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裏切りの伽羅(キャラ) 序章

みなさんは「哲学」というものがどうやって誕生したのか、知っていますか。
 
 うん、反応がない。

 一説によると、紀元前6世紀ごろのギリシャで「それをする時間ができたこと」がきっかけと言われています。生活のほとんどを奴隷に任せることで、考える時間が生まれ、それまで世の中の原理を神話任せにしていた時代から一歩踏み出したのです。聞いてますか。

 興味ない? ああ、そうですか。

 まあいいや。ここでよく焦点が当たるのは、それから哲学はどう変化していったのか。
 あえて、変わらず考える時間のない奴隷の立場を考えてみましょう。
 ただひたすらに、言われたことだけを行う、歯車たれ。
 余計なことを考えるな。
 お前は私たちのために働ければ、それでいいのだ。

 そんな被支配者側にも、好期が訪れます。
 その1つが、これから学習する19世紀の時代、実存主義……。

 ああ。だめだ。
 ただえさえ眠たい倫理の授業なのに、主義という言葉は反則だろう。弁当を食った後の授業よりも効果抜群だ。
 眠気を覚ますために、前の席のニビに声を掛ける。ニビは嫌がることもなく、逆に嬉しそうな表情でこっちを見てくる。
 ふと、親友の右頬に、青あざができていることに気付く。

「これ? あいつにな、急に殴られて。」
「ああ、またあいつか。」

 「あいつ」だけで、クラスの大半に通用してしまう同級生。
 自己中心的で、攻撃的。
 やりたくないこと、やっても無駄なことを極端に避ける不良。
 また停学案件か。

「急に殴ってくるとか、どういう神経してんだ。」
「ほんとだよな。ちょっと頭にこんにゃくのせられただけで。」
「お前もどんな神経してんだ。てか今回はお前が原因だろ。」
「こんにゃくを責めるなら、俺も責めてくれ。」
「お前しか責めてないぞ。」

 眠気覚ましにならなかったし、頭も痛くなってきた。教科書を立てて机上に伏せる。狼が一匹、狼が二匹、狼が三匹。
だいたい今の人間の目指すべきところとか、よく分からない理由で3時間連続の倫理は苦行過ぎる。狼もよう跳んどる。

「ほら、お前もこっちきて跳べよ。」
「どうしようもなく眠たいんだ。放っておいてくれ。」

 木漏れ日に照らされた下半身がぽかぽかする。上半身がぽかぽかしないのは、誰かが傍に近寄ってきて、太陽光を遮っているからだ。あゝ忌々し。

「わさわさ。わさわさ。」
「揺らすな。起こすな。」

 無駄に肌触りの良い感触に揺さぶられたと思ったら、案の定、灰色の翼が目前に広げられている。

「グッッッドモーニング、おおかみさーん。」
「森の吟遊キツツキは、とうとうニワトリの代わりまで務めるようになったのか。」
「色じゃ君に負けないよ。そうだろ、トサカ色のおおかみさん。」
「変色個体はお互い様だろ。」

 赤毛のオオカミと、灰色一色の羽毛で覆われたアカゲラ。同種の仲間から若干距離を置かれる共通点が、自然と二匹を引き寄せるのかもしれない。
 気を取り直してもうひと眠り、なんてできないほど、森のサルどもがバカ騒ぎしていることに気付く。前足を伸ばして眠気を飛ばすこと1回、2か…

「覚醒に移行するまでの時間が冗長。」

 驚いて背後を振り向くと、仲間の狼でも、小うるさいキツツキでもない獣がいた。
 貧弱な体毛の代わりにもならない、貧相なかぶり皮。
 そこそんなに伸ばすなら体毛強化しろよ、と突っ込みたくなるほど長くボサボサな頭の毛が地面に着地している。

「私は、ホモサピエンス。」

 初めて見る動物だ。
 その姿から目が離せないのは、きっと自然界を生きるには頼りなさ過ぎる出で立ちだからだ。きっと、そうだ。

 高鳴る心臓を落ち着かせながら、その「ホモサピエンス」に尋ねた。

「ホモサピエンスは頭の毛が黄緑色なのか。」
「もしかして、人類みんなパリピだと思ってる?」
「うわっ。」

 聞きなじみのある声に顔を上げると、いつの間にか委員長が席まで来ていた。
 倫理の授業は、奇天烈な夢に尺をとられたようだ。

「違うよな、猩真《しょうま》。」

 ニビはもったいぶるかのように、椅子を前後反対向きに座り直す。ニタアと顔を歪める。この様子は良くない。またしょうもないことを口にする前触れだ。

「ホモ《パリピ》エン…」
「シャラップ。」

 その時だった。教室の前の扉が勢い良く開かれる。一瞬にして放課のざわめきは消え去る。緊張感が室内の隅から隅まで広がるのが肌で感じ取れる。
それもそのはず、一歩踏み出してきたのは、

「生徒指導の岡本だ。」
「停学を告げる使徒、岡本だ。」
「バカ。心の中で言いなさいよ、ニビ。」

 「岡本に連行されて、無事に帰ってこれた者はいない」
 先輩から後輩へ、これだけは残したい遺志ワードナンバー1は侮れない。だがしかし、このコグチ高校1年4組では少し安堵の余地がある。なぜならば、このクラスには頻繫に停学になる「あいつ」がいるからだ。

「生徒の呼び出しをする。」

 今回もどうせ「あいつ」が連行されて終わる。

「そしてこれ。正式な停学通知書な。」

 こうして、洲崎《すざき》猩真は停学となった。

 処分理由は、図書館の本を勝手に古本屋に売ったこと。

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