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お花畑頭

同じ時間と空間を共有すれば、その間には関係が生まれるし、認め合うことも、尊重し合うこともできる。

綺麗事で生きてる人間は、理不尽や残酷さに直面した際、立ちすくんで何もできないと思う。

戦争や虐待なんかはその典型だろう。
ウクライナでは新しく戦争が始まったし、中東では長い間因縁がある。
関係性は国同士兄弟とか、民族でいえば同類なんだろうが、それでも殺し合ってる。多分未来永劫続く。

綺麗事を目指す人間は、理不尽や残酷さにも耐えられる。

頭の中でさだまさしさんの『風に立つライオン』みたいな立派な曲がかかっている人は、現地ではショックを受けて働けなくなったりします。日本で失敗して居場所をなくして、俺みたいな奴にできることがあるだろうかなんて思っている人が案外、いい仕事をしてくれるんです

実際現実は残酷で、公正でも綺麗でもない。  
一定周期で罪のない人が事故や事件に巻き込まれ、犠牲になっている。
生きるためには他の動物をブッ殺して搾取しなければならない。

でもそれを映画にしたり芸術に消化したり、感謝して正当化する傲慢な行動もまかり通る。

「現実は残酷である」
「弱肉強食の厳しい世界」
その思想を綺麗事な世界で生きている人に押し付けようとするのもまた傲慢なので、それはしないけども。

しかし心配はしている。
自分がもし理不尽がデフォルトな世界の辛さを目の当たりにしたら…?精神崩壊しない?
その辛いことにさえ、宗教やスピリチュアルの類の綺麗な理由をつけて誤魔化せればいいと思う。

あと、僕自身、かつては綺麗事で生きてた。
でもそれは、見て見ぬふりをしていたから。
主観で生きていたから。

世界全体を客観的に見ると、辛いことやストレス、トラブルの方が多い。

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