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携帯の容量がいっぱいに…増え続ける写真と、バイバインで増え続ける栗饅頭の類似性について

夕方、散歩を兼ねて展望台まで海を見に行った。空には鳥が大きく翼を広げたような雲。そして、太陽が沈む方向には雲がない。今日も見事な夕焼けを見られる予感がする。

今までは美しい景色を見て、ただ感動していたのに。今の私ときたら「わわわどうしよう…写真の空き容量がない」とネガティブな気持ちになっている。こんな考えが浮かぶだなんて、不健康すぎ…。

先週から、6万枚の写真と3000本の動画と格闘中なのである。削除しても削除しても、写真を撮るので携帯の容量は一向に増えない。

昨日、それはまるでドラえもんの道具「バイバイン」で増え続ける栗饅頭のようだとnoteに書いた。

昨日もそう思ったが、今日はより一層そう思う。

のび太くんは、美味しい栗饅頭を増やすためにバイバインで栗饅頭を増やした。栗饅頭は倍数でどんどん増えていく。食べ切れなくなり、栗饅頭だけがどんどん増えていった。結局、処理しきれなくなった栗饅頭を、宇宙空間に送った。

一方の私は、美しい景色を写真に納めたくて、どんどん写真を撮る。でもあまりの写真の量に、お気に入りの1枚を選べない。それなのに毎日写真を撮り続けるので、毎日数百単位で写真が増えていく。iCloudの容量を増やすことは一時的な対策であって、本当の意味での解決にはならない。だから私は、のび太くんみたいに宇宙空間に栗饅頭を持って行きたくない。私に残された道は、写真の選別を地道にやっていくのみだ。

今日の夕焼けはキャンディカラーで、甘い色合いがかわいらしい。携帯の容量がなくならないように、注意しながら渾身の1枚を撮った。

なんだかフィルム時代みたいだと思った。
ひょっとしたら、携帯だからといって写真を撮りすぎだったのかな。スマホは楽しい文明の利器だけど、たくさん撮ったらきちんと処理しなければ、写真や風景はもちろん、撮った自分に対しても失礼だ。

空の色や雲の形、夕焼け空の微妙な色合い。全て美しいが、キリがない。写真がありすぎるから、SNSに投稿する1枚が選べない。ただ溜まっていく一方なのは、本末転倒だ。栗饅頭も、1〜2個だから美味しいのだ。まずは、1日に撮る空の写真が数百万だったのを100枚にしてみよう。その上で栗饅頭を適正に処理し、きちんと食べ続ける必要がある。

残す写真を選別する。
当たり前なようで、実は私にとっては結構深くて…。写真を選ぶ行為、もしくはそれをSNSに載せる行為、すべて突き詰めると、それは自分のセンスを信じることにもつながっているのです。

ちょっとしたことだけれど、ここを乗り越えてひとつ階段を登ったら、滞っていた何かが流れ出しそう。1段高い所から見たら、新しい景色が見えそう。とにかくやるのみ。がんばる。毎日栗饅頭と向き合い、味わいながら元気に食べる。


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