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「ここで肉に塩をぬりこんであげんねん」って、だれのために?

ここ1~2年、ちょっと気になっていることがある。

料理系YouTuberが食材に
「さっくりとまぜてあげる」とか
「フライパンを軽くふってあげる」とか

「~てあげる」を使っていること。

考えれば考えるほどに面白い。

「~てあげる(もらう・くれる)」は立派な文型で、日本語の初級教科書にはかならず出てくる。

教える側の教師も、学ぶ側の学生さんも、頭を悩ませてしまう文型のひとつじゃないかなっと思う。(個人的にですが…)

使いすぎると恩着せがましいので、「してあげるね」はあまり直接人には使わないかもしれない。

そんな表現をよく耳にする分野が、料理系YouTube!

気になってネットで調べたら、この話題についてのYahooの知恵袋や、新聞のコラムがけっこう見つかった。

投稿年を見ると、2019年。
「ここ1~2年気になっている」とか書いちゃった自分が恥ずかしい。
海外在住あるあるの、ぜんぜん日本についていけてない悲しさ。
もう4年前から話題になっていたのか…

さて、見つかった記事や質問に目を通すと、「~てあげる」を使うことにネガティブな意見が多いみたい。

「違和感がある、擬人化する必要とは?」
ふむふむ、納得。
「イラっときます。日本語の乱れ」
お、おう。ある人には許容範囲外の使い方なのか。

もちろん私もこの表現に違和感をおぼえた人間。だから気になって調べたんですが。
でも、それはすごくポジティブな違和感。

というのも、子どものとき、ちょっとレシピ本が苦手だった。
機械のマニュアル本みたいに、冷たく作り方を説明している。
「まず材料を切る」「鍋を熱する」「5分焼く」みたいな。

血も肉も通っていない文章って感じだ。通わせる必要はないのかもしれないけど。

でも、「~てあげる」を使うとなんだかあたたかい。
「ここでキャベツを1cmに切ります」より、「切ってあげる」のほうがやさしい。
やさしく、語りかけるように作り方を丁寧に教えてくれている感じがする。
無機質さがなくなるとでも言おうか…。
とりあえず、ほわぁっと、あたたかくなる。
子どものときの私は、こんな風に教えてもらいたかったのかもしれない。

ちなみに、こんな表現も聞いた。
「骨付きのとり肉さんに、しっかり出汁を出してもらいましょう」
「こうすると、フライパンにくっつかずきれいに焼けてくれる」

いいなぁ。
あくまで、料理の主役は食材なのだなぁ。
私たち人間は、ただその恩恵を受けるだけなのだなぁ。
「いい出汁が出る」かどうかは、私の腕じゃなくて、とり肉さん次第なのですよ、っていうことに、ちょっとした謙遜も感じる。

結局、「~てあげる」を使う理由も意図もわかっていない。
来学期ぐらい、日本研究科の学生さんと話し合えたらおもしろいかもしれない。

そういえば1か月ほど前、兄が料理を作ってくれた。
週末になると手の込んだものを作る、料理が趣味の男だ。

調理をしながら作り方のポイントを教えてくれた。
「ここで肉に塩をぬりこんであげんねん。で、ゆっくり火を入れてあげる。わかるか?」

兄、おまえもか。

「お兄ちゃんもYouTuber みたいな喋り方すんねんな」とか
「誰のためにぬりこんであげんの?」とか
ツッコミを入れようか迷った。

でもやめておいた。
余計な一言を言って、晩ごはんを食べさせてもらえなかったらかなわない。

その日食卓にあがったのは、ローストビーフ。

お兄ちゃんがしっかり塩をぬりこみ、ゆっくり火を入れてくれたおかげで、とっても軟らかくジューシーなしあがりだった。

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