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説明できそうでできない『世間』 ~日本語レッスンLOG~

今日は、上級レベルのアメリカ人女性とのオンラインレッスン。
何十年も前に日本で茶道を学んだという、上品でユーモラスもあるマダム。

今日のレッスンで出た話が「世間」。

「「世間」という概念は、日本ではとても重要でしょう?
でも、この「世間」は、英語には翻訳できないんですよ。」

と言われ、はた、と考えた。確かに。

辞書で調べると、「society(社会)」や「world (世界)」という英単語が出てくるけれど、ちょっとちがう。

その学習者さんも、それらの英単語はふさわしいものではないと言う。

Google 様に聞くのが手っ取り早いのだろうけど、私たちはそれを好まない。
2人で、あーでもない、こーでもない、と考えを巡らせるのが楽しい。

「世間に顔向けできない」とか言うけれど、「社会に顔向けできない」は使わない気がする。

「世間様に迷惑かけない」と幼いころに言われた覚えがあるが、「社会様に迷惑かけない」とは言わない。

そもそも、「世間」には「様」がつくけれど、「社会」にはつかないですよね、と話はヒートアップ。

「世間」には、もっと人間関係とか、コミュニティとかが根底にある気がする。
「世間」は人そのものなのかしら。だから「様」がつけられる?

逆に、
「最近の社会」とは言えるけれど、「最近の世間」とは言わない。
「社会を変えよう」はよく耳にするけれど、「世間を変えよう」は聞いたことがない。
「世間」というのは、「普遍的な」、変わらない何かなのかしら。

「世間の目を気にする(気にしない)」はどうだろう?
「社会の目を気にする」… これは言えるかもしれない、し、見聞きしたことのある言い方かもしれない。

でも、よく聞くのは「世間の目」か…。

レッスンでは、このまま、「世間の目を気にする」についてアメリカと日本とのちがいなどを話し、「世間」の概念の話は終わった。

さて、この記事をここまで書いたところで、私は「世間」というワードをGoogle 検索してみた。

十二分に考えてから、調べものするのが楽しい。

で、あるじゃないですか。『「世間」とは何か』という本が!
著者は阿部謹也さん。


新書マップというウェブサイトでは、阿部謹也さんの著書の「ガイド」が読める。


簡潔にまとめられているけれど、このガイドを読むだけでも、「世間」と「社会」の違いが少しクリアになる。

阿部謹也さんによると、「社会」は明治以降に西洋から取り入れられた概念であり、それ以前に日本にあるのが「世間」なのだそう。

「日本における共同体や人間関係をあらわしているのは「世間」であって「社会」ではない」とも書かれている。

そのアメリカの学習者さんが指摘するとおり、「世間」は日本にとって重要な概念で、根本にかかわるものなのかもしれない。

人としての「在り方」に、「世間」からは逃れることはできないし、結局、自分自身も「世間」の一部。

「世間の目」は自分の目でもあるんじゃないかと思う。
「世間に顔向けできない」ときは、たいてい自分にも顔向けできないとき。

「世間」をもっと理解するために、一冊本を手に取ってみよう。

もちろん新書マップのURLは、すぐに学習者さんにシェアした。
次のレッスンが待ち遠しい。


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