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短編小説 次郎吉と小夜子

貧乏長屋の通り。
岡っ引きの半兵衛が、鼠小僧の人相書の紙を看板に貼っている。
どこからか、咳をする声が聞こえる。

貧乏長屋の家の一つでは、次郎吉がお湯を沸かしている。
家の中には、埃をかぶった作りかけの傘等がいくつか置いてある。
汚い煎餅布団には、次郎吉の妹、小夜子が寝ていて、咳をしている。
次郎吉がお湯と薬を小夜子に持ってくる。
「大分良くなって来てはいるんだけどねえ・・」
小夜子、薬を飲む。
「俺もいつまでも小夜子の側にいられるわけじゃないんだ。そろそろ俺なしでも生きていけるようにならないといけないよ」
「なんで兄さんは最近そんな事ばっかり言うんだい」
「別に何だっていうわけじゃないけどさ・・」
次郎吉、箪笥からかんざしを持ってくる。
「お前にやるよ」
「どうしたんだい、こんなもの」
「いいからやる。だから早く良くなって、俺にこれを挿した姿を見せておくれ」
「・・・」

と、扉を叩く音がする。
「はい」
「次郎吉いるか」
次郎吉、扉を開ける。
「なんだい半兵衛さん。久しぶりだね、元気かい」
「おう。商売の方はどうだい」
「うん、ぼちぼちだね」
「そうかそりゃ良かった」
半兵衛、奥の方を見て「小夜子ちゃん、まだ良くならねえのかい」
「うん、お医者様は大分良くなったって言って下さってんだけどねえ」
「そうかい。じゃあじき良くなるだろ」
「そうだといいんだが」
「・・ところでよ、最近鼠小僧っていう盗人が世間を騒がしてるじゃねえか」
「・・・そうらしいな・・」
「いや、昨日医者に行ったらよ、最近妙に次郎吉の金払いがいいって聞いてね。高い薬をどんどん買ってくってよ。いや、だから何だって訳でもねんだけどさ・・・」
「・・・」
「次郎吉、おめえ、まさかとは思うが・・・」
次郎吉、急に半兵衛を突き飛ばして表に逃げ出す。半兵衛、一度すっ転ぶがすぐに起き上がって次郎吉を追いかける。
「待て次郎吉!」


夕方、半兵衛が小夜子の家を訪れる。
「小夜子ちゃん」
「・・・」
「やっぱり次郎吉が鼠小僧だったよ・・・」
「そんな・・・」
「小夜子ちゃんの薬代を稼ぐためにやったらしい・・」
「・・・」
「裁きは明日だが・・・何十件も盗みをやってるから・・・かなり重い刑になる可能性もある・・・」
「そんな・・・」
「・・・とりあえずそれを知らせに来た・・・明日、また来るよ」
半兵衛は家を出て行った。
小夜子は呆然として、その場に立ち尽くしていた。

次の日、小夜子は早朝に目が覚めた。
自分で湯を沸かし、質素な食事を作り、薬を飲んだ。
昼頃、半兵衛が焦った様子で扉を叩いた。
「小夜子ちゃん!てえへんだ!次郎吉が・・・」
「兄さんが・・・どうだったんです!?」
「死罪だ!」
「そんな・・」
「今日の夕方、小塚原刑場で斬首される!」
小夜子は、その場に崩れ落ちた。
「小夜子ちゃん・・・」
「そんな・・・兄さん・・・うう・・」

小夜子は、その日の夕方、久方ぶりに外に出た。
髪を結えて、次郎吉からもらったかんざしを挿した。
小夜子の家から、小塚原刑場までは、歩いて半刻程だった。
季節は夏。
病み上がりの身にはこたえる暑さだった。
小夜子は、何度も道端にうずくまりながら、小塚原刑場に着いた。

刑場の周りには、人だかりができていた。
人をかき分け、一番前に出た。
すると、次郎吉が膝をついて、うつむいている。
「兄さん・・・」
しばらくすると、刀を持った執行人が次郎吉の背後に立った。
執行人は、刀を振りかぶった。
小夜子は叫んだ。「兄さん!兄さん!あたしだよ!小夜子だよ!兄さん!」
次郎吉は小夜子を見た。
口が動いた。
「生きろよ」
と言ったように見えた。
その刹那、刀が振り下ろされた。



どれくらい経ったろうか。
小夜子は道の端にうずくまり、ずっと泣いていた。
と、次郎吉のもらったかんざしが足元に落ちた。
小夜子はかんざしを手に取り、じっと見つめた。

小夜子は涙をぬぐって、かんざしを髪に挿し、立ち上がった。
そして、暗い夜道を、家に向かって帰って行った。
その足取りは、頼りないながらも、確かなもののように見えた。


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