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ご自愛ください

 二十代の若い人から、送られてくるメールの最後に、しばしば「時節柄、くれぐれもご自愛ください」と締めくくりの文章が書いてあります。この言葉を使うことによって、若者は年長者対して敬意と心遣いを表すために書いているのだろうと、私は解釈しています。そして、礼儀正しいりっぱな若者だなと思います。

 しかし、ある時私はこの言葉はどこか気にかかりました。手持ちの辞書を見ると、「自愛」については次のように記載されていました。

㈠ 自分を大切にすること。自分の健康状態に気をつけること。
㈡ 自分の言行を慎むこと。自重 
㈢ 自分の利益を大切にすること。自己 
㈣ 倫理学で、自己保存の本能に基づいて、自己の幸福を求める自然的性向 

の以上です

 それでは、この中のどの意味でメールの中で述べているのかを考えてみました。通例は季節の変わり目などに、体調を崩しやすい人に対して、思いやりの言葉として㈠の意味で使っているのだろうと推察します。しかし、少し敢えて意地悪く解釈すれば、「年長者にはこのように述べておけば良いのだ」と、言葉が上手で如才の無い若者の言葉かも知れません。しかし、この解釈は言葉を素直に受け取れない「ひねくれた者」の解釈と言われても仕方ないでしょう。

 それでは、敢えて㈡の意味に解釈するとどうなるでしょうか。かなり印象が異なってきます。「自分の言動を慎みなさい」との意味になり、それは相手に対しての注意喚起になります。なぜなら、相手が日頃軽率な行動や言動をしたりして、周りの人々の気持ちを傷つけていることを前提にして言っていることになるからです。私はこのような言動をしていないことを願うばかりです。

 次に、もし㈢の意味に解釈するとどうなるでしょう。「自分の利益を大切にしなさい」という意味になります。日ごろ自分の利益のことは顧みず、家族やあるいは他の人のために尽くす人に向かって言っていることになります。なぜなら、「家族や他の人のことは、そのくらいにして、自分自身のことをもっと考えた方が良いですよ。」という意味に解釈できるからです。それはよほど人間のできた人であり、なかなかそんな人はいません。少なくとも私にはこの意味は該当しません。

 最後に、もし㈣の意味に解釈するとどうでしょうか。㈢の意味と似ていますが、「自己保存の本能にも基づかず、自己の幸福を敢えて求めない」ことになります。これは責任感があまりに強く、自分の気持ちを極端に抑えて、相当無理をして家族や他人のために尽くそうと努力している人がいるとすれば、その人に向かって言う意味が、これに該当するのではないかと思います。その人は、責任感や義務感のために、家族や他人に尽くそうとするのですが、心からそうはなれずに本人が苦しんでいることが、他人から見ると分かるような状態の中にいる人に向かって述べるときに、使いたくなる意味になるdろうと思います。

 それでは皆さんの良く知った年長者に向かって、「ご自愛ください」と言うときは、どの意味で使いたいでしょうか。また、しばしば失言をするような政治家には、どの意味で使うと良いでしょうか。

 以上が私の「つぶやき」です。


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