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真夜中のメッセージ

深夜、眠っていると
着信音が鳴りました。

熟睡していたので
なんだろう?誰だろう?
と思いながら無意識に受信しました。

するとそに声の主は
関わっているプロジェクトの仲間でした。

と言っても、
一緒に仕事をしているわけではないので
通常は連携することはなく
状況も知らないような関係性です。

数ヶ月ぶりに声を聞き、
1分程度の生存確認程度の
簡単なやりとりだったのですが
ボーッとしている頭で
簡単な受け答えや質問をしました。

私自身も
その方の近況は気になっていて
本当にリアルに、昨日一昨日レベルで
元気でいるかメッセージを送ろうかどうか
と思っていたところでした。

用事があるわけでもないし、
私自身も格別に変わりもなく
お忙しいかななんて思って
メッセージを送るのはやめていました。

そんなタイミングで
メッセージではなく
生のお声でメッセージを
ただ元気ですか?というだけの
内容だったのですが
電話をきってから
すごく感謝の念が湧きあがってきました。

そして、少しだけ感謝の気持ちや
自分の思っていることを書いて
メッセージを送りました。

誰かが誰かのことを思って
元気でいるかな?
そんな風に思ってもらえるって
すごくありがたくて
嬉しいことだと感じました。

時折でも誰かの意識に浮かんで
どうしているかなって思ってもらえる。

そして、その人の時間とか
意志とか思いを使って
コンタクトをしてくださる。

些細なことかもしれないけれど
そういう小さな出来事が
誰かをちょっぴり嬉しくさせたり
励みになったりするのかなと思います。

そして、深夜、眠たい頭に浮かんできたのは
人間の生と死についてでした。

この話を聞いたのは、
もう10数年くらい前でしょうか。

誰かからセミナーとかで聞いたのか
本で読んだのかは
忘れてしまったのですが、
すごく印象深くて
ことあるごとに頭に浮かんできます。

それは『人間には2回、死がある』ということです。

1回目の死は、肉体の死です。
つまり、生命体が息を引き取った時の死です。

2回目の死は、その個人の事を
誰一人知らなくなった時に訪れる死です。

誰かの記憶の中や
誰かの心の中に
その人への想いがある限り
2回目の死は訪れません。

『わたし』という人間が存在した事を
誰も知らなくなった時
2回目の死が訪れると。

その話を聞いてから
事あるごとにこれを思い出して
色々と考えます。

すぐに忘れ去られてしまうような
そういう関係性もあるけれど、
家族とか伴侶とか恋人とか
親友とか戦友とか仲間とか
師匠・メンター、先生とか
深い繋がりを持つ関係性もあります。

深いつながりや結びつきによって
心の中に大事な存在としてあり続ける記憶。

多大な影響を受けたことによる記憶。

鮮烈な印象深い出来事による記憶。

誰かの中に残り続ける記憶とか
その存在感というのは
いい意味での印象と
悪い意味での印象が
あるのではないかなと思います。

光と影の両面があると思うのです。

それを考える時
やっぱり私は1人でも多くの人に
あなたに会えて良かったと
思われるような存在になりたいなと思うのです。

様々な関係性や関わりがあるので
どんなことを通してどんな分野で
それを伝えられたり
継承することができるのかは
多岐にわたると思います。

感情面でいえば、
私という個人を通して
身近な存在であれば
愛情とか感情とか気持ちとか
そういう抽象的な部分での
良い影響が与えられたらいいかなと思います。

精神面で言えば、その人の考え方。
思考だけでなくて感情も含まれますが、
知識とか生き方とか在り方とか信念とか
その人が生きる上で後押しになるような、
その人が生きる上で1ミリでも役立って
何かを達成する力になるような、
プラスの影響を与えられたらいいなと思います。

そこには優しさと一緒に
ある種の厳しさもあるかなと思います。

誰かにアドバイスしたり応援する時には
励ましだけではなくて、
厳しいことをいう必要がある時もある。

だから、その時はもしかしたら
嫌がられるかもしれません。

でも、長期的に見て
その人の人生に良い影響を与えることができれば
後から、その事に気付く人もいるかもしれません。

肉体面でも、親しい間柄であれば
衣食住を共にして、長い時間を共有して
五感で六観で体感・経験しながら
培われていく思い出や繋がり
というものもあります。

近しい存在であっても
いい時も悪い時もあるので
そこを共に乗り越えながら
形成されていく絆もあると思いますし、
また、残念ながら、そこから離れてしまう
関係性もあるかもしれません。

色んな出会いがあって
様々な人間関係がある。

その共有する時間も
長期に渡る場合もありますし、
短期間、短時間でも鮮烈なものもあります。

身近な家族のような
人生クウォリティに多大な影響を与える
密接な関係性もあれば、
一期一会の名前も知ることもないような
出会いもあります。

地球上、何十億人いる中で
実際に知り合える人間というのは
限りがあります。

共鳴するポイントも関心事も様々です。

どこで生まれたかや国籍・文化、
性別や話せる言語や
生活環境や境遇などによっても
出会える人には限りがあります。

現代は、対面してリアルに繋がりを持てる人以外にも、
ネット上などで知り合い、実際に対面することはなくても
すごく影響を受けたり与えたりということもあります。

また、個人の時間軸の捉え方によっても
関係性というのは変わるかもしれません。

心理機能でいうと
五感タイプなのか六観タイプなのか。

五感タイプの方が時間軸は短く、
フォーカスできる時間軸の感覚は
個人差があるとは思いますが、
短くて1日〜2日。1週間、1カ月、3カ月、1年。
長くても、3〜5年くらいの時間軸の人が
多いのかなと思います。

六観タイプは、時間軸は比較的に長く、
何十年とか人生単位で捉えることもあります。

なので、時間感覚も
人間関係を構築する上で
その受け止め方の差から
影響があったりするのかなと思います。

また、思うのは、
リアルの対面できる人間関係ではないですが、
作家さんたちが与える影響というのも
かなり大きいのかなと思います。

作品を通じて、人の心の奥底まで入ってきて
その言葉やイメージが
感情的にも思考的にも鮮明に体感されて、
多大な影響を受けることもあります。

生きる指針や励ましになったり、
心の暗闇に光を与えてくれるような作品であったり。

逆に、しばらくダメージになるような
精神衛生上、負の面が強いと思われるような
作品もあるかもしれません。

思考や感情から生み出される作品、
ソフトパワーの影響も
個人によっては、人生単位で影響を受けるような
そんな出会いとなるのかもしれません。

そういう意味では、
もし、誰か個人にとって
実際に出会ったことはなくても
心の中に強く影響を与えるような
本との出会いであれば、
その人の人生に彩りを与えて
生きる希望を見出し支えになるような
素晴らしいものとなるかもしれません。

広い意味で言えば、
作家さんとか思想家とか
師となるような模範となるような
生き方を示してくださっている人たちは
語り継がれる限り、
その本や思想がある限りは
誰かの心の中で生き続けると考えると
凄いことだなと思います。

と、だいぶ飛躍しましたが、
個人と個人の出逢いというものは、
何かしらの引力があって
引き寄せがあって
共鳴するものがあって
出逢いになるのではないかなと思います。

イメージしてる世界観に
共通するものがある人々とは
繋がりが深く持てるのかもしれません。

互いに進化・向上できるような
支え合い、助け合い、励ましあい
高みを目指せるような
そんな関係性を築いていけたら
死が訪れたあとも、
誰かの記憶の中に生き続けるのかなと思います。

そして思いや思考や概念、様々なものを
次世代に繋いでいくことができたら、
肉体面の遺伝とか伝承だけでなく、
思考面や感情面でも継承されていき
生き続けるのかなと思います。

人は孤独では生きられません。

血縁関係がある人であっても
ご縁で出逢った人であっても
人と誠実に向かい合っていかないと
関係性は深まらないと思います。

誠実に心をかけた関係性が
宝物のような結びつきになって
信頼や絆が生まれていくのだと思います。

抽象的な話ですが
少し考えをシェアさせていただきました。

お読みいただき
ありがとうございます♡



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