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「文章を育てる」という考え方





文章を書くにあたって、2つ大切なことがある。

1つは形式。例えば誤字脱字がないかとか改行がきちんとできているかなどである。

もう1つは内容で、起承転結があるか、読み手に分かりやすい表現となっているか、などである。

時折、自分が投稿した記事を読み返してみると誤字脱字が散見される。投稿前にしっかりと確認したはずなのにチェックしきれていなかった箇所が出てくる。

案外、自分のミスには気づきにくいものだ。逆に他の方の記事を読ませていただいていると、誤字脱字のある箇所は気づきやすい。

また誤字脱字ではないが、「有難う」と「ありがとう」のように、漢字ではなくあえてひらがなで書いている部分なども他の方の文章を読んでいるとよく分かるが、自分が書くときには無意識にしていることが多い。

どこをあえてひらがなにするかは人によって様々で、こういうところに書き手の個性が滲み出ていて非常に興味深い。

ちなみに僕はあえてひらがなで書く箇所を多くしているが、読み手の方にどういった印象を持たれているかまでは充分には分からない。

このように、自分の書いたものは気づきにくいことが多いが、自分以外の方が書いた文章では気づくことが多い。これは自分の書いたものを客観的に見ることがいかに難しいかを物語っているようだ。

誤字脱字のような形式面だけでなく、内容面においても、自分がその文章を通じて伝えたい真意と読み手の感想が一致しない場合も珍しくない。

しかし、こうしたところにこそ書くことの本当の楽しさがあるように思うのだ。
自分が考えていた以外の視点から読んでいただけることもあるし、自分が気づかなかった解釈を教えられることもある。

そうした意味で「書く」ということは一見自己完結的な行為に思えて実は決してそうではないのだろう。

僕は何かを書く際はなるべく自分が書きたいことを素直に文章にするようにしている。

「とりあえず自分が思っていることを書く。それを読んだ方一人一人がどう感じるかは読み手に任せよう」というスタンスである。

感想、解釈、刺さる部分などはいくつもあっていいし、いくつもあった方がより面白い文章になると思うからである。

以前、あるエッセイを書いて投稿した際に、「素敵なお話でした。ぜひ私の記事で紹介させてください」という何ともうれしいメッセージをいただいた。

自分としては日常のちょっとした1コマから着想を得て書いた何気ない記事だったのだが、その方には深く共感いただけたようで、実際にその方の記事の中でご紹介いただいた。

記事の中で、僕の書いた内容とご自身のおじいさまとの思い出の場面を重ね合わせ、あらためて大切なことに気づかれた、と書かれていた。

僕の記事をきっかけにしてご自身の記憶を思い出されたようで、とても温かく、こちらまで優しい気持ちになれるような内容であった。

この方のように、自分の書いたもので読み手の方が直接何かを感じてくださるだけでなく、自分の書いたものをきっかけに読み手の方自身が記憶を思い出し、そこからあらためて何かの気づきを得ていただけることもある。

僕自身、他の方の記事を読む際には同じような経験をよくしてきた。記憶が思い起こされることでその当時は感じることがなかった思いや気持ちが湧き出してくることがよくあるのだ。

幼さ故に気づかなかったことや、今思うととても大切なことを言ってくれていたんだと思う他者の言葉などである。

このように元々書き手が意識していたこと以上の価値が文章に加えられることで、いつまでも深みを増す文章というものができていく。

やはり書くという行為はある意味で書き手と読み手との共同作業であると気付かされるのである。

そして、さらに興味深いことは、読み手だけではなく書き手自身も、「こう感じてほしい」とか「こういったことを伝えたい」という自分の思い自体が、時間の経過や他者からの意見によって変わってくることもよくあるということだ。

つまり書き手の考えや解釈も常に変化していくということである。書き手と読み手の相互作用によって文章に新たな意味が付け加えられ、最終的に書き手の意識まで変えてしまうことがある。これもまた書くことの不思議な力の1つかもしれない。

このように、何かを書くということは単に何かを表現する、伝える、というだけでなく、読み手と一緒になって新鮮な気づきを作り上げていくことなのである。

文章を書くという行為はいわば土壌に種をまくことであり、そこから出てきた新芽を書き手と読み手が手を取り合って大切に育てていくことで初めて魅力的な花を咲かせるのである。

日々、記事を書く中でスキや閲覧数等が増えていくことももちろんありがたい。
しかしそれ以上にコメント等で新たな視点を提供いただいたり、内容にまつわるその方自身の体験を教えてくださったりした時にこそ深い喜びを感じる。共感ももちろんうれしい。

主観的にしか見られない自分の記事に対する客観的な意見をいただけることが何より楽しいのである。そうして記事に奥行きが生まれる。

いつまでも書き続けたいと思える所以である。




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