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道徳の読み物「羽の重さ」(中学校:自主、自律、自由と責任) 創作教材

  • 対象学年:中学校(1・2年)

  • 内容項目:自主、自律、自由と責任 (1)自律の精神を重んじ、自主的に考え、判断し、誠実に実行してその結果に責任をもつこと。【関連:生命の尊さ】

  • 教材の種類:創作


羽の重さ

 私が小学校六年生の時のことです。それは、二月の終わりのとても寒い日でした。
 その日、私は日直で、教室の後片づけを済ませて帰ろうとしているところでした。三階にある私たちの教室には、真央ちゃんと圭ちゃんが残っていました。一緒に帰ろうと私を待っていてくれたのです。
 片づけを済ませてランドセルを背負おうとした時でした。突然、「ドン」という音がして、ベランダ側の窓ガラスが大きく震えたのです。私たち三人は、驚いて窓に駆け寄りました。ガラスには白く、ボールをぶつけたような跡がついていました。窓を開けてベランダをのぞき込んだ真央ちゃんが、大きな声で言いました。
「鳩だ。窓ガラスに鳩がぶつかったんだよ」
 慌ててベランダに飛び出すと、確かに、大きな鳩が一羽、お腹を見せるようにして転がっていました。左の羽をバサバサさせ、右の羽は奇妙な向きに折れ曲がっていました。
 真央ちゃんが、しゃがみこんで鳩を見下ろしながら言いました。
「動いてる。ケガしたんだ」
 圭ちゃんは鳩に近づくのが怖いようで、真央ちゃんの背中から鳩をのぞいていました。
「真央ちゃん、紗希ちゃん、どうしよう」
 私はあせりながら言いました。
「動物病院に連れていこうか」
「でも、お金はどうしよう。動物病院ってすごく高いって聞いたことあるよ」
「じゃあ、先生に言おうか」
「ちょっと待って。先生に言ったら、ケガもしてるし保健所に連れていかれちゃうかもしれない」
 十分ほども話し合ったでしょうか。私たち三人は、「ケガが治って飛べるようになるまで、私たち三人で、この鳩を隠れて飼う」と決めました。

 鳩にはピースと名前をつけ、校舎裏の荷物置き場の脇のしげみに置いたダンボール箱で飼うことにしました。ダンボール箱には布をしいて居心地がよくなるように工夫しました。
「早くケガを治して、仲間のところに帰るんだよ」
 そのとき、私たち三人は、少しばかりわくわくしていたような気がします。給食の残りのパンの欠片をダンボール箱の中に入れて、ふたの代わりのベニヤ板を箱の上に載せてから私たちは帰りました。ピースは飛ぶこともできなければ、すばやく逃げることもできないのです。だから、もし野良猫などがやってきたら大変と思ってのことでした。

 次の日になっても、ピースは飛べませんでした。
「明日はきっと飛べるようになるよ」
 その次の日も、ピースはダンボールの中で丸くなっていました。
「きっと良くなるよ」
 けれど、一週間が経っても、ピースは箱の中にうずくまったままだったのです。傷が治り、飛び立つような気配はまるでありません。
 真央ちゃんが沈みきった声で言いました。
「もしかして、ピース、もう……、飛べないのかもしれないね」
 ダンボール箱は、ピースのフンとエサの残りでひどいありさまでした。
「もしかして、もう治らないのかなぁ」
 圭ちゃんもそう言いました。
「紗希ちゃんが、『私たちで飼おう』なんて言うからだよ」
「けど、みんなだって賛成したじゃない」
「だけど……、治らないなんて私は知らなかったから……」
「そんなの……、私だって同じだよ」
「ねえ」
 その時圭ちゃんが言った言葉は、なんだか胸にズンときました。
「もしかして……、私たちがずっと、ピースを飼わなきゃいけないのかな」

「弱ってきてる気がする」
 おわんにした両手にピースを載せると、ずしんとした重みを感じました。ピースの胸がふくらんではしぼんでいます。呼吸をくり返すピースの体は、まるでお風呂のお湯のように熱く火照っていました。
 私たちは話し合いました。誰か、ピースをもらってくれる人がいないだろうか。弱った鳩をもらってくれる人など、いるはずがありませんでした。それに、野生の鳥は、勝手に飼育してはいけないのだということも後から知ったのです。私たちには、もうどうすることもできませんでした。
 真央ちゃんが、声を絞り出すようにして言いました。
「私……、保健所とか、そういうところに連絡しようと思う」
「駄目だよそんなの。殺されちゃうよ」
「でも、飼えないもん。それに私たち、もうすぐ卒業なんだよ。そしたらどうするの?」
 何も言えなくなってしまいました。ピースはダンボールの底で丸くなり、目を閉じてじっとしています。折れてしまった右の翼は、奇妙に折れ曲がったまま、付け根のところが茶色く変色していました。いくら話し合っても結論はでませんでした。そのうち私たち三人は、黙りこんでしまいました。
「……明日には、きっと飛べるようになるよ」
 真央ちゃんが、誰のことも見ないでそう言いました。ぜんぜんそんなふうには思えません。でも、私と圭ちゃんは、やっぱり誰のことも見ずにコクリとうなずきました。早くここから離れたくてたまらない。私たち三人はもう、ピースが治るなどとは思えなくなっていました。
 その日、ピースを残して下校するとき、私は、ダンボールの上にベニヤ板を載せませんでした。なぜそうしたのか、本当はわかっています。きっと、真央ちゃんも圭ちゃんも、なんとなくわかっていたんじゃないかと思います。

 次の日、放課後になってダンボールを覗いてみると、そこには何もいませんでした。鳩の羽が何枚か落ちていて、薄汚れた布の上に、奇妙に白く見えたのを覚えています。
 しばらくの間、みんな無言で、フンのこびりついたダンボール箱の底をじっと見つめていました。
 やがて、真央ちゃんが言いました。
「……仲間のところに帰ったんだね」
 救われたように、圭ちゃんが言いました。
「きっとそうだよ。羽が治ったんだ」
 私も、無理やりに笑顔を作って言いました。
「そうだね。良かったね」
 私たちは、嘘をつきました。
 ピースの居場所だったダンボール箱を分解し、ゴミ捨て場に運ぶと、私たち三人は、うつむいたまま帰路につきました。帰り道、誰も、何も言いませんでした。

 それから私たちは、二度と、その場所に近づきはしませんでした。


※涌井の創作教材です。著作権は放棄しませんが、もし授業でご使用いただく場合はご連絡等は不要です。


「自主、自律、自由と責任」についての「考えてみよう」はこちら


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