーは無にひとしく、情報のとり方さえしらないし、それ以前にラグビー以外のことはなにも知らない状況でした。 そんな状況で東京にむかい様々なものやことに触れたらどうなると思いますか? (今でも覚えています。初めて上野駅に到着したとき、乗り物酔いではなく、人の多さに目が酔ったことを) 私の世界観に少しづつヒビが入り始めたんです! 「いったい、俺がいままで生きてきた世界はどんなに狭まい世界だったんだ~~」といったように。 壁に貼ってある広告や群衆、見るものすべてが新鮮で。 そしてその後、次第に私がまだ知らない世の中の、面白い人や美味しい物、出来事、外国といったように知りたい・体験したいという思いが拡大し続けだしたのです。 諸事情により3年次で大学退学。
大学時代のポイント
1,私と異なる思考をもった友人に様々なことを教えてもらったこと。
2,経験や見たことがないもの知らなかったものというような人生初の体験を様々したこと。
初めて勉強を始めた専門学校時代
専門学校に入学。
この時に初めて勉強をまともにやり始め、自発的に吸収、学んでやろうという気持ちの芽が出だす。(20歳)
理解力は悪かったが、勉強したことで問題が解ける感覚に嬉しさを覚えはじめ、勉強することが楽しいと思えるようになっていた。
もちろん試験の点数がアップすることも嬉しかったですが、例えば社会や歴史の教科を通して社会の仕組や歴史の成り立ちなどについて知れることが凄く新鮮でたまらなかったです。
きっかけは忘れましたが、この頃から世の中の困っている人や社会に目を向け初め、「将来は総理大臣になり社会に貢献する」といったことを思うようになっていました。
(すみません、ゆめみてました!)
専門学校時代のポイント
1,学ぶことの楽しさを知ったこと。
2,勉強をおこなう習慣を少し身に付けたこと。
3,社会貢献をおこないたいと考えるようになっていたこと。
就職~予備校
専門学校を卒業してからは働いたり辞めたり、予備校に通うなど5年のつきひを過ごしました。
その過程で、警察学校に入校した際に強く思ったことがあります。それは、「犯罪者を捕まえるのではなく、犯罪者を産まないための環境づくりに力を入れるべき」、または可能なら私はそちら側に携わりたいと。犯罪者を捕まえてもいたちごっこではと、、、。
結果は、学校から逃げたんですけどね。
スキルや経験がいっさいない私でも、自動車工場で年収500万程稼げた。
また、「最高の授業を世界の果てまで届けよう」という私の人生に最も影響を与えた本に出会う。
その本の影響で、私は政治家ではなく「 途上国の学びたい人々へ教育を受ける事の出来る環境を提供する 」ことが私の人生の目的にへんか。この本に出合った時は稲妻が走りました。
大学入試を通しては、基本的に日本のペーパーテスト(センター試験など)は万人に平等で公平に与えられたチャンスを掴むためには素晴らしい制度だと感じる。
理由は、努力をしたらその結果として自分にかえってくる、コスパが最高によい!(例外はありますが)
また、第一志望には受かりませんでしたが、予備校生活(教育)の2年間で私はそれまで放棄していた真の勉学に触れたことで、知的好奇心がくすぶられ私の世界観が拡大し続け精神的に満ち足りた状態になっていたのを今でも覚えています。
そして、当時の私が選択していた道を周囲の人からみると「いい歳したやつが夢のようなことを言ってやお先真っ暗な人生」だと思っていたでしょう。
確かに、目の前は先が見えないいばらの道でした。
ですが「俺は幸せ過ぎるからもうこれ以上の幸せはいらない」、次は他の人、外国、途上国の子ども達といったように目が外に向き始める。
理由は?、理由は多数ありましたがそのうちの一つがスキルも知識も持ってない俺が、それなりに稼いで自分がやりたいことをやりたいようにやれる環境に身をおける環境があることがどれ程幸せなことかって考えるようになったからです。
「ほかに何ヵ国あるわけ?こんなことが出来る国?」
そして自動車工場での体験や予備校生活、大學受験を通し教育の大切さをひしひしと感じ始め、現代では国の発展や心身共に豊に生きていくためには教育が最重要だと考えるようになる。
その後のポイント
1,犯罪者を捕まえることも重要だが、犯罪者を産まないようにする取り組みも凄く重要だという思考を持てたこと。
2,基本的な読み書きソロバン能力はあるが、特別なスキルや知識がない人でもある程度稼げる環境の有難さを体験したこと。
3,「最高の授業を世界の果てまで届けよう」の本に出合えたこと。
4,勉強をすることで視野や思考の幅が広がり、それにより精神的的豊かさや発想力が得られるこを体験できたこと。
5,人生最大の幸せを感じれたこと。
6,日本には努力を公平に評価するペーパーテストが存在することを身をもって体験できたこと。
目的意識を持ち入学した二度目の大学時代
私は5年前の2016年に都内の大学に入学。当時27歳。
結論、最高な大学生活を送れました!
理由は、目的を持って大学に入学したことや入学当時に私が抱いていた世の中は広く様々な、こと・もの・人や闇が無数に存在し、一生かかっても体験することの出来ない愉快で複雑な世の中だという思いを最後まで大学の環境を通して提供し続けてくれたからです。あと忘れてはならない重要な事として、気が合う友人らのおかげがありました。
私が再度大学に入学した目的は、ざっくりいうと「途上国の学びたい人々へ教育を受ける事の出来る環境を提供する」ことでした。学部も国際関係だったので大学の講義が楽しく常に新たな発見や体験をもとめて今日はどんな事が学べるかなといった前向きな気持ちで大学に通えていました。
私生活は、一度目の大学入学時の時より社会経験があったこともあり狭い価値観、狭い世界にとらわれることなく時間やお金、情報がゆるす限りいろいろなものに触れたことで元はとれたかなと思っています。
大学生活を通して感じたこと。
友人らは20代前後の人達ばかりでしたが、しょうじき大人びてるなと思う人が沢山いました。その歳でよくそんな行動力や考えを持っているなと思えることが多々あり、自分の同い年の頃を振り返ると自分が凄く幼稚だったなと感じていました。また、少し年齢が先輩の方も同期にいて、働きながらや家庭を持ちながら学ばれている姿をみると「人生楽しんでるな」と思い、俺ももっと楽しんでやるといった様にこちらまでワクワクさせてもらっていました!
詳しいことは分からないですけど、大半の学生はわざわざ夜間に通ってくるぐらいですから、なにかしらを見つけたい学びたい、成長したいといった要素をもっている方が多かったと思うので割と自主的で活発でユニークな人達が集まっている学部でした。
【大学に入学した目的を現実のものにしていくために、大学を休学してアフリカのとある国で小さな畜産業をおこなうために単身渡航!(1年後の令和1年3月に帰国)】
アフリカの地で畜産業をおこなってみての結論
「途上国の学びたい人々へ教育を受ける事の出来る環境を提供する」という私の目標には少しも近づけるような結果を残せませんでした。
現地での生活から現代社会において人や国の幸福のために教育はもっとも大切なことだという考えは変わっていませんが、同時に資本主義社会の現代ならなおさら一家のなかでも食べ物や経済が安定した環境でないと教育に膨大な時間や労力をさいている余裕はないという考えの比重が自分のなかで大きくなりました。子というより子も持つ親に余裕がないということ。
最終的には、途上国には教育よりまず先に雇用が必要だという考えに変化しました。現地で生活するまではどちらかというと流れとして教育のあとに雇用という考えが強かったですが、これは何不自由なく生活してきた世間知らずの島国育ちの考えなのかとも考えてみたり。おそらく正しいと思ってる。
食べ物や経済的に余裕がないと1週間、1ヵ月、1年先のことなど考えられないですよね。同じような事を現地の方からも言われました。
最後に、アフリカといっても約54ヵ国あります。
二元論で話したくはありませんが、私が行った国は新宿より治安が良いいです。国としては汚くて、不便でストレスが溜まることも多々ありましたが、極端な言い方をすれば東京都民より温かく人との関係性を大切にしている愛をもった人々でした。
他の53ヵ国の国民性や風土はよく知らないですけが、多少の違えはあれど大差はないかと。
アジア人のなかで同じことを考えてみてもそうかと。映像による印象〇〇によっていがみ合いがましている可能性もありますしね。
例えば、アフリカ内で紛争や酷い状態にある国や地域には天然資源があるのでは。その天然資源の支配権の大本はどこ・だれ?買い取ってるのはどこですか?
また、正確な数字は分かりませんが、今まで世界をあげて多額の支援をアフリカ各国におこなってきたはずなのに、なぜ今だにこの様な状況なのかと思うことが多々あります。私は思いました、世界は本気でアフリカを発展させるつもりはないと、これは大きすぎるブラックホークに触れてしまったような気分でした。
いくつかの要因から撃沈されたような精神状態になったためいったん目標から離れることを決め、目標から離れるなら大学に通う意味がないと思い二度目の大学も退学しました。
二度目の大学時代のポイント
怖がらず挑戦したことで、思いだけでは駄目で戦略や継続の重要性を学べたこと
社会経験をへてから入学したことで多様な角度から人・もの・ことをみれる様になったこと
学び始めるのに歳なんて関係ないと身をもって感じれたこと
多様な友人が出来たこと
人生は楽しいものという芽を植え付けてくれたこと
大学に目的を持って入学したことで学びが楽しくてたまらなかったこと
福祉職員として働き始める
]セネガルから帰国した後人生の目的を見失い、大学に通う目的を見出せなくなり大学を退学。その後、もがき苦しみ紆余曲折を経て私の人格を構成している根底部分である世の中または人の役に立ちたいという思いに素直に従い福祉業界でこれから自分のエネルギーを活かしていこうと思い就職。
いざ働いてみるとみごと仕事内容が私の性格に合っていて、さらに福祉職が好きになりました。仕事を始めたばかりの頃は職場で求められるクオリティー理解に苦労しましたが少しずつ順応でき、どのよに仕事をおこなっていけばよいかがわかってきた3ヵ月目。
上記で挙げたクオリティーの一つとしては、皿洗いは裏表をしっかり洗わなくてよく、濯ぎもしっかりやらない。理由としては、皿洗い後、皿を食洗器に入れることや皿洗いにそんなに時間をかけていては入居者への対応が疎かになるといった事が正直なところだと。これで良いとは私は思いませんが、これは福祉業界の人手不足や待遇の低さの現実をあらわしている一端だと思います。
まだまだ福祉業界も改善が必要な業界だと思う今日この頃です。
現時点では、認知症や利用者の方が笑顔であふれる施設に興味があるので今後はそのほうこうに特化して動いていこうかなとも考えています。
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