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ポスト真実

「ニュースが真実か」はどうでもいい

2016年、アメリカの大統領選でトランプとクリントンが争っていた。『RealTrueNews』は「実は秘密裏に行われた世論調査によると、トランプ大統領の方が支持が多かった」という主旨のウソ記事を載せたところ、その記事はツイッターで何十万ツイートされ、「実はトランプの方が支持者が多い。でもそれは政府にとって不都合な真実だから、他の報道機関は載せていない」という根拠の無い尾ひれまでついて拡散していった。

結果トランプが当選。
このポスト真実の影響かと思われる。
デマが結果的に現実となったわけだ。

真面目な報道機関が反論すると、ウソ記事を信じた人は「じゃあ証明しろ!」「エビデンスを出せ」と言ってくる。
確かに証拠を出すのは簡単だ。
しかし信じて貰えないなら意味がない。
結局出来事を直接目で見ていないので否定の余地がどうしても生まれるのだ。
まさに信じるか信じないかはあなた次第状態なのだ。
これはどこまでいっても無くならない問題だ。
技術や情報の精度ではなく、人間の心理の問題だからだ。
どれだけ質の良い証拠を提示しても、「その情報はデマだ」と言ってしまえば全否定できる。
コロナ騒動において政府がどれだけ、コロナは危険でワクチンが安全だと説いても、「コロナはただの風邪!」「ワクチンは生物兵器!」という言説は無くならなかった。今でも無くならない。
コロナでなくても、歴史において修正主義や否定主義が存在する。
「ホロコーストは無かった」と言うようなものだ。

情報は加工されている

アメリカの大統領選において今回の分岐点となったフェイクニュースを流していたのは東ヨーロッパにあるマケドニアの、英語もそれほど流暢ではない若者だった。フェイクニュースを量産して大金を稼いでいたのだ。
「人は見たいものしか見ない。僕はそれを与えてやっただけさ」
フェイクニュースサイトを運営していたこの若者は別に何か大義があった訳でも、ヒラリー嫌いでもトランプ支持者でもなかった。アメリカ大統領がどちらにふさわしいか、どちらの陣営がいいとか悪いとか、どちらがアメリカを良い方向へ導ける人間か、そんなことは気にしていなかった。とにかくアクセスを集め、金を稼ぎたかった。ただそれだけ。

フェイクニュースを受け入れる

この衝撃的な結果を受けて「FacebookやGoogleは、フェイクニュースを排除するべき」という声がユーザーから上がるようになってきました。

これに対してGoogleは検索アルゴリズムを変更し、真偽のハッキリしないサイトが表示されにくくしたりと対策はした。しかし「事実を確認するのはGoogleではなく、ユーザーが十分な情報に基づいて判断できるように提供しているのです」と投稿していたりもしています。
つまりGoogleでさえも情報があっているかどうかは分からないのだ。結局運営しているのも人間なのだから。
「嘘かどうかを見極められないと、インターネットを使うのは向いていない」
このような名言が有名だが、神でもない限り真実を見抜くのは不可能だ。
そして何より今でもGoogleはニュースカードの情報を意図的に選別している。表示の基準は真偽の正確さではなくユーザーの好みかどうかに合わせて表示しているだけなのだ。やっていることはマケドニアの少年とほとんど同じだ。

Facebookも外部メディアと連携し、ファクトチェック機能を搭載。怪しいと思われる記事には警告マークを付けるようにしたが、思ったように機能せず、2018年に警告マークを外した。
結局ソースの薄い内容かつ情報機関の認証がないということで警告マークを表示させても、あまりにも速い情報の供給スピードに認証が追いつかなかったり、信じたい人は警告マークがあろうがなかろうが信じるというメカニズムは変わらないので、ファストチェック認証システムは意味をなさないのだ。

結局《信仰の自由》と同じで、何を信じるかは自分で決めなければいけない。
そしてそれを信じた先の結果は自己責任なのだ。

グーグルが運営するユーチューブも、極端な思想の動画がアップされれば、ユーザーが真偽を判断できるようにした。ファストチェックの参考先はWikipediaだが、Wikipediaも人が編集するものだ。なのでWikipediaを運営する財団は、Wikipediaの記事精度を上げるため、専門家が事実確認を行う『ウィキトリビューン』というニュースサイトを立ち上げている。これに関して岡田斗司夫氏は「こうした努力は無意味だ」という見解を示している。

Googleなんかの人たちは「みなさん一人一人が様々な情報筋から情報を集めて真偽を判断してください」と言うけど、そんなことができるのは一部の情報網の強い情報強者であり、大抵の庶民は、ネットやテレビ、新聞などからしか情報を仕入れられない。我々庶民は情報弱者なので、既に加工された情報しか手に入れられないのだ。ジャーナリストのように、現地に赴いて生の真実を目の当たりにするなんてことは不可能だ。受け取る側の能力を高めても、結局情報を得るための手段は変えられないので、何が間違いで何が本当かは、真の意味では永遠に分からない。
哲学的で極端な思想だが、「この世界が仮想現実かもしれない」という疑問に対しても、真偽は分からない。これは専門家でも分からないだろうが。
なのでフェイクニュースによる被害を防ごうというのは原理的に不可能だ。
精度が向上しても抜け穴は無くならない。今が90パーセントくらいだとして、99パーセントまでは上げられる。しかし残りの1パーセントの穴は人間が主観で生きる生き物である限り無くならない。無くす必要も無いのかもしれない。100パーセント正しいとする情報は、それこそ何らかの大きな意思が働いている。独裁国家がそれだ。
なので「これが本当の情報なのだから、そんな陰謀論じみた情報は信じるな!」と相手に強制するのは、ネット社会においてマナー違反になってしまうかもしれない。「宗教より科学を信じろ!」「キリスト教より仏教を信じろ!」と言うのと同じで、傲慢とまでは言わないが、みんなに要求するのは無理がある。
そして徹底的な圧をかけて表面上だけでも正解を統一させると、改革が起きず、人間社会は停滞してしまう。
人間は考え、仮説を出すから発展してきた。
最初から正解を出てきた人間はいない。エジソンですら何千回も失敗してきた。しかしその度に信じる仮説を変え、正解にたどり着いた。
最初から正解を決めつけてしまうと、人間は進歩が出来ない。デューイの可謬主義のようだが、これは人間に備わった才能である。
傍から見れば馬鹿な世迷いごとをほざいていたり、効率の悪いことをしているように見えても、ゆくゆくその行動や思想が、人類にとって大きな恩恵をもたらすことになる可能性がある。
エジソンは発明という結果を出したから歴史的に評価をされているが、結果を出せていなかったなら、ただの効率が悪くて、よく分からないことをしている頭のおかしい人という扱いにしかならない。
なので前例が無いならば、周りの人間に否定は出来ない。
前例が無いからこそ、その先には大きな宝が眠っている可能性がある。

問題なのは《強制》することであり、それぞれが信じたいものを信じられればいい。意見がぶつかった時は保留にするか、当事者以外にチェックをしてもらうのが良いだろう。

もうすでにニュースが真実かどうか判断することはたいていの人にとって重要ではなくなっている。しかしそれでいい。フェイクニュースを受け入れることも文化である。
ひと昔前の宗教と同じだ。
宗教というと眉をひそめる人が日本においては大半だろうが、日本にも宗教は形を変えて潜んでいる。
《常識》や《レール》《普通》や資本といったものだろう。これらから外れると非常識だと叩くのは、教典の教えから外れるものを異端だとして断罪する宗教と同じだ。
しかしそれが正解ならば、コペルニクスやガリレオが発見した地動説は正解ではないということになってしまう。
たしかに天動説が主流だった当時基準からすればコペルニクスやガリレオは「頭のおかしい戯言を吐く馬鹿」だったのだろうが、彼らの死後何百年経った後に、地動説が正しかったという事実が判明する
(未だに地球平面説を唱える人もいるようだが…)。

嘘を嘘と見抜けるかも難しいが、嘘であるという証明をする方がもっと難しいのだ。
何が本当で何が間違いかは分からない。世の中には《常識》を覆すことがたくさんあるのだ。常識が正義ならば、とっくに宇宙の果てや深海の底まで辿り着いている。

スピリチュアルな思い込みに対して、化学で反論することは簡単だが、化学も思い込みに過ぎない。《信じている》という面においては宗教と変わらない。
「暗いところで本を読むと目が悪くなる」というのは科学的だが、正しくないらしい。
悪魔の証明と言うべきか、幽霊がいるという証拠もないが、いないという証拠もない。

ネス湖のネッシーは投稿者が嘘だと自白したため確実にいないが、シーサーペントなどは分からない。
海はまだ明らかになっていない領域が多すぎるからだ。

自分にとって都合のいいものを信じるのが人類のサガなのだろう。それで人生に悪影響が出なければそれでいいと思う。
宗教と同じだ。それがネットでより強くなっただけなのだ。

不細工の言う真実より、美形が言う嘘。
嫌いな奴が言う事より、好きな奴が言う世迷いごと。


※本稿は、岡田斗司夫著『ユーチューバーが消滅する未来 2028年の世界を見抜く』を一部をマクおが編集したものです。

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